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【小説】ネコが線路を横切った12

今までのお話はマガジンから

西洋居酒屋にて、マスターと少女のつながり

 ぱしっ、と音を立てて、春海のグローブにボールがおさまった。
 すぐに、ボールを持ち替えて春海は、マスターに向かって思いっきり投げる。
 白いボールは、青い空にゆっくりと孤を描いて、マスターのグローブに、すとん、と落ちた。
「やったあ」
 キャッチボールを始めて1週間、春海のボールはマスターに届いた。
 日差しは強く、マスターも春海も、汗ばんでいた。

 その日の西洋居酒屋は臨時休業にして、夕方からでかけようとマスターは言った。春海のキャッチボール上達記念で。
 タケサンとかケンチャンとか、常連さんはいいの? と春海が聞くと、マスターは貼り紙をしておけばいい、と答えた。

「本日、デートのため臨時休業」


 1週間、春海は西洋居酒屋の2階で暮らした。
 昼はキャッチボールをしに外へ出て、帰りに買い出し、夕方から店を開ける。
 皿洗いくらいはできると、2日目から春海はカウンターの中に入った。
 タケサンやケンチャン、何人かの常連に、マスターは春海を遠い親戚で夏休みの間預かったと説明した。
 手伝うと言ったのは春海からで、マスターは「そうか」とだけ言い、洗い方と拭き方、片づける場所についていくつか伝えただけだった。

 5日目に、春海がタケサンのテーブルに呼ばれて行こうとした時だけ、マスターは「行かなくていい」と言った。
 代わりにマスターはタケサンのテーブルについて、飲み比べで勝負しようと。
「タケサンが勝ったら春海をここに呼んでいい。ただし、俺が勝ったら春海をホステス扱いするのは二度としないでくれ」
「おう。勝ってやるぜ」
 45mlのグラスを、店にあるだけテーブルに並べた。
 30個ほどのグラスに、テキーラを注ぐ。
 交互に飲んで、先にギブアップしたら負け、というルール。
 が。
 5分後、タケサンは床に倒れ込んでいた。
 マスターは顔色ひとつ変えずに、10杯目のテキーラを飲みほした。


 斎藤真二というマスターは、口数は少なく、何を考えているかわからない。ずっといっしょにいると、彼の中で一本筋が通っていて強いからこそ、春海にはやさしいとわかる。

 その日、二人は電車ででかけた。車で行くと俺がビール飲めない、と、マスターが言ったからだ。
 郊外のレストランの個室を予約していた。
 マスターはステーキを、春海はハンバーグを注文した。
 鉄板に、じゅうじゅうと音を立ててハンバーグが乗っている。
 ナイフを入れると、肉汁がじゅわっと流れ出す。
 肉汁を添えられた皮付きポテトフライに吸わせて、春海はばくばくと食べた。
 マスターが、笑顔でこちらをみているので、春海は、ステーキも食べちゃうよ、と言ってやった。
 食べるよ、と、マスターもナイフとフォークを動かす。
 バニラアイスとコーヒーがでてきたところで、マスターが真顔で言った。

「なんで家出した?」
「なんで家出少女を預かった?」

 バニラアイスが、口の中に広がって、甘いけど冷たい。

つづく


※この物語はフィクションです。
実在の場所や団体、個人とは関係ありません。


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