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14【連載小説】パンと林檎とミルクティー~作家・小川鞠子のフツーな生活日記~

14)命とまでひきかえにしてまで得る愛はありですか

 執筆をしながら曲を聴くことは避けている。
 特に、歌詞がある歌は避ける。
 つい歌詞を聴いてしまって、言葉にひっかかったり頭に残ってしまって、今書いている自分の小説世界にひたれなくなってしまうから。
 なのに。
 なぜ、今日に限ってYouTubeで曲を聴いてしまったのか。

 曲を聴いて、ぶちきれている日曜の夜の小川鞠子を、皆で笑ってやってくれよ。

 わたしの命とひきかえに、あなたの愛を勝ち取る。とか。
 あなたの愛を得るためなら喜んで命を差し出す。と、いった意味の歌詞が頭の中でぐるぐるまわっている。
 なんなのよ、それ。
 ぶちきれです。
 相手が愛してくれても、わたしは死んじゃってるんなら、なんにもならんわ!
 相手にしてみれば、愛した人は死んじゃってるんだもの。
 それってさあ、相手も不幸にしてない?
 自分の命をかけたことで、いないわたしを愛することになってしまったんだから。

 愛と命をひきかえに、なんてしちゃいけないの!
 死んでもいいくらい愛するのは、自分の勝手。
 相手の愛を得たいがために、命なんてかけて相手まで巻き込むようなことは、しちゃいけないの!
 相手の愛がほしいなんて、勝手だよ。
 相手が誰を愛するかなんて、それは相手の勝手で。
 愛するなら、相手がいちばん幸せになる方法を考えなきゃ。たとえそれが、自分を愛することとはかけ離れていた事でも、愛しているんだから、いいのだよ。
 愛ってそういうものじゃないの?
 無償。
 見返りなんかいらない。
 こっちの存在なんか知らなくていい。
 ただ、自分が愛したいから愛するだけ。
 ただ、見守るだけ。

 自分が誰を愛してるかなんて誰も知らなくていい。
 誰かに聞かれた時だけ、実はとても愛している人がいるのよ、ってだけ言えばいい。相手の名前は明かさない。

 愛するって、そういうものでしょうに。
 命をかけてまで愛を得て、どうしようっていうんだよ。
 愛を得たのに愛を育てる時間がはじめっから、奪われてるなんて、どっちにも不幸でしかないよ。
 愛しているのに不幸だなんて、やってらんないでしょ。

 だから、わたしは命をかけて愛を得る、なんて歌詞に対してぶちきれているのだ。
 執筆は止まったまま。
 内側で蒸気が噴き出してどうにも収まらない状態が、今夜中は続く気がする。
 わたしの主人公のもとには、戻ってこれません。
 困ったもんだ。

 毛布をかぶって、曲をもう一度聴きながら大絶叫で一緒に歌う。
 命とひきかえに、あなたに愛されたかったの、と。

つづく

 


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