見出し画像

【小説】8年目の向日葵

 今年もまた、8月がやってくる。

「夕鶴」の「おつう」の想い

 友達の友達の友達の時子(ときこ)さんの妹さんの麻夕子(まゆこ)さんは、声楽家として活動している。
 チャリティーコンサートだから、と時子さんに誘われて二人で歌声を聴きに行った。ほんとうは、でかけるなんて面倒くさいんだけど、時子さんがコンサート終了後に、アイスハニーカフェオレとミルクレープをおごってくれるというので重い腰をあげたのだった。

「夕鶴」というオペラの中の「おつう」がソロで歌う曲を、麻夕子さんは披露してくれた。
 「夕鶴」といえばストーリーは「鶴の恩返し」。
 鶴は「おつう」で、鶴を助けた男は「よひょう」。
 お芝居は木下順二氏の戯曲で『鶴女房』をベースに描かれている。
 お芝居に感動した団伊久磨氏がオペラに仕上げたもの。

 麻夕子さんは白い衣装で、鶴が人に化けている様子がわかる。
 髪が長いから、後ろでひとつにまとめても見栄えがする。
 まさに、鶴の「おつう」だった。

 そのおつうが歌っていた。
 よひょうは、もう1回もう1回と、おつうに反物を作らせるのだ。おつうは命を削って作っているというのに。
 もう1回、もう1回。作ってくれたら前よりも高く売れるから、と。
 よひょうはすっかり金の亡者だった。
 そんな姿に、おつうは「どうしたらいいの どうしたりいの」と嘆くしかできなかった。
 けっきょく、おつうは体力をなくして人間の姿を保つことができずに予表の元を去るしかなかった。
 幸せな時間は、あっという間に終わってしまったのだった。

 なんて切ない終わり方だと、思った。

 コンサート終了後、駅前まで戻ったわたしと時子さんは、カフェドードールの一番奥の席で向かい合っていた。
 アイスハニーカフェオレとミルクレープを前に、わたしは太ももの上でこぶしを握り締めて、フォークもストローも持てなかった。
「時子さん」
「どうしたの? 食べようよ」
 わたしの頭の中では、30分ほど前に聞いた麻夕子さんが歌ったおつうの気持ちが鳴り響いている。
「よひょうって、バカなんですか」
 時子さんは、きょとんとしている。
 そうだ。
 あの男はバカに成り下がってしまったんだ。
「バカですよね。よひょうは、純朴な男だったはずなのに金の亡者になってしまった。まあ、金の亡者にしたのは、美しすぎる反物を作ってしまったおつうにも責任は全くないとはいえませんが。それにしても、目の前に毎晩毎晩やつれていく妻の姿を見ても、気がつかないものなんでしょうか。バカすぎです。よひょうをみて、おつうは嘆いてました。「どうしたらいいの どうしたらいいの」って繰り返しているんですよ。」
 一気に話して、わたしはアイスハニーカフェオレをひとくち、ごくりと飲んだ。
「よひょう、バカすぎます。なんでやつれていくおつうに気がつかないんだろう。なんで、金金ばっか、お金のことしか考えられなくなっちゃったんだろう。よひょうだって、おつうのことを愛してたからいい暮らしさせたいから、お金はあった方がいいって思ってるのはわかるけど。おつうはおつうで、よひょうのためにお金を得られるように、自分の命を削って反物を作るっていう方法をとったのに」
 ミルフィーユを、フォークで半分ほど切ると、ばくっと食べた。
「お互いがお互いを想っていたはずなのに、なんでこんなにすれ違っちゃったのかなあ。どっちが悪いって訳でもないのになあ。なんだか、おつうとよひょうの夫婦がだめになっちゃって、わたしは悔しいんですよう」

 言いたいことだけ言うと、わたしははあはあと肩で息をした。
 悔しいのだ。
 悔しいだなんて。
 ラブストーリーは、ハッピーエンドでなきゃ人生やってらんない。
 観た後に、悔しいだなんて、どうなっているんだわたしの思考は。
 気持ちは。
 感情は。

 わたしの悔しさとよひょうへの罵詈雑言を、時子さんはただ黙って聞いてくれた。
「おつうも、一美(かずみ)さんにそんな風に思われたなら、鶴に戻っても報われるかもしれないわね」
 時子さんにそう言われて、わたしは余計に悔しい。
 おつうの真意がわからなくなったよひょうはバカ。
 おつうがだんだん弱っていくのに気がつかなかったよひょうのバカ。
 よひょうがバカになるほど高価な反物を与えてしまったおつうもバカ。
 ああ。バカヤロウだ。

 そこへ、麻夕子さんが来た。
「あ、おつかれ麻夕子。今日もばっちりね」
「うん。ありがと」
 麻夕子さんは、時子さんの隣に座った。
 白い衣装から着替えて、街並みになじんでしまっている夏のパンツスーツだった。
「えっと、一美さん」
 麻夕子さんがわたしをのぞき込んだ。
 たぶん、わたしは変な顔をしていたんだと思う。
 悲しくて、悔しくて、どうしようもない自分の感情をコントロールできずにいたのだから。
「麻夕子さん、よひょうってバカなんですか?」
「あ、そうです。バカです」
 そうだ。
 ふいに、わたしの中ですべてが腑に落ちた。
 おつうだった麻夕子さんが、よひょうはバカだと認めたから。
 そして、同時に、麻夕子さんが演じて歌った歌は、わたしの中に波紋を起こし心を揺らいだのだと。

 今まで、冷めた視点でしか見ることができなかったわたしが、おつうに同化していたのだと。
「麻夕子、あなた、レベル上げたみたいよ」
「え?」
「一美さんの心の中に入って、ぐらぐら揺らしたんだから」
 時子さんは、そう言って、ガムシロップをたっぷり入れたアイスハニーカフェオレを飲んだ。


朗読劇・絵を観た妹は

 顔が広い時子さんに、2週間後の朗読劇に誘われて2人で行った。
 時子さんの友達は、朗読ユニットを組んでいて定期的に公演を開いているらしい。劇場なんて緊張しちゃうからどうしようかと思っていたら、ライブハウスで行うのだと。
 ライブハウス。
 どきどきする響きを持つ場所。
 朗読劇が開催されたライブハウスは、JRの駅からすぐのビル2階にあった。急な階段をのぼると、椅子が並んだ空間にでた。
 カウンターの入り口で代金とドリンク代を払った。時子さんはグラスビール、わたしはアイスコーヒーを選ぶ。ドリンクをもって、わたしたちは壁際の席へ移動する。
 開演の5分前になると、席はほぼ満席。人気のあるイベントなんだなあと感心した。

 そして。
 ピアノの前に男性が来て、脇にバイオリンを持った女性がステージに登場した。ピアノの男性が、朗読と歌を担当する高井あかねさんという方を呼ぶ。
 お客さんがいる一番後ろから、すらりと背の高い女性がステージに上がった。
 その瞬間。
 ライブハウス全体の空気感が変わった。
 高井さんは、俳優の南果歩さんに顔がちょっと似ている。シンプルなワンピースを着て、さりげなく話す。
 朗読劇の前に、高井さんは歌を歌った。
 歌うというよりも、言の葉を紡ぐ語り。
 わたしも、ライブハウスにいた誰もが、高井さんの雰囲気に包まれて引きつけられていた。
 いつのまにか、高井さんという女性は朗読劇の主人公になって、物語を語り始めていた。

 主人公の女性は、新幹線に乗っている。
 近くの席にいるお姉さんと妹を見ながら、姉と自分に置き替えてイライラしたり共感したり。
 物語が進むと、お姉さんが1週間前にこの世を去っていることがわかる。
 新幹線の行く先は美術館で、ほんとうは姉と二人で観に来るはずだった。
 なんで一人で観に来てるんだと、すこしばかり姉に対して恨み言をぼやく。
 美術館について、姉と見るはずだった絵を、主人公の女性は一人で見つめている。
 姉が見せたかったのはこの絵だったのか、と。
 いつのまにか絵を観ながら、主人公の女性は泣いていた。この1週間で失われていた感情というものを取り戻したのだ、と、自分でわかったのだった。

 いいなあ、1週間で感情を取り戻すことができて。
 朗読劇を見たわたしの感想は、まずそれだった。
 一度失くした感情は、そうそう簡単に短期間では取り戻せないよなあと思っている。
「一美さん、大丈夫?」
 時子さんに言われて、わたしは自分が泣いていることに気がついた。
 泣いてるんだ、わたし。
 朗読劇の主人公みたいに、感情を取り戻すことができたのかな。
「時子さん。また朗読劇があったら誘って」
 思わずそう言っていた。



8年目の向日葵

 時子さんと別れて、帰りの電車に乗っている。
 7人掛けの座席の端っこに座った。
 ふいに、目の前に鮮やかな黄色とオレンジ色の向日葵の花が現れた。ドアの脇に立っている人が持っている花束の向日葵みたい。
 向日葵か、と思って眺めていたら、花びらごと笑顔が見えた。
 8年前に神様のところへお嫁に行ってしまったわたしのお嬢に、言われた気がした。
「もう大丈夫だよ、お母さん」

 わたしはもう大丈夫なのだ。
 笑えるし、泣けるし、怒るし、しんどいことも苦しいこともあるけど、受け止めている。
 好きなアーチストもできたし、好きな作家も増えた。友達と行くカフェの場所もいっぱい知ってる。
 だから、大丈夫。
「そうだね」と、わたしは向日葵に向かって小さくつぶやいた。

おしまい

 

サポートしていただいた金額は、次の活動の準備や資料購入に使います。