「親ガチャ」という言葉で自分の子供の頃を振り返る
2021年9月、順調に里親登録に向けて研修が終わった頃
世間では、「親ガチャ」という言葉が話題になっていました。
テレビで深掘りして議論しているのが滑稽に思いました。。
若者が使っているこの言葉からは、テレビで言っていることほどの深い意味などないであろう。
感情でものを言っていることの方が大きいと思います。
「子供は親を選べない」
そんな言葉をどの世代でも若い頃に思ったりしたことはないでしょうか?
何の問題もない一般的には幸せな家庭に生まれた私でも
「なんでこの家に生まれてきたんだ?!」
と苦しんだことはあります。
わたしは
『赤毛のアン』が大好きで、孤児に憧れていた時代があります。
今思えば「孤児」に憧れていたのではなく、そんな屈強にもめげない強い心、立ち向かう姿勢に憧れを抱いたのだと思います。
『あしながおじさん』『小公女セーラ』なども好きでした。
中学卒業の時には、担任がクラス1人ずつ
その生徒にあった有名な名言を色紙に書いて贈ってくれたことがありました。
わたしがもらった言葉は
『すべての人は自己の運命の創造者である』
劇作家のスティールという人の言葉です。
わたしは当時常に苦しんでいました。
どう生きていいのかわからず、生きる意味を探っていたように思います。
親を恨むこともありました。
そんなことを誰にも言ったこともなく自分の中でもがいていただけなのに
先生にはわかっていたの?
とこの言葉をもらったときに思いました。
この色紙は30歳頃まで部屋に飾って心の支えとしていました。
自分の人生は自分が創造しているんだと常に思うようになり、偶然や奇跡などないんだと自分が選択してきた結果なんだと思うようにしてきました。
そして、大人になりスピリチュアルな番組が流行ったときに
「生まれる前に青写真を作って親を選んで生まれてくる」
という話を聞いて更に強く思うようになりました。
生まれたのには役割や乗り越えるべき試練があり、今世の課題があるのだと。
腑に落ちました。
同じようなシチュエーションが繰り返されれば、クリアしてないからまた起きる
クリアすれば新たな問題に起きる
カルマです。
当時は20代の短い人生だったが思い当たる節はあったのです。
30代半ば頃からは逃げずに一つ一つ可能性を見てありのままを受け止め進んでいるので、繰り返しはないと思います。
人生を受け入れると人生がスムーズに進むのだと気づく時があります。
「親ガチャ」
若者らしい言葉だですね。
そう言いたいお年頃
大人になってもそういう考え方をしていたら問題だけど
里親登録に向けて、子供時代を思い出す時間が増えたけど、更にこの「親ガチャ」問題で振り返ることができました。
里子はもっと強く「親ガチャ失敗」って思うよね。
さらには「里親ガチャ失敗」と思うかも。
でもそれはいい
ただ気持ちをそのまま受け止めたい
やるせない気持ちが親に向かうだけなのだから
苦しい辛いをどう表現してどう処理をしていいのかわからない
そんな思いが親に向かってくるのでしょう。
とこの時、間時ました。