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論じるって大変/松村

最近、他人から否定されたり、注意されたことはありますか?
私の周りでは、みんなよく褒められて、ぬくぬくしていています。
特にツバメルーフは、ぬくぬくのほわほわのたるんたるんです。

そんな中で、先日、バシっと背中を叩かれる思いをしました。

毎月末に通信大学のレポートを書くのですが、そのうち一本のレポートがD判定(再提出)で返って来たのです。

なぬ?Dですと??

教員からのコメントには、
「レポートにふさわしくない口語が多い。」
「意味のない改行が多すぎる。」
「「思う」が多い。」
「体言止めは不可。」

更には、
「理解不足。」
「論点が違う」
「教科書を読み直し」
「もっと文献を調べて…」

そして更に更に、具体的な細かい指摘まで、ぎっしりと続きます。

はぁ?なんだと?そんな言い方しなくても!と思わずパソコンに悪態をつきそうになりましたが、よくよく読んだら、先生の言う通りなのです。

通信大学に入学し、初めてレポートを書きましたが、いくつか書いて、手応えを感じていました。そうか、「問い」を持てばいいんだ!とひらめいた気持ちになっていました。

しかし、今回は「こんなもんでいいやろ」という私の適当さを見透かされました。実際、自分の思い付きが気持ちよくなってすらすらと(真面目に)書いたレポートでした。

求められてるのはそこではなかった。

「ようわからんけど、面白かったらいいやろう」という私のとってもとっても悪い癖が出たレポートです。

今となったら当然のD判定だし、内容も笑えるのですが、その時はいいレポートかけた!と余裕ぶっていたのです。

先生の客観的な指摘は、絶対的に私が間違っていて、先生が正しいことがわかります。
さすが先生。こういう事ですね。

今までふわっとした「感覚」で生きてきたから、「論じる」ということの難しさを感じています。

どうやら私はふだん、「客観的に示すこと」と、「人の意見」と、「自分の意見」をごっちゃにしているのてす。

コロナのときは多すぎる情報に「信頼できるデータとエビデンスが大切だ」とあれだけ思っていたのに、いざ自分が論じるとなると、勝手なイメージであれこれと言っているのです。

なぜそう思うの?その根拠は?それは「そう思う」のか?客観的に「示せる」のか?そしてそれは自分で調べたのか?他人のデータか?

ふぇーん。
アートじゃないから「感覚」だなんて通用しない。
難しい…。慣れないこともあって、正直言うとめちゃめちゃ面倒くさい…。

だけど先生の指摘はすっきりと的確で、辛辣で新鮮。

先生はかっこいいなぁー!

この思考を手に入れたら、私もかっこよくなれるかな。(もうちょっとやさしく言ってほしいけど)

「学問をするほど生きやすくなるし、自由になれる。」というようなことを入学の際に学長が言っていましたが、本当にそうかもしれないと思います。

特に何を目指しているわけでもないし、成績も決して良くないけど、今までと違う世界を知るのはいくつになっても楽しいものです。そして、この年で人に指摘されることがうれしい。

日々ふわんふわんたるんたるんで、横着で傲慢になりがちだから、とっても新鮮に感じます。

さて。

この気持ち忘れないうちに、D判定のレポートの書き直しをします。
くっそぉー、先生め。次はいいの書いてやる…という気持ち。


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