地道でカッコ悪い選択?
何か一つのお題から考えを派生させていくのは楽しい、ということに気づいた。noteの募集にもなるべく参加してみたい
今回は「自分で選んでよかったこと」ということで、
・自分で選ぶことに対する考え方
・大学受験のこと
を書いてみようと思う
自分で選ぶということ
インスタやXが広く使われるようになって、正しい情報やそうでない情報、そしてグレーゾーンのものがごちゃ混ぜになって溢れる世界になった
だからこそ「効果的な勉強法は?」「モテるためには?」といった疑問に対して書かれている情報も千差万別だ
多くの選択肢から選べるということは一見聞こえは良くて、自由で、悪い点は無いように思える。
でも、実際には大量の情報に困惑し何も選べない人が増えている気がするのだ
同時に、調べたら答えがどこかに載っているだろうという思考になってしまいがちだ。なにかゲームの攻略法みたいに、人生にも絶対成功する法則があるかのように語られていることが多すぎるように感じる。
私は人生においての選択は正解がないものが9割以上を占めていると考えている節がある。正確に言えば、『ひとりの人間』にとっての正解しかないのである。全員にとっての正解なんてものはない。
「自分の正解」を見つけるためには、行動とモヤモヤのサイクルを回し続けるしかないのではないか。
一つやってみる。合ってない気がするから少し変えてみよう・・これも少し違うな。こっちならどうだろう・・なんかうまくいった。どうしてうまくいったんだ?→自分にとっての答え
みたいなサイクル
モヤモヤを抱えながら、カッコ悪く足掻いて、答えを見つけるしかない
それが人生の醍醐味じゃないか?とも思い始めている
トーマス・エジソンの「私は失敗したことがない、ただ、一万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ」という言葉は全ての選択に価値を持たせる。大多数の人には失敗と思える行動はエジソンにとって「してよかった」と思える選択なのだ。
言いたかったのは、自分にとってよかったと思える選択というのは
想像しているよりもずっと地味で、地道な試行の繰り返しで成り立っているということだ
大学受験について
受験というのは勉強方法を確立した人が勝つのではないだろうか?と安直に考えている。
その方法を身につけるのは、意識しないでいつの間にかできている人もいるし、模索した末にやっとできるという人もいる
私は不器用で、自己理解に時間がかかってしまう後者だった。頭が痛くなるような毎日で、第一志望の旧帝大に合格したときは目を疑ったものだ。
意識しないで自分のやり方を確立している人はやっぱり素晴らしいし、才能と呼べるのかもしれない。そんな人たちを私は心の底から尊敬している
だけど、「自分の正解を見つけ出す能力」を育てることができるのは、間違いなく後者だと考えている。前述のとおり自分にとってよかったと思える選択は地道な試行の繰り返しだからだ。
私みたいに不器用な人がいるならば
先行きが不透明で失敗するかもしれない行動を勇気を持って選択してほしいと切に願う
どうにか前に歩いていって、あるとき後ろを振り向いてみたら、自分だけの立派な道ができているものだから。綺麗事ではなくて。
歴史に名を残した先人は全員、実際に行動をしている時は「今、歴史に名を残しているな」とは感じていなかったように、後から振り返って、「私は他の誰とも違う、自分だけの道を作ってきた」と思えるのが私の目標だ。
哲学っぽい話に持っていきがちな癖はどうにかならないものかと思う。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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