見出し画像

置き去りにされた記録 第2章①〜私のトラウマ・夫の暴力〜

「私のトラウマはたいしたことない。夫の暴力も・・・・」


みんなそれなりに傷ついてガマンしながら生活しているんだと思っていました。

私たちは20歳で出会い、付き合ってすぐ同棲をしました。
その時から酒癖は悪く、でも年齢とともに落ち着くだろうと思ったし、飲んでいない時はやさしいからま、いっかという感じでした。
一緒に暮らし始めて半年くらいたった頃、仕事の後でみんなで飲んでいてその帰りに最終電車に乗っていたら途中で降りてしまったので止めたら思いっきり突き飛ばされ私は駅のホームの床に顔面を打ち、額から血が流れてきました。駅員さんがすぐに来て私の傷をみてすぐに救急車を呼びました。

「これは縫わないとだめだね」

「えっっ?」


表参道の駅にはたくさんの人がいて、暴れている彼は交番につれていかれ私は一人で救急車に乗り込みました。
病院に着いて「先生、縫うんですか?私、そんなに痛くないしバンドエイドでいいんですけど・・・」
結局左眉毛の上を二針縫いました。そのときはショックなのかなんだかわからなかった。
家に帰ると彼はぐっすり寝ていて、次の朝昨日の出来事を話すと、なんにも覚えていなくて、でも「ごめん、ごめん」と何度も謝るから、彼のほうがかわいそうに思えてきて「済んだことはもういいや。顔に傷が残って嫌だけどこれくらいの傷・・・」
と彼をすぐに許し、彼から離れることもしませんでした。


それからもゴタゴタはあったけど

“私にはこの人しかいない。少し酒癖は悪いけどやさしいしずっと一緒にいたい”

こうして私は暴力のサイクルにはまっていることも知らず結婚しました。結婚して夫の実家の定食屋を一緒に継ぐことにしました。


それからが果てしなく続く地獄のはじまりでした。


店では夫は調理、私は接客をしていました。
夫は店を継いだプレッシャーからか、すごく気が立っていることが多く酒癖の悪さもエスカレートしていきました。
ある日、ベロベロになって帰ってきて夜中に起こされ怒鳴られ2階から1階まで髪の毛を持って引きずられ、そのまま外に連れていかれ殴られ蹴られ・・・
なにがなんだかわからず 

“私、なにしたんだろう・・・・・?”

ショックではじめて実家に逃げ帰りました。

周囲からは「少し距離を置いて考えた方がいい」と言われたけど、実家に夫から電話があり「暴力を振るったことは悪いけど、お前も悪いんだ!」と責められ、私の努力も足りなかったのかもしれないと思いすぐに夫の元へ帰りました。

「あんなにひどいことをしたのだから反省しないわけないし、きっとこれから変わるはず」

そう思いました。

でも夫の暴力・暴言は止まりませんでした。


私は接客は得意だけど、とてもどんくさくて不器用でお店では失敗ばかりしていました。夫はとても器用で手際が良く、商売上手で仕事も良く出来る人でした。
だから怒られるたびに「なんて私はダメなんだろう。。。もっとがんばらなくちゃ」とどんどん自分を追い込んでいきました。

飲んで帰ってきて暴れることは続きましたが、私は逃げることなく「酒癖が悪いのは私のせいなんだ。私がもっとがんばれば。私がもっともっとうまく出来るようになれば。。。。」と自分を責めてばかりいました。

夜、危険を感じる時はパジャマの上から上着を着て、鍵、携帯、お金を握りしめて布団に入り、いつでも逃げられるようにしていました。
車には寝袋を積んでいて、夜中に暴れる時は車で逃げ、朝まで過ごすということを10年以上やっていました。
今考えるとそんな異常な生活をなぜしていたんだろう?って思うけど、その時は逃げることはまったく考えられなかったです。
二日酔いでお店を休むこともよくありました。
夫が店をやらないので休むと

「お前はそれくらいも作れないのか!!」と逆ギレ

夫の行動にとても不満を感じていたけど、機嫌が悪くなるのがめんどくさくて怒られないように、機嫌が悪くならないように必死でがんばりました。
ひとつ仕事を覚えてもまた怒られ、仕事ができるようになっても次から次へと怒られ

「いったい、どれくらい仕事ができるようになったら怒られないようになるんだろう。。。」と思っていました。

怒られ続けながら私は一緒に働きました。


お店は順調でお店の近くにマンションを購入しました。

夫は「俺は目標があればがんばれる!」と言ってとても喜んでいました。

憧れのマイホームでバーベキューができるくらい広いルーフバルコニーもついていて二人でワクワクしていました。

「心機一転がんばろう!」

そう思っていましたが今度は


「こんなに高いマンション買いやがって!」

「お前が欲しいって言ったから買ってやったんだ!」

「商売人の女房はもっとこうするもんだ!」

「普通の奥さんはこうするもんだ!」

「お前ほど楽な主婦はいない!」

「誰に飯を食わせてもらっていると思っているんだ!」

「俺ほどいい亭主はいない!」


????????????????????


暴言はあげたらキリがない。

私も黙ってばかりいるわけではないけど、私がキレるとさらにひどくなるのでめんどくさくて「逃げればいいや」と思っていました。

暴力も結構あって、逃げようとして引きずり戻されることもしょっちゅうあったし、物も飛んでくる。
足で顔面を踏みつけられてアルミ缶のふたで何度も殴られ1時間以上におよぶ暴行を受けたこともあった。
その時の私は痛みも感情もすべてがなかった。
「手を出さないで!」と言ったら顔面を頭突きされ鼻血が吹き出して、その時夫は「鼻血くらいでガタガタ騒ぐな!」と言って、私は鼻血が止まるまで泣き続け朝まで車の中で過ごしました。
警察に連絡をして警察署で夜を過ごすこともありました。
そのころはまだDV法はなく、夫婦喧嘩には警察は介入しませんでした。
本当は警察に来てもらった時に夫を警察に連れていってもらったらよかったのですが、そんなことをして夫の機嫌が悪くなったらめんどくさいと思ってしまっていました。
仕事中にできたての生姜焼きをかけられたこともあるし
仕事の途中で飲みに行こうとしたから止めたらお店の前でボコボコにされたこともあった。
玄関から逃げられずベランダを渡って逃げたこともある。
夫がマンションの階段を上がってくる足音で今日はどれくらい危険かわかる。
私たちは3階に住んでいて、よく「1階の庭は芝生だ。ここから飛び降りても骨折くらいしかしないだろう」って思っていました。


異常だと思う。


私が。


そんな生活を続けていておかしくならないはずがなかった。

体調はもちろん悪かった。
原因不明のめまい、吐き気、倦怠感、腰痛、生理痛などに苦しんでいた。
でも病院で検査しても異常なし。
精神科に行っても「考えすぎ」で終わり。

体調が悪くて休むと口では
「大丈夫か? ゆっくり休んでろ」
「俺がいつも迷惑かけているから」
とやさしい言葉をかけてくれるけど、私にはちっともやさしさは感じられなかった。
雰囲気が機嫌悪かった。
ごはんさえ運んでくればいい亭主だと思っているように見えた。
だから体調が悪くて休んでいても精神的には追い詰められた。
だからなかなか良くならない。


「なにもかも忘れてゆっくり眠りたい・・・・・ただ、眠りたい・・・・」

そんなことばかり考えるようになった。


ある日、夫が飲みに行ってその日はとても怖くて、でも逃げる気力もなくてどうしようと、、、、思ってワインを飲み始めました。
飲んでも飲んでも眠くならないし、でももうすぐ帰ってくるかもしれなくて恐怖に怯えていました。その時に夫が以前うつ病で精神科でもらってきた睡眠薬も飲んで眠りました。
死んだように眠れました。
夫が帰ってきたことにまったく気がつかなかったしその日はなにもありませんでした。
次の日、目が覚めましたがものすごい具合が悪い。
気持ち悪さが何日も抜けませんでした。


「どうしたら何日か眠り続けられるだろう。。。。」と考えてばかりいた。

死にたいわけじゃなかった。

ただ、少し眠りたかった。


私はお酒はそんなに強くなく、お酒に溺れることはなかった

ただ私の心の隙間を埋めたのは、食べること、買い物、習い事、仕事など

これくらいならみんなやっている

でも、それらは私が私らしく、人間らしく生きるためにはなんの役にも立たなかった。

逆に私を追い詰める手段でしかなかった。


つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?