見出し画像

受け継いだ「真心」

もう間も無く今年度が終わります
あと1週間はありますが
今年は特別に「頑張ったなあ!」と
すごく実感があります

頑張ったと同じくらいに
課題も山積みで
できればあと数ヶ月
今年度が続いてほしいくらい

体は疲れ切っているけれど
まだまだできることがあるはずなのに
子供たちが次の学年に上がるまでに
もう少し時間があったら
一つでも二つでもいいから
子供たちが少しでも負担なく
次年度の担当の先生に
バトンタッチできるかもしれないのに
そんな焦りが出てきます

私はこの仕事について5年目になります
元々希望してこの世界に入ったわけではなくて
偶然とコロナの影響で
ご縁があって配置されたことで
この場所にいる

そんな感じです

だからしょっちゅう
自分の本当にやりたかったことって?
と心の奥底でどうしても
探し続けている自分がいます

最近とても頻繁に
文子先生の事を考えています

いつしか
先生のように心広く心深く
大人に対しても子供に対しても
真心を込めて接する事を意識するようになって

先日投稿した「イーサン」との一年で
そして特にこの年度末に来て
残り少ない彼との時間の中で
果たして私はどれくらい真心を込めて
彼と過ごすことができただろうか

ここ数日は
次年度のことでご両親との面談もあり
ご両親の葛藤
私たちの葛藤
それらがぶつかり合うような場面もあり
それを敏感にキャッチした彼が
とても不安定になってしまっているんですね

日中彼と向き合う時間の中では
コミュニケーションがうまく取れず
お互いに疲れ切って終えてしまう1日
帰ってから
もっとこう接すれば良かった
こう声かけしてあげれば
もう少しいう事を聞いてくれたんじゃないか

今日はスクールバスが来るまでの
プレイグラウンドで遊ばせている間
彼は私に寄りかかるようにして
静かに腕に抱かれていたんです

「帰りたくないよ」って
言いたいけれど
言葉がうまく出てこない
そんな感じで
静かに目を瞑っていたんです

その姿がいじらしくて
彼を腕に抱いて
イーサンはいい子だよ
イーサンは自慢の子だよ
って静かに囁いていました

眠る前には必ず
その日の振り返りをして
自分の対応はどうだったか
かけた言葉はどうだったか
思い出します
よし、明日は言葉を減らして
もっと抱きしめてあげよう
彼の様子を隣で見守ること
意識してみよう
そう思いながら
気づいたら寝落ちている感じで

家に帰ってから
トイレで用を足すでもなく座って
考え込んでいた時でした

ふと
「あの頃の文子先生は
どんな思いで私たちに向き合ってくれて
いたんだろうか」
そういうひらめきがありました

当たり前のように
経験豊富で教育のプロであったと
信じきっていた先生の心が

なんだか急に
等身大の今の私のように
日々の自分の接し方を
自問自答している先生の姿として
心に浮かびました

あ、もしかすると
「真心を込めるんですよ」
と諭してくださったのではなく

先生にとっても
教師を終える最後の日まで
「真心を込めて」
子供たちと向き合うことを
自分に言い聞かせながら

日々『真心をこめる』とは
どういうことかと自問自答しながら
向き合ってきた言葉だったのかもしれない

そう思ったんですね

その瞬間
当時の先生の姿が
私の体に重なる感覚があって
真心を使うとは
決して悟りきった天高いものではなくて
もっともっと地に足ついた
人間臭い心もちを指すのだと
感じたのでした

私が7歳の時60歳だった先生が
とてもとても大きくて
立派な女性だった文子先生が

本当は色々と思い悩みながら
これでいいんだろうか
もっとこうすればいいんだろうかと
心戸惑う一人の人間だった

先生ではなくて
同じ悩みを分かち合う友達になったような
だからこそ先生の言葉が
体に染み込んできたような
気持ちになりました

真心を受け継ぐ
真心を伝える

その事を基盤にして
私は生きていけばいいのかと
何をしていても
その事を伝えるためのことを
やっていけばいいのかと
ふんわりとだけと
教わった気持ちになりました

☆あなたがあなたらしく 笑顔で過ごせますように☆

皆さんの心の平安をお祈りしています

================
今日の日めくりカレンダーの言葉
ちゃんと誰かが見てるから
================


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?