『武士の娘』 感想文

『武士の娘』 杉本鉞子著
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1.自分を愛するように隣人を愛する

 『武士の娘』は、「国や文化が違えど人は本質的に同じ」という、美しい人類愛を教えてくれる本である。グローバル化が進む現代、比較文化や異文化理解をテーマにした本が所狭しと書店に並び、「海外文化は日本文化とは全く異なる。ゆえに我々日本人は勉強すべし」の前提条件を、メディアは私達に押しつけ続けている。

 ところが、「明治初期に伝統的な武家で育った日本人女性が、渡米経験を綴った手記」である本書は、日米の「違い」に惑わされず、「共通点」に重きを置く。「子を思う母の愛」、「故郷への憧憬」といった、どんな人間にも共通して存在する部分に目を注ぐ杉本さんの視点は、現代を生きる私達にも重要なヒントをくれる。

 著者が、全く異なる文化を持つアメリカに移住後も新生活に溶け込み、現地の人々に受け入れられ、自らも「第二の故郷」と呼ぶほどにアメリカを愛するようになったのは、なぜか。

 理由の一つとして、非常に逆説的だが、彼女が日本で「武士の娘」として徹底した教育を受けたからだと考える。自分の家族や故郷、母国の歴史と文化を熟知する著者は、自分に誇りを持っていた。自己肯定感の強い人は、他者を否定し見下すことも、自らを卑下し必要以上に他人にへつらうこともない。土台のしっかりした建築が、台風が来てもグラグラしないのと同様、時代や環境の変化にあってもブレることなく、確固たる自己を持ち、同時に他者を尊重する生き方を貫く。それが杉本さんの生き方から伝わってくる。

 彼女はミッション系の女学校に通ったのをきっかけにクリスチャンになるが、キリスト教の聖書もまた「自分を愛するように隣人を愛せ」と教えている。自分を大切にする人は、自分を大切にするからこそ他人も自分のように大切にしようとする。クリスチャンになった後、彼女は仏教徒の家族と衝突せず、「孫娘が知らない異国の宗教に行ってしまった」と嘆く祖母の悲しみを静かに受けとめる。そして「あなたが大切です。家族や御先祖様への感謝は変わりません」と、祖母に伝え続ける。そんな彼女の生き方は豊かで美しく、国境を越えて通用すると思う。

 もう一つの理由として、著者と神との関係があると思う。キリスト教に限らず宗教を持つ人は、自分と神との関係が人生の核にある。たとえ他の誰にも見られていなくとも、神だけは自分を見ているから、やましいことをする自分に「恥」を感じ、自分を律する。敬虔な信仰心を持つ者は、神に接するように、人にも丁寧に接する。杉本さんは、日本人とアメリカ人を分け隔てることなく、両者に対して真心を持って接したのであろう。


2.武士道や杉本さんの生き方から学んだこと

 武士道の全てを美化し、神聖視したいとは思わない。新渡戸稲造の『武士道』を始め、他の歴史小説に描かれた武士の生き方を読む限り、封建的で男尊女卑で時代遅れな部分も多々あると思う。だが『武士の娘』を読んで、初めて気づいた武士道の良さもあった。

 まず、負の感情さえ美しく表現しようとする点。武士は、悲しみ、怒り、死への恐怖でさえ表に出さず、誇りと尊厳をもって表現する。これまで私は、真田幸村や西郷隆盛などについて「頭の良い彼らは、この戦は負けると予想できていたはずなのに、なぜ最後まで忠義を尽くして戦ったのか?」と長年の疑問を抱いてきた。それが『武士の娘』を読むうちに、武士にとっては勝ち負けでなく「侍として尊厳を持って立派に死ぬこと」が最重要事項だったことが初めて分かった。明るく自由なアメリカの文化に比べ、喜怒哀楽の感情を押し殺すことを強いられる日本人の生き方を「せめ縄をかけた木や、閉じ込めた庭のように」たまらない気がすると、杉本さんが苦痛と共に告白する場面がある(P.230)。この点は大いに共感しないでもないが、負の感情にぐっと耐え、冷静に毅然と立ち向かう勇気は、同じ日本人として誇りに思い、尊敬に値すると思う。

 第二に、彼女の観察力と表現力に圧倒される。杉本さんは武士の娘として、日本の伝統的な四季の行事を大切に行っていた。全ての行事の歴史と意義を理解・実践し、新しい世代(娘たち)に伝えながら、繊細な色彩感覚、匂い、手触りを言語化し、蚕の息遣いにさえ耳を澄まし、五感を研ぎ澄ませて毎日を生きていた。私自身、常日頃、何となく素通りしているが、深い意味を知らない我が国の文化風習がいくつもある。例えば、本書の英語原書”A Daughter of Samurai”は、「床の間」を”tokonoma”と記している。日本独特の概念で、該当する英語がないのだろう。今回初めて床の間についてネットで調べ、その歴史が南北朝時代の仏家から始まったと分かった。今後も我が国の伝統行事を積極的に実践し、自分のメディアで日本語と英語で分かりやすく伝えていこうと決めた。

 最後に、杉本さんが日本の歴史や神話を熟知していたこと。個人的な例だが、私は八丈島に旅行し、家族へのお土産に黄八丈のスカーフを買ってきたことがある。ところが、この島で「昔から、女性が働きに出て男性が家事と育児をし、それで社会が上手く回っていた」…という歴史(P.248)を初めて知って驚愕した。自分の国の歴史や古典神話から学ぶことは、何と多いことか。彼女の武士の娘としての誇りは、歴史や神話への造詣の深さからも来ていると感じた。

3.まとめ
 現代のメディアは「日本は素晴らしい」か、「日本はダメだ」の両極端に偏っている印象を受ける。両者は一見、正反対の立場のように見えるが、「善悪・優劣の判断を下し、思考停止し成長がない」面で共通している。今、私達の選択すべき道は、まず己を良く知り大切にすること。そして「判断をしない」エポケーの心で他者を受け入れ、自らの言葉と感覚で自らの価値観を築き、社会に貢献できる人間となるため自己研鑽する道と決意を新たにした。それが『武士の娘』から学んだ最大の財産である。

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