つぶやき10ー記憶と感情の剥離(1)
※震災に触れますのでご注意ください
この度の震災に際し、心よりお見舞い申し上げます。
私は年明けから、まるで本を読んでいるかのように……
主人公の行動には現実味がなく、感情だけが揺さぶられる、そんな日々を送っていました。
阪神淡路大震災のとき、遊びに行っていた神戸市東灘区で被災し、そのことを誰かと真剣に話したことが一度もなく過ごしてきました。
東日本大震災のときはそこまで呼び起こされることもなかったのに、何故か今回の震災で感情がついていけなくなっていました。
そこで、一度文字に起こしてみようと思ったのです。文字に起こすことは、目から再認識、再確認する作業になりますが、少しは変わるのではないかと思っています。
内容は、記憶が大きくなっていたり、抜けていたり、飛び飛びの記憶をつなぎ合わせる事になるので、読みにくいかと思います。
二十九年前の一月十五日。地元の成人式に友達と参加し、その足で友達の就職先に二泊三日の予定で遊びに行きました。友達の就職先は神戸市東灘区深江地区の埋立地にあり、社宅住まいの友だちの部屋で寝食を共にしながら、大阪に遊びに行ったりしていました。
十六日から十七日に日付が変わるころ、埋立地につながる唯一の橋を渡っているとき、警察から職務質問を受けました。十九歳の女子二人に警察の方は色々と質問するけれど、私は身分証明書を持ってきておらず、県外から来たと言ってもなんの証明もできないままでいました。しかし、帰る途中だったのと、社宅がすぐそこだったことで開放されて部屋に帰ることが出来ました。
そのときの私の格好は、黒ベースに白とグレーのミックスの毛糸で編んであるオーバーサイズのセーターに、ミニスカート、ショートボブに赤い口紅。大阪ではロングのエンジニアブーツを買って気分は上々でした。
一月十七日の朝方、大きな揺れを感じて目が覚めました。
私は怖かったのもあり、大きなトラックが通っただけだと自分に言い聞かせていました。しかし友達も目が覚めたようで、二人で何がどうなっているのか分からないまま呆然としていました。
二階か三階だった友達の部屋の鉄の玄関ドアを、ときどき誰かがノックしていました。二人共それが怖くて余計に外に出られなくなっていました。
後から知ったことですが、上階に住む方たちが避難を知らせるために、降りる時に全ての部屋のドアをノックして下さっていたそうです。
暗い部屋からなんとなく見えるのは、赤っぽい空とヘリコプターの音。何がどうなっているのか分からないまま、しばらく友達と部屋に留まっていました。
……つづく