見出し画像

「心」を、綴るということ

手書きの手紙が好きでした。





小さい液晶に数字が届いたあの時から、文字が届くようになり、画像も届くようになり、いつの間にかリアルタイムで世界中とタイムラグもなく顔を見ながら話せる時代になりました。


指で打つメッセージはとても便利で、どんな言葉も相手に届けてくれます。

顔を見て伝えるには勇気がいることも、言葉で送るのはとても簡単です。

顔も知らぬ誰かと趣味を語り合うことも、地球の裏側の人とさえ、簡単に繋がることができる。

世界は昔よりももっと簡単に、広げることができるようになったのです。


その代わり、見たくないものをシャットダウンする、即ち、相手との関係を切ることも、とても簡単になりました。

それが、昨日夢を語りながら一緒にお酒を呑んだ相手でさえ。

アプリの「ブロック」を押してしまえば、それで終わり。

人間関係とは、心とは、こんなに儚いものだったか。



便利さにおんぶに抱っこしていたら、溢れる情報に飲み込まれて自分の感情が何処にあるのか、わからなくなってしまって。

何処から湧いてきているのかさえ分からないモヤモヤを常に抱えて、それでも波に乗り遅れないように必死に泳ぐ毎日。


そんな時、ふと、引き出しにしまい込まれたままのノートに、頭に浮かぶ言葉や感情を全て殴り書きしたのです。


その爽快感たるや。


ああ、文字を書くことが好きだった。

小さい時の自分を見つけた、そんな感覚でした。


誰に遠慮することもなく、自分と静かに向き合って、インクを紙にのせていく。

とても贅沢で、とても自然な時間。

スマホのメモ機能で足りるかも知れません。

それでも、アナログなこのやり方が、一番自然に感じたのです。


自分の感情によって、丁寧な文字や、乱れた文字が並んでいく。

読み返すと、ふふっと笑ってしまう。


手書きの文字は、心を映す。

そう思うのです。


学生の頃、授業中に友達とこっそり交換する手紙。

ハート型に折られたルーズリーフの紙。

先生の悪口や、片思いしてる子への気持ちの暴露、相談事。

どれも文字が生き生きしていたように感じます。


どこに忘れてきてしまったのか。




人の字を見る機会がとても少なくなってしまったけれど、誰かが字を書いているとつい観察してしまう自分がいます。


無駄のない動きで達筆な字を書く人、ゆっくりと可愛らしく丸まった字を書く人、雑なんだけれど温かい字を書く人。


文字にはその人の人柄さえ見えてくる。


毎日目まぐるしく世界のルールが変わっていく。


そんな時だからこそ、心を、手で、綴りたいと強く思います。


デジタルな時代に、少しだけアナログを。

私の、あなたの、心を。

綴ってみませんか?






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?