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感染症の日本史

磯田道史 著  文春新書

《歴史学というと、これまでは、政治史、経済史が中心とされてきました。学校の歴史教育で暗記させられる名前の多くは、王侯貴族や政治家や武将や軍人で、あとは宗教家や作家などの文化人や科学者のものです。》p.3

確かにそうですよね。それが歴史の全てとばかり思っていました。

《要するに、教科書で教えられる歴史の主人公は、権力をもったり、人類の思想に影響を与えたりした「著名な人物」です。ウィルスや病気、患者になって死んだだけの「無名の人物」は全く登場しません。》p.3-4

よほど歴史に関心を持たない限りは、教科書以上の歴史、例えば「感染史」「患者史」にまで思い及びませんよね。私もそうでした。そして、コロナ禍がなければ今もまだ思い及ばなかったと思います。

でもその他大勢の「無名の人物」から学ぶべき事は実はたくさんあります。

コロナしか知り得ない私達は今、大騒ぎをしていますが、感染症は大昔から何度も人類を襲い、ワクチンも薬もない時代には人々はなすすべもなくバタバタと亡くなっていたのです。

今現在猛威を振るうコロナと過去の感染症との比較は、共通点、相違点がそれぞれに非常に興味深い。

《「牧畜」でヒトと動物の接触が増え、「農業」の開始によって「定住化」が進んで「都市」ができると、結核、コレラ、天然痘、マラリア、ペスト、インフルエンザなど感染症の大流行が頻繁に起こるようになりました。 さらに、大航海時代のように、「ヒトの移動」が激しくなると、感染症も大陸横断的に猛威を振るうようになります。》p.21

パンデミックの要因として、人々の密集と移動が挙げられますが、やはり大昔からのセオリーだったんですね。

そしてパンデミックの広がりは、現在は東京からですが江戸時代には長崎でした。この2つには海外からの往来がさかん、という点が共通しています。

かと思えば相違点。

昔はインフルエンザは、悪霊や亡霊の仕業だとしてまじないをしたり玄関に札を貼ったりしていたとのことです。医療の発達してない時代では仕方ない事ですが、地域によっては昭和初期まで札が貼られていたとか💦

そして、大坂の人は商魂たくましく魔除けの菊人形を販売していたそうです。

江戸時代には濃厚接触者の概念があり隔離、出勤停止、自宅待機も行われていましたが、それは感染を広げない為と言うよりは、殿様に移さない為だったそうな😅

江戸時代で興味深い事がひとつ。
《江戸期は「その年の流行歌や流行語」がしばしば病名になっています。》p.66

【安永のお世話風】
「おおきにお世話、お茶でもあがれ」(「余計なお世話だ」の意)という流行語に由来。

【文化のだんほう風】
「だんほうさん、だんほうさん」という小唄から来ている。





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