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坐禅 自我の厚い雲を抜けて青天へ 


【『「無力の人」はやさしくなれる!』と『生きた仏教』】
2020年4月の、この二年前のブログは、
https://ameblo.jp/koushusan/entry-12591300934.html

『「無力の人」はやさしくなれる!』を読んだ感想と、もっと深く理解するための『生きた仏教』を紹介させていただいた内容でしたが、

残念ながら、どちらも、書店では手に入らなくなりました。

『「無力の人は」はやさしくなれる!』 庵那章人(あんなしょうじ)著

“無力の人”とは、名誉や富にとらわれない人のことです。

パンデミックが起こる二年前以前、名誉や富という人参を鼻先にぶら下げられて走ってきた馬のような私たち、

現代社会が描いた、人生の成功や幸福の青写真の、その比較や競争の相対的な価値観にとらわれ、またしがみついてきた私たち、

成功・失敗、幸福・不幸、正しい・間違いと、二つに分けて、成功や幸福や正しさを求めれば求めるほど、その反対側の失敗や不幸や間違いが、黒々と影のようについてきて心が脅かされて来ました。

影の部分の不安や恐怖に、常に煽られて来ました。

そこで、『「無力の人は」はやさしくなれる!』 は、

根本を見つめ直す“不安や恐怖を疑問に変える”ことを喚起させ、苦しみの源を考えることに心を向けさせてくれました。

こうした“悩む”のではなく“考える”、考え続ける進み続けるという向上心こそが、苦しみを超えて行けることに気づかせてくれました。

困難や苦しみに直面して、どうしても感情的に揺れ動いてしまうのが人間ですが、揺れてもまた元に戻れるところをつくるのが“縦糸の読書”だと、改めて感じた『「無力の人は」はやさしくなれる!』。

その庵那章人師が、山梨のお寺の住職を辞して、今市川市にお住まいで、行脚や坐禅指導を行っていらっしゃるということで、

以前読書のすすめを訪ねて来られたこともあり、何か縁を感じて、

スカイツリーのお膝元押上の坐禅道場へ行って、坐禅を体験して来ました。

渦巻く悩みと不安や恐怖の厚い雲をかき分けて、かすかでも青天へ。坐禅は、自我を超えてゆくもの。

曹洞宗の坐禅の作法と呼吸法を教えていただき、

30分の坐禅、歩く禅をはさみ、また30分の坐禅、その後、法話をお聴きして来ました。

普段、あれこれ考えて騒がしい自我が、少し静まりました。

押上Studio
https://ameblo.jp/taikikantoku/entry-12697882332.html


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