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一冊との出会いはどんな財貨よりまさる

明治の近代日本資本主義の指導者渋沢栄一を描く大河ドラマ「青天を衝(つ)け」を、興味深く観ています。

幕末、養蚕と藍玉作りの農家に生まれ、藩からの理不尽な御用金の搾取に激しく憤り、

それでも縁あって、武士に取り立てられ、一ツ橋家に仕え、徳川幕府に仕え、明治政府に仕えたが、
大蔵省時代、士農工商の封建社会の名残り「官尊民卑」に抗い、自ら「民」に下野して、多くの会社を立ち上げ多くの事業を興した「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一。

11月1日放送の第33回「論語と算盤(そろばん)」の回で観せた栄一の胸中…

その回で、初の国立銀行の頭取になった渋沢の言葉、

“今までの俺の働きは、一ツ橋や公儀や政府に守られていた。しかし、今や俺が頭取だ。
これからは、俺自らが多くの者の命運を引き受け、でっけい海を渡るんだ、と考えたら、急にゾッとしたんだ。
それでこの論語だ。論語には、己を修め人と交わる常日頃の教えが説いてある。俺はこの論語を胸に、商いの世を戦いてぃ”

栄一は子供の頃から、燃えたぎる熱いものが胸にこみ上げてくる時、“グルグルする!”と、胸に手を当てて目を輝かせていた。
そのグルグルする熱い血潮のままに突進してきた栄一が、

近代化日本をつくるため、銀行や会社などの立ち上げを推し進め、その経済の血液である商いに、
「論語」の己を修め人と交わるための教えを、先人からの血潮を流し入れたのだ。

だが、皆が全部、渋沢と同じではなかった。

渋沢と共に日本経済を回す商人、三井組番頭の三野村利左衛門の言葉、

“ただ怖いのは、金中心の世になってきたこと。金を卑しむ武士の世が終わり、金を崇拝し始めて、金、金、金…と。
これは、私らは開けてはならない扉を開けてしまったのかも知れませんぜ”


三野村の言葉通り、資本主義・金銭崇拝が行き着くところまで来てしまった現代、コロナ問題もそうですが、様々な社会問題や、痛ましい事件が多発している。

人の心の荒廃が大きな要因では?

荒涼として固くなった心田を耕し、種を蒔き、育てることが、急務では?
また、まっさらな幼児教育から。

栄一がそうしたように、現代社会の私たちも、時代が変わっても変わらない本質的な人間の生き方を「縦糸の読書」から学び、様々な体験から自分の血肉にしていかなければならない。

一人ひとりが心田を耕す「縦糸の
読書」と体験を積んで、自分の軸を立てて、
世間のものさしに振り回されない自分のものさしをもって。



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