見出し画像

2/19 長崎「逆のものさし講」、長崎「逆のものさし人参畑塾」ありがとうございました!

2月19日、長崎「逆のものさし講」に参加させていただき、ご一緒させていただきました皆様、

長崎「逆のものさし人参畑塾」を開かせていただき、ご参加いただきました皆様、

ありがとうございました。

時代に流されない自分のものさしを持つため、“縦糸の読書”を師とした勉強会「逆のものさし講」は、

自己に傾き過ぎて行き詰まった社会に、活路を開くお話と、それを肚に落とす本のご紹介でした。


そして、「逆のものさし講」選定本など“縦糸の読書”を語り合う「逆のものさし人参畑塾」は、

「友よ、水になれー父ブルース・リーの哲学ー」では、器は空(から)に価値があり、器である自分を常に空(から)にして、姿を変えながら止まらない水のようであれ、という“空(くう)を、

「信念の奇跡」では、無限の可能性の眠る潜在意識に蓋をしないで、想像力で顕在意識と潜在意識を擦り合わせていき“絶対積極”であれ、

ということを深めました。


今回、長崎の地を訪れて、長崎の逆もの講の方々とお会いして、感じたこと考えたことを、綴ってみたいと思います。

長崎の大地と人々から、苦から出発して光を求める「他力」というものを感じました。

「他力」は「自力」の母

「自力」は自分の足下の影
「他力」は背後から照らす光

「自力」は、自分が必死に顔を上げて、見上げて進み求める光。

「他力」は、どうすることもできない現実に力尽き、うなだれて足下に落ちる影に、背後から照らしてくれていることに気づく光。

影が光。
歴史的背景や、社会的状況、自然災害などにより、苦しみ悲しみが、地に人に影を落としている。

「他力」は、そんな苦しみや悲しみに、自分の無力感が影を落とし、その影を見ることによって、背後の大きな光に気がつく。

長崎の地は、苦しみや悲しみの無力感の、その足下の影から出発している。

長崎の人もまた、その影を見る人情で、他の苦しみや悲しみに寄り添い、他を励ましながら、大きな光を背にして歩いています。

長崎の地は人は、
精一杯の「自力」の落とす影を見ながら、背後の大きな光「他力」に照らされて歩んでいます。




そして、「逆のものさし講」で学んだことから考えたことは、

目・耳・鼻・口・皮膚という感覚器官の五識とそれを束ねる意識を合わせた六識が、目の前の現象をどう受け止めるのかには、その六識より深いところのイメージが影響しています。そのイメージが私の六識を通って、目の前の現象に投影されている。

例えば、コロナ感染症の問題を例にとると、

根幹の深いところのイメージに
専門家や政府やマスコミや世間
を入れている人は、目の前の現象を不安に思い恐れます。

根幹の深いところのイメージに神仏がある人ならば、神仏が何かを気づかそうとしてくれている、と目の前の現象が映ります。

私の根幹にある深いところのイメージは、いったい何んだろう?

掘っていくと、その深いところのイメージを見つけましたが、なかなか現実の目の前の現象に投影できていないことにも、気がつきました。
その深いところのイメージについては、また別の機会に。

ただ一つ言えることは、自分の根幹にある深いところのイメージは、「逆のものさし講」と「縦糸の読書」と「縦糸の師」と「縦糸の友」によって培われたことだけは、はっきりしています。

「読書のすすめ」
https://dokusume.shop-pro.jp/

「逆のものさし講」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=154570292

「逆のものさし人参畑塾」
https://note.com/tsubaki3103/


また、東京からわざわざ長崎に足を運ぶことが、自分にとって意味や価値がよく分からないことですが、
それでも、損得や功利的に考える頭を超えていったところには、

愚かな自分の狭い頭では計り知れない世界が、「他力」の大いなる光があるということだけは、おぼろげながら感じています。

どうしても、意味あること価値あること得することを考えがちですが、
その私利私欲を超えたところに無限の世界があるということ、

功利を考えず無駄なことをすると、そこに思ってもみない計り知れない世界が広がっていて、損得や功利を考えてやることは、逆に世界を狭めていることに気がつきます。

私達を無限の可能性が、大いなる世界が包んでいることに気がつくには、一見無駄なようなことをやったり、そこに連なって起きることに心身をあけ渡してみる。

背後から照らす「他力」の光に気がつくには、目の前に「自力」を傾けて全力を尽くして。

矢が尽き刀も折れて天を仰ぐ時、そこに天命。

理不尽な争いや差別の影、
力の及ばない挫折や無力感の影、
どうしょうもない人間の業の影、

必死を尽くし、影を映す「他力」の光。

損得を考えたり感情に流されたりする頭を離れて、いったん考えてもそこに捉われないよう。

人は、どうしても損得を考え感情に流されてしまう。

「他力」は、人智を超えた大きな流れ、大いなる力、広大無辺の久遠の光。

キリスト教では、それを「愛」と呼びます。


「親鸞を生きる」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=164459220

「思いがけず利他」
https://dokusume.shop-pro.jp/?pid=164261717



「他力」に心身をあけ渡して、
6月に、また長崎へ。

6月19日(土)15:30~18:30
長崎「逆のものさし講」
長崎勤労福祉会館

6月19日(土)12:00~14:30
長崎「逆のものさし人参畑塾」
12:00~13;00 長崎名物ランチ
13:00~14:30  人参畑塾

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?