警戒するスタバ、ホッとするスタバ
スタバを巡って、私の心はいつも揺らぐ。
世界的なブランドであり、知らない人はほとんどいない。「犬も歩けばスタバにあたる」「千杯のスタバも一杯から」スタバをめぐる格言は、枚挙に暇がない。一コーヒーチェーンが、こんなにも身近に感じられるようになっていったい何年経つんだろうかと思って調べたところ、創業は1971年とのこと。ニクソン・ショックと同時期、そんな激動の時代に生まれたのか、スターバックス…! 1987年にハワード・シュルツに買収されて以降、サード・プレイスとして商業的な飛躍を遂げ、現在のスタイルのスタバには45年近くの歴史がある。
もともとスタバのことはあまりよく思ってなかった。クラスのマドンナにちょっと嫉妬するかんじ。性別問わずマドンナに夢中になるクラスメイトを遠く離れたところからちょっと見下げるかんじ。「確かにあの子は特別可愛いし、目立つし、なんか素敵。でもさ、女子ってそれだけじゃないじゃん!」なんて、簡単には人に迎合したくないちょっとした反抗期の子供みたいに冷めて見ていた。でも心の底ではひっそりと、魅力と憧れと親しみやすさをスタバに感じていて、それが一気に心の水面に上がってきたのが、友人とマレーシアを旅した時だった。
クアラルンプールからペナンに移動し、街を散策していた。真夏。はっきり言って、東南アジアの夏を完全にバカにしてた。本当は青空だろうに、大気汚染にやられて少し灰がかった空に、ぼんやりと浮かび続ける白い太陽。建物があまりの暑さにうねうね揺らいで、車が通るたびに舞い上がる土埃が目につらい。私も友人も、汗を拭く気力もなくなって、ただただ少しでも休まる場所を探していた。歩くこと数分、横断歩道の先に見えたのは、あの緑の人魚のマークだった。あの時の感動!心からの安堵、歓び。第九が鳴り響き、ベルは打ち鳴らされ、神と子とスタバが三位一体となって、真夏のペナンにやられそうになっていた心が再び奮い立ったのである…。
スタバはとても懐が深い。笑顔と明るさと矜恃をもってどんなお客でももてなす店員。いつまでも使えるWi-Fi、コーヒー2杯目のディスカウント、各種カスタマイズの取り揃えなど、サービスも充実している。ドリンクはシーズン毎に新作が発表され、決して飽きない。広いフロアで個性的なイスにゆったりと腰掛け、時間を大切に使うこともできる。客層も幅広い。ドリンクやフード目当ての人もいるし、センスのいい空間目当ての人もいる。作業効率や集中力アップといった能率目当ての人もいる。デートで使う人もいれば、ミーティングで使う人もいる。ここまでカスタマー層が幅広いのはスタバのすごいところだろう。そして、「ちょっと気分が良くなるかんじ」をほぼ全てのカスタマーにもたらしている。この、人の気持ちを上向かせる「air, aura」の正体はなんなのだろう。これはまた今度考えてみたい。
まるで全世界に用意された「理想のリビング、お気に入りのいつもの飲み物」。どこにいても、誰といても、「いつもの」がある安心感、安定感、ある種の信頼感。そしてその危険性。これについて、ちょっと考えたい。
私の思考はどうなってるのか?「いつもの」に慣れ、「いつもの」が固定化され、外出して休みたい時は、瞬間的にスタバを探している。昔はフラペチーノとかなんとかいろいろと挑戦してみたけど、飲むものはすでに1つに絞られている。でも待って。こんなに無思考・無批判でいいんだろうか。「いや、好きなものを好きなように味わえるのって、ステキなことじゃない」と至極もっともな声が聞こえる。確かにそれはそう。でも、「わーこれ素敵!好き!」がいつの間にか、「これじゃないとダメ」「これしかない」に変わってしまったのなら、それは自分の思考を止めて、無限にある選択肢を狭め、知りうるものも知ることができなくなり、味わえるものも味わう機会を逃し、盲目となって、自分の嗜好を制限下に置くことになりはしないか?世界には、そしてもちろん日本各地にも、その土地に根づいた食文化、食の知恵が星のように散りばめられていて、その独自の色彩で過去と今をつないできた。考えてもみれば、その土地その土地にそれぞれの食の文化、店のスタイルが息づいているのは当たり前の話で、逆にスタバのような世界共通のチェーン店が台頭するようになったのは人類の長い歴史で見れば、異例中の異例だ。この話はスタバに限らない。食の文脈だけにも限らない。当てはまるものは多い。多様性が叫ばれるのに、多様ではないものが跋扈する、そんなちょっと不思議な世界。みんなと違っていたいと叫ぶアイデンティティをよそに、みんなと同じものを求めないと安心できない、見てもらえない、と考えるそんなちょっと不思議な心。
物事にはいくつもの顔がある。変わらない魅力も、画一化の歪さも、恒常的な付き合いも、一回きりの巡り逢いも、見る人によってその意味は違うだろう。私は、スタバの凄さを身をもって知っているつもりだが、その恐るべき支配の力も同時に感じている。ロゴの人魚の顔が大きくなるうちに、私の想像力がだんだんと翳ってしまわないよう気をつけたい。
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