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ディズニーシー、それが持つ意味

1年ぶりにディズニーシーに行ってきた。そこで感じたことを、感じたままにつるつる書いてゆく、これはそんな記事です。

ディズニーシー、なんかすごい。学ぶことがたくさんある。

まずは、園全体のメンテナンス=維持に対するプロ意識。シーは今年で開業20周年だそうです。この20年間、どのくらいの頻度、程度で各エリアの修復を行なってきたか知りませんが、とにかくその維持力のレベルが高い。あのバカでかい敷地内のあらゆる建物、機械、小道具、木々、地面、などなど、もう挙げ出したら無限にも思えるほどのシーの構成物を、20年もの間、クオリティーを落とさずに保つことの、いかに大変なことか。作るのは簡単だけど、維持するのは難しい。よく聞くことですが、その難しさを、「私たちは夢の国ですので、クオリティーが今も昔も変わらないのは当たり前のことですよ」とでも言わんばかりのすました顔をして、軽やかにこなしてみせる。まるで水の下のバタつく足を感じさせないような白鳥である。まあ物理的には絶対に老朽化しますので、明らかに開園当初よりも見劣りするかもしれませんが、それをあまり感じさせない技術・努力は凄まじい。

園の物物がすごけりゃ人もすごい。ということで、次はキャストの人たち。はっきり言って尊敬しました。そりゃ従業員側には、ゲストの想像を遥かに超える苦労と手間があって、人間関係だって円滑でないところもあるでしょう。しかしそれを感じさせない。笑顔とホスピタリティ、プロ意識。これもさっきの話に通じるけど、「おそらく大なり小なり大変であろう部分」を、相手に察されたとしても、直に伝わらないようにできるんですね。「それがここの魔法なんです」なんてウィットに富んだことを言って済ませることもできるでしょうが、もう少し考えたい。

なぜ私たちは、相も変わらず、舞浜へ吸い寄せられるように出かけていくのか?そこに何があるのか?何を求めているのか?

魔法、夢、想像と創造、冒険、希望、、、ディズニーを象徴する言葉はたくさんある。そしてそれらのどれもが、はっきり言って「綺麗ごと」である。もし商店街の一角に、「夢と希望の煮干しラーメン、輝く明日の空に向かって、ぜひどうぞ!」なんて手書き看板を掲げる店があったら、味の如何など全てをさておいたとしても、一瞬「え?」と怯んでしまうだろう。では、ディズニーではどうか?むしろ怯むどころか、そこに魅力を感じる人がいる。この例え話が示唆することは、「いかに、広く人の共感・感動を呼び起こし、愛される世界観を創れるか」ではないだろうか。仮に先程のお店の店主が実は、長年患ってきた難病を自力で克服して、コツコツと資金を貯めて満を辞して開業し、丹精込めて煮干しラーメンを作っている、しかもドキュメンタリー番組でも取り上げられたことがあるほどの著名な方だったら、あの看板文句も、前よりはすんなりと受け入れられるかもしれない。

世界観。ディズニーの場合は、各アニメや映画が提示するメッセージと、それを伝えるためのストーリーだ。それぞれの物語が、それぞれの真意を伝えやすくするのにふさわしい登場人物を用いて、その言わんとすることをドラマチックに演出している。まずは視覚、そして次に聴覚を通して、私たちはディズニーの物語に吸い込まれる。吸い込まれても、そのままずっとのめり込んだままかは、この段階ではわからない。なぜなら、目に見えるものより大切なのは、目に見えないものだからだ。いくらキャラクターが可愛くても、いくらCG技術が高くても、デザイナーやエンジニアなどそれ自体を目的としている人たちを除いて、人はそこまで没頭しないだろう。では、なぜ多くの人がディズニーの作品を好きになるのか?そしてなぜずっと好きなのか?それは、目に見えないメッセージ、それが持つ独自の「air, aura」に胸を震わせたからだと言えないだろうか。例えば、いつの間にか親が買ってきてテーブルの上に無造作に置かれているみかんよりも、祖父母の家の庭になっているのを、脚立を引っ張り出してきて自分で採ってきたみかんの方が、同じみかんという品種であっても、より愛着を感じやすいのと似ているかもしれない。つまり、「自分にとって、それがどんな意味を持つのか」ということである。「ディズニーの作品を観たら、何か、印象に強く残った。そして自分の気持ちや今までの考えすらもちょっと変わった」という内的な「意味」が鑑賞者にとって少しでもあったのなら、もうその鑑賞者は、立派なディズニーのファンである。ディズニーの魔法にかかった人である。

ディズニーシーは、そしてもちろんディズニーランドも、そういった彩を放つ世界観をうまく組み合わせ、ゲストの私たちに、各々の興奮と感動を再生産させ続ける。そしてそれが習慣化していく。自分の生活、人生にディズニーがあることが当たり前になっていく。その裏には、園全体を網羅する緻密な運営・管理システム、人的体制、強かなマーケティングなど、夢を商業として成立させうるほどに地に足ついたマネジメントが粛々と行われているわけで、実働ありきの空想、夢ありきの現実という一見すれば相反するような世界が、お互いを支え合って生きている。そういったこの世界の実態を、比較的わかりやすく教えてくれるのが、我らがディズニーである。

などと、炎を燻らせるプロメテウス火山をぼんやりと見つめながら感じていた。コロナが起きても、布陣や体制を素早く変更して適応していく姿、商品やサービスを常にアップデートしていく様、その柔軟性と向上心を、ただただすごいと思っている。そして、ディズニーの世界観の魅力と魔力の絶大さを、今またこうして改めて肌で感じた。そんな1日だった。





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