あの岸田劉生の名画にも電柱?! 電線・電柱を描いた傑作が全国から練馬に集合✨
「電線絵画展」という世にもまれな切り口の美術展があるというので、練馬区立美術館に出かけました。いやぁこんなに電柱や電線が絵に描かれていたのかと、びっくりの連続でした。
つあお 文明開化といえば、「最後の浮世絵師」と呼ばれた小林清親。近代的な夜景の絵をたくさん描きましたからね。でもこの「電線絵画展」では昼の風景の中に電柱と電線がたくさん!!
まいこ 清親については明治の版画家っていう漠然としたイメージだったんですが、電柱を描いた作品にはびっくりしましたよ。この錦絵の電柱、何だかとってもきれい🌟 もしかして、電柱は当時の憧れのアイテムだったりして!
小林清親《常盤橋内紙幣寮之図》(1880年、大判錦絵、練馬区立美術館寄託)展示風景
写生帖にある同じ場所のスケッチと比べると、電柱が高く表現されている。清親は電柱の存在感を強調したのではなかろうか
小林清親《写生帖6》(1879〜1913年頃)展示風景
つあお ジャジャーン。まさにそう! 電柱は明治に入ってすぐ、世の中の近代化の象徴になってたみたいですよ。この錦絵の電柱はすごく規則正しく美しく並んでる。清親の構図力も素晴らしいのだけど、ここには電柱を神々しく描こうという心が現れてるんじゃないですかねぇ。
まいこ ほんとですね! 一見街路樹のようにも見えるけど、すごく整然としていて近代的で人工的。機能美を強調しているようにも感じられる!! 現代では、電柱は地中化の対象になったりして、景観を損なう悪者って感じがするので、逆に新鮮ですね。
つあお この錦絵1枚にも、近代に向かう日本の力が現れている!
まいこ 分かる〜。今気がついたんですけど、描かれた電柱は木で作られているみたいですね。
つあお 確かに! そういえば、昭和時代には木の電柱もけっこうあったような気もするなぁ。
まいこ なので、ちょっと神社のようなイメージが湧いてきました。コンパスとか人の足とかみたいに二股になってるのも面白い形だなと思いました。
つあお をを、木の鳥居なんかのイメージとだぶりますね! さらに神々しく思えてきました。しかも、この錦絵の電柱は、現代のものよりもかなり背が高く見える。崇高さが感じられます。
まいこ 今これが街中に何本も立ってたら、現代アートのオブジェだと思うかもしれません。周りにいる着物の人や人力車の景色ともぴったり合っていますね! 清親はさすがですね。
小林清親《常盤橋内紙幣寮之図》部分拡大図
つあお ところで、今まで電柱電柱って言ってきましたけど、厳密に言うと、この絵に描かれているのは実は「電信柱」なんだそうですよ。
まいこ えっ!? どういうことですか?
つあお 大雑把に言うと、電柱には、電力柱(でんりょくちゅう)と電信柱(でんしんばしら)があって、電力柱は工場や家庭に送電するための柱、電信柱は電報や電話など通信用の信号を送るための線を張ってる柱なんです。現代のインターネット回線を通しているのも、通常は電信柱ということになります。当時はネットはおろか電話もまだ開通してませんでしたが、電報などの電信はあった。電力用よりも電信用のほうが早かったというのは、なかなか興味深いですね。
日本の電報は1870年に始まり、1875年には北海道から鹿児島まで電信線が引かれたという
一方、東京・銀座の街角に初めて電灯がついたのは、1882年。それまでの街灯はガス燈だったという
まいこ ガ~ン! その二つの区別、そもそも今の今までまったくついていませんでした!
つあお 今でも、電力会社が立てた柱とNTT系の通信会社、すなわち旧「日本電信電話公社」が立てた柱は違うんですよね。ただし、お互い借りてることはあるみたいですが。そして、清親がこの電信柱を描いた頃は、街にまだ電気は通っていなかったわけです。電気掃除機も電気洗濯機も、あったとしても家庭では使えなかった。清親が描いていたのは、電信柱なんです。
現代の電柱風景。電力会社が設置した電力柱と通信会社が設置した電信柱がある。共用柱もあるとのこと
まいこ へぇ~へぇ~へぇ~「20へぇ」!。感電しない電線なのかな。
つあお 通信で流れるのも電気だけど、モールス信号が届けばいいだけだから、たぶんそんなに電圧は高くはなかったでしょうね。でも、情報の伝達に革命を起こした電信技術には、今のインターネットのようなインパクトがあったんじゃないかな。明治半ば以降になると、電灯が街角に立つなど電気の供給も始まるようです。
大正時代あたりになると、街の開発に伴って電柱は増える。その点において興味深いのが、岸田劉生の《道路と土手と塀(切通之写生)》。この展覧会ではパネル写真で紹介されています。重要文化財なんだけど、どこが「重要」なのか?
パネル写真で展示された岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915年)
まいこ この切通しの作品は、土の坂道を大きく描いた不思議な絵ですね。
つあお どうも当時の東京・代々木辺りを開発している風景らしいんです。だから、近代化を絵で表している点でまず「重要」。土の描き方なんてすごくリアルで、凝視するとなかなか楽しい。リアリズム絵画の名品です。でも、「電線絵画展」なのに、電線も電柱も描かれてない。実は、どこかに小さ〜く描かれてるんじゃないかと思って、ずいぶん探しちゃいました。
まいこ 真夏の光の中に空と道のコントラストがすごく印象的だなぁ、なんて思いましたけど…ひょっとして、この影は?!
つあお まいこさん、すごいなぁ。影に目をつけるなんて。画面の手前側に描かれているこの2本の寄り添った影がどうも電柱のようなんですよ。
まいこ やっぱり! 実はこの絵は写真ではもう何度も見てるんだけど、影を気にしたことはなかった。今日はこの絵に行き着くまでにたくさんの2本足の電柱を見てきたから、何となく似てるなあと思ったんです!
つあお 素晴らしすぎます。近代日本を表現したリアリズム絵画の中に実は影で電柱が描かれていたというのは、あまりにも心憎い演出ですね!!
まいこ 岸田劉生というと、麗子像のイメージが強かったんですけど、ちょっとイメージが変わりました。こちらの絵では、電柱がちゃんと描かれてますね。
岸田劉生《窓外夏景》(1921年、油彩、カンヴァス、茨城県近代美術館蔵)展示風景
つあお たわくしも、電柱が真ん中に立ったこの絵は初めて見ました。まさしく絵の主要モチーフ。電柱はヒーローのように存在している!
まいこ ど真ん中に立っていて、岡本太郎の《太陽の塔》みたい!!
つあお 《太陽の塔》かぁ。たわくしには、阿弥陀様とか観音様みたいな仏像のように見えます。
まいこ 超然と立っている雰囲気がありますものね!
つあお この絵の隣には電柱が描かれていない似た構図の絵も展示されているんですが、印象がまったく違う。
岸田劉生《晩夏午后》(1923年、油彩、カンヴァス、ポーラ美術館蔵)展示風景
カタログの解説によると、描いている期間に関東大震災が起こり、辺りの風景が一変して描き続けることができなかった作品という。「電柱を描き入れるための余裕を準備していた」とも
まいこ 電柱の絵ばっかり見てきたからか、電柱がないほうが物足りなく感じます。今の時代だと、例えば写真を撮る時には電柱や電線は避けるのに不思議!!
つあお やはり岸田劉生は電柱に何か特別な存在感を抱いてたんだろうなぁ。もうこの展覧会、面白い絵が多すぎて、語り尽くすのが難しいんですけれど、小林清親や岸田劉生とはまったく違う視点で電柱をモチーフにした、どうしても挙げておきたい絵があります。玉村方久斗という日本画家の作品です。どうも2枚で対になっているらしくて、展示替えで1枚ずつ見せてくれるみたいです。なんといっても、この絵のヒーローは、碍子(がいし)なんです。
玉村方久斗《碍子と驟雨(紅蜀葵)》(1943年、紙本着色、京都国立近代美術館蔵)展示風景
まいこ 何ですか、「碍子」って?
つあお 電気を絶縁するための部品です。
《松風陶器合資会社 高圧碍子》(1906年、磁器、東京工業大学博物館蔵)展示風景
現存する日本最古の高圧碍子とのこと。展示室では、まるで茶道具のような風格を備えていた
まいこ うわぁ、オタク度高いですね😁 しかも、伝統的な掛け軸の絵なのに、何の遠慮もなく「碍子」がデカデカと描かれてる!! 驚きです。
つあお そうなんですよ。対になっているのは、どうやら風神雷神を見立てているからのようです!!!
玉村方久斗《碍子と驟雨(紅蜀葵)》(左)と《碍子と驟雨(梧桐)》が対になっている様子は、パネル写真で展示されていた
まいこ それはまたすごい! このバチバチと燃えてるみたいなのが雷神ですかね〜
つあお きっとそう!! とても熱いハート💗を感じます。
まいこ 今日展示されてる涼やかなほうが風神ですね! それにしても、電柱の部品がこんなに風神雷神らしい絵になるなんて!!
つあお 画家というのはすごいですね。こんなものまで神様にしたり仏様にしたりしちゃうんだから。私もそんな画家になりたい。
まいこ Gyoemon(=つあおの雅号)画伯、頑張ってください! 応援してますよー。それにしてもこの玉村方久斗さん、注目の画家ですね。
つあお そうなんですよ。十数年前に神奈川県立近代美術館(鎌倉)で回顧展を見たことがあるんですが、まだまだ埋もれた部分が多い。こうして少しずついい作品が掘り起こされることによって、素晴らしさの全体がだんだん見えるようになっていくんだと思います。
まいこ そういう作家さんなのですね。私は今回初めて知りましたが、ゆるふわでも追いかけていきたいですね!
つあお たとえば玉村方久斗のこういう作品とか、岸田劉生の電柱の影とかを発掘・顕彰した練馬区立美術館学芸員の加藤陽介さんは、とても素晴らしいなと思いました。ご本人にうかがったら、10年くらい前から電柱や電線の絵ばっかり探してたそうですよ。
まいこ 地道な努力の成果なんですね。なんて素晴らしい!! 加藤さんの情熱に乾杯!!🍻
山口晃『趣都』「電柱でござる!」前編・後編(2018年)展示風景
電線・電柱絵画は、山口さん抜きには語れない。山口さんはこの展覧会のカタログに「電柱再考」と題した必読の論考を寄せている。その中で、電線や電柱が美的景観を損ねるものとの見方に疑問を呈し、「電線電柱の悪印象は圧縮写真などで記号的に印象付けられたプロパガンダであり、実風景を虚心に捉えている人は驚くほど少数です」と指摘している
【この絵もステキでした】 by まいこ
揚洲周延《上野公園の夜景》(1895年、大判錦絵、電気の史料館蔵)展示風景
電灯に照らされた女性2人だけが艶やかなカラーで、それ以外の人々や風景は白黒! 映画のハイライトシーンのような演出がお洒落でうっとり👀
そして、この電灯はしっかり電柱に乗っかっていて、電線がつながっている。。。それにしても、チャップリンの映画など西欧のモノクロ映画に出てくるような街灯は、電線につながれていなかったイメージがあるけどなぜかな~? と思っていたら、「昔の映画で電線がないのは大抵ガス燈でしょう」と、つあおさんが教えてくれました!
※掲載した写真は、プレス内覧会で主催者の許可を得て撮影したものです。
【今日のラクガキ】
Gyoemon作《道端の楽譜》
道端を歩いていてふと上を見上げたら、楽譜があったんです! by つあお
Gyoemonはつあおの雅号。
※本作品は「電線絵画展」には出品されておりませんが、ご了承ください
2021年2月28日〜4月18日、練馬区立美術館(東京・中村橋)
[同館のウェブサイトより引用]
街に縦横無尽に走る電線は美的景観を損ねるものと忌み嫌われ、誰しもが地中化されスッキリと見通しのよい青空広がる街並みに憧れを抱くことは否めません。しかし、そうした雑然感は私たちにとっては幼いころから慣れ親しんだ故郷や都市の飾らない、そのままの風景であり、ノスタルジーと共に刻み込まれている景観でありましょう。
この展覧会は明治初期から現代に至るまでの電線、電柱が果たした役割と各時代ごとに絵画化された作品の意図を検証し、読み解いていこうとするものです。
文明開化の誇り高き象徴である電信柱を堂々、画面中央に据える小林清親、東京が拡大していく証として電柱を描いた岸田劉生、モダン都市のシンボルとしてキャンバスに架線を走らせる小絲源太郎、電線と架線の交差に幻想を見出した“ミスター電線風景”朝井閑右衛門。一方で、日本古来よりの陶磁器産業から生まれた碍子がいしには造形美を発見することができます。
電線、電柱を通して、近代都市・東京を新たな視点で見つめなおします。