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ジャケットの胸ポケットの中で、スマホがブルッと震える。どうせまた彼女の亜美からだろう。かれこれ3日はLINEを返していない。そういえば昨夜は電話もかかってきていたが、もちろん折り返していない。仕事が忙しいのは本当だ。しかし、正直なところもう冷めている。理由なんてわからない。付き合って1年。草津やUSJにも行った。楽しい思い出もできたし、特に大きな喧嘩をしたことはなかった。なんでだろう。他に好きな人ができたわけでもない。自分でも不思議だけど急に冷めてしまったんだ。できることならこのままフェードアウトしたい。

まぁ、そんなことばかり言ってられないよな。家には亜美の服やらコスメやらが至るところに存在している。それに、大人たるもの自然消滅なんて良くないよな。わかってるよ。わかってるんだけど。もういっそ、振られた方が気が楽なんだけどな。そんなズルい考えが頭をよぎりながらも3日ぶりに電話を折り返しかけた。

「りょうくん!お仕事忙しかったのかな?大丈夫?今日ご飯つくって届けるよ!」

「ごめんごめん。今日は会社泊まり込みになりそうだわ」

「そっかぁ。わかった!無理しないでね。週末のデート楽しみにしてるからまた連絡してね」

ふう。俺の異変に亜美は気づかないフリでもしているのだろうか。いつも通りの優しい亜美だったが、罪悪感も芽生えない俺は多分人間として大切な何かが欠落している。でも、仕方ないよな。多分、もう終わるんだから。

「りょうくーん!」

麻布十番駅の改札前。亜美と落ち合う前に一服しようと計算してわざと10分早く到着したのだが、亜美はもう改札の前で待っていた。それだけでイラっとして眉間に皺がよる。

「お、おう。コーヒーでも飲もうか」

駅から近いカフェに入り、運良く空席を見つけ座る。俺はブラックコーヒー、亜美はチャイティーラテにカスタマイズでモカシロップを追加。大切そうにマグカップを包み込む手に目をやると、付き合いたての頃に俺がプレゼントしたピンキーリングをつけている。視界に入り、なぜかため息がでてしまう。

「この前、親友の玲子に会ったら妊娠してて、お腹がもうおっきくなっててね」
「職場のすぐ近くに美味しいスムージー屋さんがオープンしてね、そこのバナナ豆乳スムージーがねとっても美味しくて」
「いつも行ってるジムのトレーナーさんが最近すごいスパルタでね」

満面の笑みで繰り出される亜美の矢継ぎ早な近況報告。この前までは、一生懸命に喋る姿も可愛くてたまらなかったんだけどな。今日は話が入ってこない。どうすれば今日のデートを手短に切り上げられるのだろうか。そんなことばかり考えてしまう。

「りょうくん、このあとご飯食べに行くよね?何にしようか〜焼肉?」

「うん、そうだね」

「あ!この前インスタで見たイタリアンが近くにあるからそこにも行ってみたいな」

「・・・う、うん」

もうなんでもいいよ。いつも通り今日も俺が食事代は払うから。サクッと食べて解散しようぜ。と言いたいところだが、言えるはずもなく、少しずつイライラが募り始めた。

「あ、今なら食べログで予約できそう!メインはお肉とお魚どっちがいいかな〜やっぱりお肉かなあ」
「パスタかピザも選べるみたい!インスタで見たアボカドの冷製パスタもある〜!季節限定のしらすのピザもおいしそう。え〜迷っちゃうな〜」
「お酒も飲む?飲み放題コースもあるよ!」

左瞼がぴくぴくし始めた。もう限界だ。

・・・チッ

ダメだとわかってはいたが、舌打ちを我慢できなかった。混雑した店内だったが、半径2メートルにはクリアに届いたであろう舌打ち。間違いなく亜美にも聞こえているはずだ。もうどうにでもなれ。その方が色々と手っ取り早くことが進んで良いだろう。

「え?」

スマホを操作する手を止めて、顔をあげる亜美。さすがに怒らせてしまったかと思ったが、なぜだ。怒りの感情とは無縁そうな、とてもキラキラした満面の笑みを浮かべている。

「え?りょうくん…今、投げキッスした?」

は!?まじかよ。こいつ舌打ちの音を投げキッスの音だと勘違いしているのか。どんだけポジティブなんだよ。そんなことある?もはやおかしくなってきた。笑える。

「りょうくん、なにニヤニヤしてんの〜出先で恥ずかしいからやめてよね」

頬を赤らめて笑顔を浮かべる亜美。あれ、なんかおかしいぞ。
その表情を見ていたら、なんだか可愛いと思った。好きかもしれないと思ってしまった。俺って単純なのかもしれない。

「…メインは亜美の好きな方でいいよ、久しぶりに一緒にワインでも飲もうぜ」

カップに添えられた亜美の手を、一回り大きな俺の手で包む。滑らかで華奢な手。ピンキーリングに触れている小指だけがひんやり感じる。久しぶりに触れ合った。

ブルッ。

亜美の手から微かに振動が伝わってきた。手首に付けられたアップルウォッチの通知のようだ。液晶に何らかのアプリの通知が表示される。白い背景に金色の炎マークがあしらわれたアイコン。

電話やLINE、インスタではなさそうだ。
しかしこのアイコン、どこかで見たことがあるような…
あれ、これもしかして…

Tinder…!?しかもゴールド会員!?

驚き、顔を上げると亜美はほんの少しだけ舌を出してにっこりと微笑んでいた。

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