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日本刀というものの本質は、武器か、美術品か

 数年前から、若者の間で、日本刀を擬人化したゲームが流行している。そして、美術館でも日本刀の特別展示があると若者が行列を作って、大盛況になっているらしい。
 私が東京国立博物館(東博)などによく行っていた2007年頃は、東博の常設展示の日本刀のコーナーには人はほとんどいなくて、名物 三日月宗近も鑑賞している人はいなくて、1人で30分くらいは独占することができた。しかしながら、2018年の秋に、京都国立博物館で開催された「特別展 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」で、同じ三日月宗近が展示されていたが、平日(確か金曜日の夕方)に行ったにもかかわらず、入場するにも行列で、三日月宗近を見るのにもすごい行列で、現物を見られた時間も30秒もなかったのではないかと思う。ちょっと信じられない思いをした。それ以降、あまり美術館に鑑賞のために出かけることは少なくなった。
 ところで、日本刀の本質は何かということに疑問も持つことがあった。日本刀は、武器であることは間違いはないであろう。しかし、

信仰の対象ともなり、権威の象徴ともなってきました。また武士の魂と言われるように、日本刀を見て武士道の精神を感じる方もあるでしょう。日本の歴史の中で、日本刀は千年を越えて大切に保存され、その果たされた役割は大きく、いまなお制作当時の姿を伝え、燦然と輝いている日本刀は、世界に類を見ない日本の文化財です。日本刀に美を感じることは、日本の文化を感じることではないでしょうか。(“魅力 | 刀剣博物館”. www.touken.or.jp. 2024年1月25日閲覧。)

“魅力 | 刀剣博物館”. www.touken.or.jp. 2024年1月25日閲覧

というように、武器というよりも美術品であると考えられるわけです。
 2014年頃に、ある日本刀の名工の特別展が開催されて、その時に刀剣研師の方の講演を拝聴することができた。日本刀を研ぐ技術を説明していただき、また、日本刀の鑑賞の仕方を踏まえた研師の方の視点を聴くことができ、とても有意義であった。講演後に、質疑応答の時間もあって、そこで、「今、先生が日本刀を研いでいるのは、日本刀の実用のための研ぎ方ですか、それとも観賞のための研ぎ方ですか」という質問をされた方がいた。
 研師の方は、苦笑しながら、「実用的な研ぎ方という意味はわかりませんが、今の時代に日本刀の実用ということを考えられる余地はありません。そうすると、皆様に観ていただくために研いでいるということになりますね」というニュアンスのことを回答されていた。質問された方は、観賞用の研ぎ方というものでは、もしかしたら武器として実用的な研ぎ方にはならないと仮定して質問されたのであろうと推測される。日本刀だけでなく、刃物はものを切るために研ぐという行為をすることは間違いはない。映画「たそがれ清兵衛」では、清兵衛(真田広之)は藩命を受け入れてから、また家族の元に戻るために覚悟をし、刀を研ぐという場面がある。清兵衛が真夜中、不気味に張りつめた緊張感が漂う中で黙々と研ぐ場面は山田洋二監督としては寅さんシリーズなどとは違った現実味溢れるシーンであると思った。ここで刀を研ぐ清兵衛はこれから対峙する吾善右衛門(田中泯)を倒すために実用的な研ぎ方しているのだろう。
 刀剣博物館の説明にもある通り、古くから、信仰、権威の象徴ともなっており、大名などの権力者の間で贈り物として取り扱われてきたような刀は鑑賞のために研がれていた可能性がある。

 結局、日本刀は武器ではなく、鉄を使った世界でも類を見ない美術品であるということができる。

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