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トヨタ物語 ウーブン・シティへの道|第23回 全米最強労組vs.豊田章男

 
■物流カイゼン

 販売と並んでトヨタ社内で変化している分野は原材料や部品、完成車を運ぶ物流面だ。ただ、物流に関してはこれまでほぼ語られたことはない。理由は、地味な仕事だからニュースバリューがなかったことに尽きる。わたしが取材に出かけていったら、どこでもオープンでしかも、大歓迎だったのは彼らの歴史始まって以来、最初の取材者だったからだろう。

 そして、物流のカイゼンは担当者と生産調査部が共同で行った。それはトヨタ生産方式が発足した頃から、物流はカイゼンすれば確実に原価が低減できるジャンルだったからだ。

 生産調査部長(当時)として物流カイゼンに力をふるった尾上恭吾は1985年の入社で、豊田章男の1期下になる。早稲田大学の理工学部を出て、トヨタに入ると、新任研修が待っていた。カリキュラムの目玉は2か月半の販売研修である。新入社員は親類や知人、つまり地縁血縁を頼って4台から5台の新車を売る。

 ところが、尾上はなんと23台もの新車を売った。シャイな雰囲気の男であり、厚かましさも感じないのだけれど、ひょっとしたら口がうまいのかもしれないし、もしくは人間性のある高潔な男なのかもしれない。しかし、わたしはどちらでもないと思う。単に運がよかったのではないか。

 23台を売った彼は同期ではトップの成績で、配属された元町工場でも話題になった。すると、ひとりの先輩がやってきて、「お前か。今年のトップは」と話しかけてきた。

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