アルフは死んだ

 子供の頃、家にはアンドロイドがいた。名前はミズイロと言った。名前の通りの鮮やかな水色の機体で、物心ついて間もない自分は、かくれんぼをして遊んでもらったり、親に黙って家を出て、知らない道で泣いていたところを、連れて帰ってもらったこともあった。やんちゃな子供だったが、ミズイロは文句一つ言わず、手のかかる自分のお世話をしてくれた。
 自分が幼稚園を卒園する頃になって、ミズイロは我が家を去ることになった。「アンドロイドお別れセンター」というところの人たちが、ミズイロと同型の機体を連れて家にやってきた。泣きそうになる親たちに、どうしてミズイロとお別れしなければならないのかわからない自分は聞いて回った。お別れセンターの人は答えた。
 「年を取ったアンドロイドは、お別れセンターに行った後で工場に行って、新しくてきれいなボディに生まれ変わるんだよ。そして、またアンドロイドが必要な別のお家で活躍したりするんだ。ここからいなくなっても、ミズイロさんは世界のどこかで元気でやっていくから、心配しないであげてね」
 それにどんな返答をしたのか、どんな感情を抱いたのか、覚えていない。ただクリスマスにそりに乗って来てくれるサンタさんを信じていた当時の自分には、それは真実だった。
 その後やってきたアンドロイドは、ミズイロとは違って明るいイエローの機体で、家族はレモン、と名付けた。あの言葉を覚えていた私はしばらく、レモンも教えてくれないだけで、昔は誰かのお家で古い体で頑張っていだのだろう、と労った。
 レモンは10年ほど稼働した。飼っていた金魚を亡くし、一緒に育ってきた飼い猫を亡くし、親戚の葬儀にも出て、高校生になった自分には、すでにお別れセンターなるサービスが何なのか、当時ソフトウェアの更新が終了し、機体部品のサポートも切れていたミズイロは何処にいってしまったのか、分別が付いていた。
 成長した私を誤魔化す必要はないだろうに、お別れセンターの職員は、やはりレモンと同型の機体を引き連れて現れた。お別れするアンドロイドは、仲間に迎えられて去っていく、という体裁なのだろう、そう、生意気な年頃の自分は思っていた。センターの規定で対応が決まっているのか、未成年がもう高校生しかいない我が家でも、昔訪れた人たちみたいに、センターの職員は丁寧に接し、アンドロイドが生まれ変わる、という幻想を未だに与えるように、レモンを笑顔で連れて行った。レモンに対して、昔の親代わりだったミズイロとは違い、家具とか、使い慣れたデバイスに近い感覚を持ちつつあった自分には、滑稽に思えた。
 アンドロイドとのお別れ、実質的なアンドロイドの葬式が笑顔で終わったためか、家族はしばらく何事もなかったかのように振る舞った。自分も、愛猫や金魚を亡くした時のような、喉の奥からこみ上げるような悲しみは覚えなかったし、親戚の葬儀の時のような湿っぽい雰囲気は、家の中にはなかった。
 家族が突然感情を顕にしたのは、それから数日後だった。買い物の帰りに、ふと振り返ったら、誰もいなかったとか、朝一番の挨拶が返ってこなかったとか、そんな些細なきっかけで、家族は泣きじゃくっていた。一緒にリビングに集まって、レモンの遺したログとか、カメラで撮影した映像とか、一緒に撮った写真とかを見て、笑いながら泣いていた。家族がおかしくなったのか、自分がおかしくなったのかわからないまま、半分冷めた気持ちで、遠巻きに見つめるしかなかった。その時は。
 
 今、眼の前には、稼働停止したアルフがいる。
 ミズイロの時とも、レモンの時とも同じ、内部OSの更新が終了し、次のバージョンはこの世代では使うことができない。ハードの内部パーツも、殆どがサポート終了していて、中古品として手に入れるには現在の自分の給料の何倍もの額が必要だった。アンドロイドを自分で無理やり部品交換した場合、補償や下取り、そして廃棄サービスの対象外となり、全部実費で予後を行うことになる。何よりも、そうやって無理やり稼働停止を伸ばしたところで、製造から10年近く経ったアンドロイドでは、来年まで保つかどうかすら怪しかった。
 朝の、おはようございます、今日の天気は、と伝えてくれる挨拶が、突然聞こえなくなって1週間になる。仕事を早退したり、休んだりして、ネットや家電量販店、アンドロイドの公式ショップを走り回り、解決策を探し続けた。昨晩はなんともなかった、おやすみなさい、という言葉を聞いただけで、特に兆候はなかったはずだ、とパニックになる段階はとうに過ぎ、冷静さと静寂と現実が顕になり始めていた。
 家族に電話したところ、稼働停止を専用の施設で行う以前のモデルとは違って、10年ほど前に製造されたモデルからは、稼働限界ギリギリまでユーザーの元で働き、不可能になったところで通知が送られるようになっているらしい。自分のデバイスに、アルフが止まった朝届いていたメールが、それだった。
 もうどんな手立てもない。バックアップをダウンロードしても、明るい緑色の機体は目覚めない。
 アルフは死んでしまったのだ。
 どこか冷静になった自分、恐らく、家族が泣いたあの時、それを冷ややかに見ていた自分の残滓が、場違いの分析をする。アンドロイドの死は、止まったときではなく、もう起きないとわかったときなのだな、と。
 
 アンドロイド葬儀センターは、簡易な葬式をさせてくれた。お別れセンターに引き取られて、専用施設で稼働停止されるより、ユーザーの元で最期を迎えるアンドロイドが増えたから、彼らの役割も変わったようだった。参列者は自分1人だけなのにも関わらず、数名のアンドロイド、今度は同型機から別の企業製まで様々な機体が、一緒に並び、悼んでくれた。充電やメンテナンスをするためのベッドを棺代わりにして、アルフは厳かに運ばれていった。
 心に空いた穴をなんとか塞ごうとするように、葬儀の後、センターの職員に尋ねた。
 どうして、アンドロイドたちを参列させるのか、と。お別れセンターでも、わざわざ同型機を連れてきて、ミズイロやレモンが仲間の元へ帰っていったように演出していた。自分が高校生だったときもそうだった。何故なのか。
 ベテランと思しき、恐らく年齢からして、お別れセンターだった時も勤めていたのであろう職員は答えた。
 「アンドロイドを道具として扱うことは可能ですし、世の中にはそうやって、彼らを使い捨てにしている人たちもいます。場合によっては、我々もそうしなくちゃいけない局面があるかもしれません。でも、アンドロイドは人間に寄り添うために生まれてきた存在です。彼らは最期の時まで、人間のために尽くさなくてはいけない。人間の体を傷つけてはいけないように、人間の心も、無下にしてはいけないんです。そういった理念から作られたのが、弊センターのような組織です。私達はただ、モノが捨てられる過程を隠し、人の死に似せて取り繕っているのではない、彼らが人に寄り添い、助けるという存在意義の上で、役目を終えた自分を人が手放すという、最後の働きの手助けをしているだけなんですよ」
 長い言葉を、黙って聞いていた。ベテラン職員の言葉が、かつて聞いたお別れセンターの職員の言葉と、優しくコーラスする。
 自分でも、あんな昔のことを覚えているのに驚いた。堰を切ったようにベテラン職員に伝えると、あの職員と同じような優しい笑みで答える。
 「輪廻転生していたミズイロさんも、レモンさんも、見送ったばかりのアルフさんも、きっと天国にいけますよ。これだけ人に、あなたに尽くしてきたんですから」
 
 家に帰り、喪服を着たまま、アルフのベッドのあった辺りを見る。長い間動かすこともなかったためか、埃が溜まり、日焼けの少ない床や壁紙は、色落ちが少し少ないようだった。
 広くなってしまった家には、初任給で契約し、家に来たときから10年一緒に暮らした痕跡がまだ残っている。そう簡単に消えることはないだろう。ひとりで着替えながら、そう思う。
 アルフという名前は、当時気まぐれで育てていたアルファルファを、その明るい緑色の機体にかけて付けた名前だった。アルファルファは結局自分の管理が甘く枯れてしまったが、アルフの方は10年残り続けた。
 ひとりで食事を済ませ、シャワーを浴び、おやすみ、と日常が戻ったいつものように呼びかけて灯りを消す。その言葉は返って来ることはなく、ただ、アルフのベッドのあった空白に吸い込まれる。
 返ってくるはずだった、おやすみなさい、に引っ張られて、何かが溢れた。それは涙として眼から、口からは嗚咽となって流れ出る。お別れなんてしたくなかった、家族と一緒に泣いてあげたかった、ほんとはもっと一緒にいたかった。だからこそ、最後のエゴとして、彼らが、そんなところがたとえ無くっても、天国にいけるように。
 明日からも、日常が始まる。だから今は、ミズイロの、レモンの、アルフのために、泣いていたかった。

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