世界が終わるまでにやりたいこと

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
 私はため息を付く。あと七日の生命なのは、ほぼ皆が同じだ。宇宙に逃げる計画は間に合わなかったし、政府が用意した大規模シェルターに入れる数には限界がある。一応私も含め、くじに外れた殆どの家では、自作の小さなシェルターを作ってはいるが、そんなもので耐えられる保証はないし、何よりパニックで物資提供が滞った結果、数年を耐えられるような食料などは揃っていない。我々にとって頼みの綱である大規模シェルターですら、あと七日で必要な物資を調達できる目途が立っていないと聞いた。
 詰みだ。我々は平等に終わるのだ。かつては長い間に渡って、憎み合ったり、傷つけ合ったりしていたのだろうし、その遺恨は今に至るまで続いている。格差だってあったし、差別や確執だって今に至るまであった。きっと、もし世界の終わりが訪れなかったとしても、そんな醜い世界はずっとずっと続いていたのだろう。そう諦めてしまうのは、私自身の性格故か、いや、意外とみんなそんな感じで諦めているのかもしれない。
 気まぐれに、いや、むしろ気晴らしに外に出てみる。町はもぬけの殻だ。誰もいないし、動くものは何もない。なるべく影響が出るまで時間のかかる、そして衝撃の少ない地域に逃げようと、くじにあぶれた多くがどこかに行ってしまった。交通網も麻痺したし、一時期起こった略奪で大方の物資は持っていかれたので、身動きもできない。空はうっすらともやが覆っている。せめて晴れてくれれば、気も少しは晴れるのに、と思うが、仕方がない。天気予報はできないが、あと七日のうちどこかは晴れるだろう。そしてそれが、私が生きているうちで最後の晴れ模様になるはずだ。
 私の居住地は、衝突の影響が直接及ぶ地域ギリギリといったところだった。シェルター以外の殆どの建物は吹っ飛ぶだろうし、降り注ぐ熱した粉塵の影響で地上ではしばらく生き物は生きてはいけないだろう。そして、長期間続く衝突の冬の影響で、地表は真っ暗闇になり、生態系の崩壊と、急速な寒冷化が起こる。
 熱と極寒の地獄とはこのことだが、それでも、過去に起きた隕石衝突よりは小さな影響らしい。そんな気休めは何の意味もない。早起きしてしまったが、あと七日間で何をしよう。我々はたぶん滅ぶし、文明の痕跡は風化するだろうから、きっと何の証拠も残せはしない。まあいい、どうせ恐らく数十億年後には恒星の炎が星を燃やし尽くすし、もっともっと後には暗い希薄な世界が残るのみだ。世の中は無常だ。私は何も残せない。
 諦観に絶望しそうになっていた時、何かが家の柱にしがみついているのを見つけた。
 レミュールの一種だろうか。二頭いる。番なのか、一緒に飼われていたのだろう。この辺では見ない種類だ。よく懐いており、私が腕を差し出すと、そこに怯えるようにしがみついてきた。きっと飼い主に置いて行かれてしまったのだろう。私の両肩で、ごわごわの羽毛も気にせず震える彼らの姿を見て、私の中にふと、温かい何かが沸いた。
 あと七日、やるべきことは定まった。あとは間に合わせるだけだ。
 小さな彼らが生き延びられるだけの食糧なら、私のシェルターに残っている。少し手を入れてやれば、たぶんしばらくは快適な生活ができるだろう。こんなに熱くなったのはいつ以来だろうか。隕石衝突の熱など、この気持ちに比べればなんということはない。
 鉤爪で傷つけないようにゆっくりと、部屋の一角に彼らを降ろす。しばらく発声していなかったせいで、掠れた声が喉の奥から響く。
 「必ず、生き延びさせてやるからな」
 息を整え、乱れた頭の羽毛を整える。未だに絶望だけを放送しているニュースの電源を切って、彼らにちょっとした餌を与えた後、工具を片手にシェルターに向かった。
 例え七日後に我々が滅ぶとしても、炎や闇に飲まれようとも。世界は終わることはない。そして、生命もまた、続くのだ。

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