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物語にできない感情を、ただそのまま受け止める


恋人にフラれてしまって辛いとき、友達にどんな言葉をかけてもらいたいですか?


かつてのぼくが、フラれてしまった友達にかけていた言葉は

「別れたことで、こういう学びも得られたんじゃない?」「また新しい出会いあるよ!」

みたいな言葉でした。友達の痛みをポジティブに意味づけようとしていました。


でも、ぼくは1年半くらい前に、わりと長いこと付き合っていた恋人にフラれて、大いに傷ついてしまったのですが

その時友達に意味づけされたり、ポジティブに解釈されたりしても、全く癒されませんでした。


その時にかけてほしかった言葉は

「それは辛いね」「しんどいよね」

という言葉でした。

ぼくが求めていたのは、辛いという感情やその経験を、ぼくと一緒にそのまま受け止めてくれることでした。


もちろんどんな言葉で癒されるかは人によって違うけれど

しんどかった時のぼくは、意味づけされることではなく、ただ感情や経験をそのまま一緒に受け止めてくれることを求めていました。


生きていると楽しいことも辛いこともたくさんありますが、ぼくたちはその一つ一つの経験・感情に意味を見出そうとしがちです。

「その時の気持ちから何を学んだ?」「それをどう今後に生かす?」「価値ある体験をしたい!」


確かに、体験から学び、学びを生かすという「物語」は、とてもすっきりしていて、わかりやすい。

痛みや苦しみについても、例えば「今の痛みは、幼児期にこんな体験があったからなんだ」と意味づけすることで、解消されたり癒されたりすることもあると思います。


一方で、物語にうまく回収できないような、断片的で、その時にはうまく解釈できない経験や感情もたくさんあるはず。

わかりやすい物語を描こうとすればするほど、それらは見落とされてしまいます。

分析も一般化もできないような、これらの「小さなものたち」に、こちらの側から過剰な意味を勝手に与えることはできないけれど、それでもそれらには独特の輝きがあり、そこから新たな想像がはじまり、また別の物語が紡がれていく。(岸政彦『断片的なものの社会学』)


痛みや苦しみについても、物語化によって癒されない痛みがあることがわかってきているそうです。

物語によって意味付けることが難しいような傷があり、それには精神分析にような治療が効かない。(中略)解釈や物語化によって消えないタイプの傷が今日現れてきてしまった。(熊谷晋一郎ほか『一人で苦しまないための「痛みの哲学」』)

まさに、ぼくのフラれた痛みが物語では癒されなかったように。


うまく物語化できない経験・感情・痛みに対して、ぼくたちができることは、ただそれを受け止めることだけです。

そして、それらはよくわからなくて、受け止めるのは大変で、だからこそ一緒に受け止めてくれる他者が必要になるのだと思います。


もし解釈できない経験や感情を前にして、受け止めきれないなあと感じた時は、あなたの周りの友達を頼ってみてください。

「一緒に受け止めてほしい」と伝えてみてください。


頼られたあなたは、一緒にじっくりそれを受け止めて、噛み締めてみてください。

友達の経験を想像してみて、生まれた感情を言葉にしてみてください。


そんな繋がりによって、誰かが救われればいいなあと思いながら書いてみました。


(写真は、オランダ、マーストリヒトにある世界で一番美しいらしい本屋さん。教会をリノベーションしていて、確かにとても美しかった。)

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こちらのnoteは、ぼくがインターンしているcotreeのadvent note企画、二日目です。

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