見出し画像

年下、人の成長を喜べる人になりたい

吹奏楽時代に、私には勉強も運動も音楽もなんでも出来る後輩がいた。
周りの同級生は、「Nakamyuhnよりこの子の方が上手いじゃん!」ともてはやし、私も不本意で素直に喜べなかったが、「いや下手くそだろお前の耳にくそ溜まってんじゃねえの」とも言えなかった。

ネット上でも、「先輩よりも後輩の方がデキるから劣等感がある」という人もたくさんいた。間違いなく、それは過去の私の写鏡だ。

後輩や子供は大切なホープ

私も、少し後悔していた。劣等感丸出しで褒めない先輩って、なんか私にとってはやだ。もっと褒めてあげられる先輩でありたかった。どんな後輩から見ても、褒めない先輩はあまり好きになれないだろう。後輩ちゃん、ごめんね。
後輩や、子供は次世代の社会を担う大切な存在だ。だからこそ邪険に扱ったりせず、愛を持って褒めるところは褒め、改善点はアドバイスしたらいい。
でも、劣等感を持つ人達はこの国には異常に多い気がする…。

教育が全て

資本主義社会だと、どうしても競争が激しくなり、弱肉強食になってしまうことも多い。
だが欧米諸国は、たくさんの優秀な企業を生み出している。これは間違いなく、良い先輩が良い後輩を生み出しているから。
一方日本では、ここ数十年、経済が停滞し、会社に勤める人々の顔も陰鬱そう。
これは、同調圧力や、損得教育を進めてるからだと思う。
同調圧力下だと、自分の意見が言えず、自分の意見に自信がなくなる。
親から「○○しないと損するよ」となると、周りの人を尊敬できず、自分のことだけに必死になってしまう。そしてデキる後輩に嫉妬してしまう人が現れてしまう。(欧米諸国にもこのような人は少なからずいることは知ってる)
親は愛があれば人生幸せになれるよ、とは教えない。だから、劣等感丸出しの彼らが100%悪いとは言いきれない。

(少なくとも、愛を持って後輩に接していれば、こんな劣等感丸出しのダメな先輩にはならなかったと思う…。)

劣等感を持つ大人が多すぎる

最近、とある総理大臣が裁判がなんたらかんたら、ということで話題になっているが、彼も例外ではない
周りは東大卒、自分だけFラン、劣等感丸出し。

東大卒でも、劣等感を持っていたら嫉妬深くなり、ネトウヨになりかねない。
Fラン大学卒でも、「自分は社会に必要な存在!」と思えていれば良いのだが。
彼は劣等感丸出しで首相へ。そして彼は、自分のポジションのためなら嘘や隠ぺいも辞さないクズになってしまったのだ…。
(私は嘘ばかりの与党も嫌いだが、仕事しない野党も好きじゃない。みんな香ばしいしうんざり)
そして自分のポジションを守るために必死になる姿は、まるで後輩の成長を褒めずに自分にばかり必死になっている私みたいな姿でした。

今、そんな人達が社会を運営している。同調圧力に押され、技術革新もできない。。
このような社会を誰が変えていくの?そして、このような教育はいつ終わるのか。
私は、少なくともこのような記事を書いてるんだから、「愛を持って周りを大切にして」という教育を子供にしたいと思う。
最後何が言いたかったんだろ。わかんないや。頭働かねーーーよ!!!