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恋がわからないのは、そんなにいけないことですか

大学生の時にほんの少し、ついこの間までの2年半。
たった二人だけどお付き合いしてみて、やっぱり「好き」とか「恋」とかってよくわからないなと実感した。

「大事にしたい人」はわかる。「ずっと一緒にいたい人」もわかる。「いなくなったら困る人」もわかる。「絶対に味方でいたい人」もわかる。
「手を繋ぎたい人」はわからない。「キスしたい人」もわからない。「それ以上がしたい人」もわからない。「私だけをみていてほしい人」もわからない。「一緒に暮らしたい人」もわからない。「好きな人」もわかるはずがない。

前の彼氏とは2年同棲していて、その間は「好きだよ」と思う時もあったけれど、「付き合っているのだから好きと思うことが当たり前なのだろう」という意識の中で感じていたことなので、ふと大事にできないと感じた瞬間に一気に全てがダメになって、何が好きなのか、この人の何を見ていたのかがわからなくなってしまった。これまで見てきた彼とその時の彼が全くの別人に見えて、彼に対して心が1ミリも動かなくなってしまった。
「ああ、やっぱり私は薄情だなぁ」と感じたけれど、それまで私は自分に『彼のことが好きになる魔法』をかけていたんだろうなと思った。これはあの2年半のことも、彼自身のことも、あの期間の私自身のことも、全ての私の発言も否定することになるが、きっと魔法がかかっていたのは間違い無いのだと思う。申し訳ないとすら思えない。なぜならあの期間の私と今の私が全く違う人間になっているからだ。(どちらも私であることに変わりはないけれども)


未練がない。未練がなくなるほど、こっぴどい別れ方をしたわけではない。むしろ円満に別れた。円満すぎて友達になれるかと思ったけれど、私が『友達』に対しての基準を高く設置しているので、彼と友達にはなれなかった。これからも連絡取りあいたいな、なんて微塵も思えていない。
別れた時は情が残っていたので「友達になろう」と言われて「そうだね」と言えたし、「友人四天王と俺どっちが上?」って聞かれても「また別物だよね、あなたのことは大事だよ。2年も一緒にいたんだから」と答えたけれど、その時の情すらなくなっている今、思い返すたびに「友人四天王と比べるなんてどういうつもりだ」「ずっと大事にしたい友人と、もうこれから一緒にいたいと思えなかった人。上も下もへったくれもない」とある種の怒りすら覚えてしまう。

私はあの2年半、どこにいたのだろうか。あれは本当に私だったのだろうか。
人を好きになって周りが見えなくなってしまうなんて可愛らしい現象ではなくて、人を好きになるための魔法を最初にかけたのか。
私が私のままでは『一般的な恋愛感情を持つ人の好き』と同じ熱量で好意を抱けないから、『一般的な感覚になるための魔法』をかけたのか。

ゾッとする。

付き合いたての頃、「好きだったらこれくらい普通だよ」「好きだから知りたいんだよ」「好きだから嫉妬するんだよ」「好きだから束縛したいんだよ」「好きだから離れたくないんだよ」「好きだから」「好きだから」「好きなんだったら」とたくさん言われた。そして、私は「好きならこうすることが普通」とどんどん普通を吸収していった。
そしていつのまにか私はベタベタくっつくことができ、どこまでも相手を深追いすることができ、その辺の通行人にすら嫉妬できるようになり、ある程度束縛できるようになり、常に側にいるようになり、好きなんだからと相手と同じだけのことができるようになっていた。


洗脳とは言わない。それではあまりに相手が可哀想すぎるから。でも、あの時の私だって私のはずなのに、これらの感情を抱くことができたはずの私は今どこにもいない。好きな人がいないから隠れてしまっているわけではないことくらい、私にだってわかる。
あの時の私は結局、私が作り出した『20代女性、彼氏のことが好き』と設定されたペルソナだったのだ。


普通になりたかった。普通に恋愛感情があったら、結婚してみたいと思ったり、子供が欲しいと思ったり、大事にされたいと思ったりできて、きっと楽しいんだろうなと思った。
楽しかった。2年半、私はちゃんと普通で、ちゃんと恋愛感情のようなものを創造できて、結婚したいとも思って、子供が欲しいとも思って、大事にしたいし大事にされたいとも思った。とても楽しかった。普通だった。

普通を知れたけれど、私にもともと備わっている普通じゃなかったので、ちょっとしたきっかけで全部が崩れた。一つも積み直せなかった。崩れたら最後、もうそれで終わりだった。
別れることになった日、仕事から帰ってきた彼が「もう俺に気持ちなんかないでしょう。もう気持ちが戻ることもないでしょう」と言った。その時は彼が頑張るのを待つという話になっていたので「うん、無いよ」なんて言うわけにもいかず、「いや、、、別にそんなんじゃないけど、、、」と答えた。そうしか答えられなかった。
それを聞いたか聞かずかわからないが、その直後に彼は「もう気持ちも戻らなさそうだから、別れましょう」と言ってきた。私がフラれるんかい(笑)とちょっと思ったけれども、正直ホッとした。別れることができて、ホッとしてしまった。

もう、これ以上『好き』を作り直せなかったから。


結局、私に恋愛感情があればこんなひどい話にはならなかっただろうし、別れたにしてももっと違う感想を抱けていたはずだ。なんだか、恋愛感情がないというのは大罪のように思えてしまう。
付き合っている間、「あなたはちゃんと恋愛感情があるんだよ、こうやって俺と付き合っているわけだし」と彼に言われて、その時は「そうだね♡」なんて答えていたけれど、今となってはとてつもない罪悪感に襲われる。そうだね、なんてことはなかったのだから。

やっぱり無い、私には恋愛感情は無い。どこを探したって、心の引き出しを全部ひっくり返したって、無いものは無い。
これからもし私が誰かと一緒になることがあったとしたら、それは恋愛感情ではなくて「ずっと一緒にいたい人が一緒にいてくれることになった」場合か、「一緒になる必要がある人と一緒になった」場合のどちらかでしかないと思う。
後者の場合は打算に違いない。ひょっとしたらまた、相手のことをひっそりと傷つけているかもしれないし、どこかのタイミングで大いに傷つけることになるかもしれない。

でも、打算があったとしても傷つけてしまったとしても、もう誰にも責められたくない。私は私に責められることでもういっぱいいっぱいだから。
私は自分に『恋愛感情が無い』と認識するたびに打ちひしがれている。それはもう初めて自覚した大学生の時から、何かあるたびにずっと傷ついてきた。私に恋愛感情さえあれば傷つかなくて良い人たちがいたことにも、そうなるたびに傷ついてきた。全ては私に『恋愛感情が無い』からだと。
傷ついてきた、と自分で言うことほど馬鹿なことはないけれど、それだけ私にとっては重たいことなのだ。


恋愛感情がないのはそんなにいけないことですか。
恋がわからないのはそんなにいけないことですか。
誰かを欲するのは恋愛でなきゃいけませんか。

愛だけじゃいけませんか。
誰かの幸せを願う愛だけじゃいけませんか。
愛する人と一緒にならなきゃいけませんか。
大事な人の大事な人にならなきゃいけませんか。

そんなことないでしょう?
そんなことないよって言ってほしい。

でも、2年半もあったのに結局好きがわからなくてごめんね。
全部を否定することになってごめんね。
あの時の私にも、彼にも、あの時を知っている人たちにも、

ごめんね。

たのしく生きます