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わたしが映画として見たWurts『Talking Box』(脳内で)


マザー・テレサは言った「愛の反対は憎しみではなく無関心です」と。

そう、できればわたしはずっと無関心でいてほしかった、あなたたちから。

クラスのいじわるな女の子3人グループ、バカ男子ども、バイト先のセクハラ店長、クサイお父さん、やたらと干渉するお母さん、みんなわたしを憎んでいるし愛している。

でもそれは本当の愛じゃないわ。本当の愛は無関心。ただただわたしに無関心にかまってほしいだけなの。

なのにどうして?誰もあたしをかまってくれないの?無関心に。

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そんな鬱々とした日々を過ごす、さびれた街のレストランのウェイトレスとして働くバイトのエマは、ハイスクールの単位も落としそうで、家にも帰ることがなかったから、レストランの店長に渾身の蹴りをお見舞いして、バックヤードを無理やり占拠し、自分の縄張りにしていた。

その日も、まばらに座る客どもにテキトーに給仕をして、お尻を触ろうとする店長をトレイではたいて1日をやり過ごすはずだった。

しかし、謎の覆面・ダーティが現れたことによって2人の逃避行がはじまる。

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ダーティはエマに何も要求はしない。体を求めたりなんて決してしない。徹底して無関心だ。そもそもひと言も言葉を発しない。
エマは目出し帽から覗く目とごくたまに引きつるくちびるの端から彼の意思を読みとる。
ダーティはエマが彼の意思を勝手に解釈するままに従い、粛々と逃避行を続けていく。

何という解放感!!エマはダーティを理想の「無関心」な遊び相手に認定し、「こんな旅こそ天国に一番近いわ!」とあながちウソではないことをうそぶく。

しかし、中盤で現れる防護服をまとった宇宙から帰還したと思しきこれまた謎の一団がエマとダーティを執拗に追跡する。エマの首筋にいつの間にか刻まれたコードが一団がエマたちを追う理由であるらしいが、その真相は決して作品内で語られない。考察しようにもそれらしいヒントも皆無と言っていい。

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そんなグダグダなストーリーだが、小気味良いテンポの編集とカット割、パステルカラーの映像が、一部の若者が「おしゃれでいい感じ」とそれほど熱のこもってない支持を表明するにはうってつけの出来栄えにしている。

だからといって、この作品を観覧したわたしが表明したいのは、これがよくできたサブカル系(古い!)アート風ムービーという評価ではない。
むしろ主人公エマの願望である「無関心」をストーリーから観客に至るまで貫徹しようとした作品の挑戦的態度である。

この作品のために書き下ろされたWurts『Talking Box』という、ロック寄りなブレークビーツのエレクトロサウンドというトレンドを押さえ、かつ冷え切ったことにも気づかないほど冷え切り、熱を持つことを期待することなんて思いもよらない「日本のいま」を体現するクールに抑制されたヴォーカルと歌詞を持つこの楽曲も、「おしゃれでいい感じ」に(かなり意識的に)徹することによって監督の意志を見事に体現している。

いま、現代のあとの現代、この時代、この国の善とは「無関心」である。執着に執着を重ねた10年以上前の前世代・前前世代から消極的に離脱すべく日々を過ごす日本のZ世代(もはや手垢にまみれた前前世代の流行りことば!)に空気のように称賛される冷え切った無機質なアンセムがこの映画だ。

フランスの哲学者が語った「他者は地獄」が真理なら、「天国にいちばん近い無関心」もまた真理だろうか。真理とはいかなくても「地獄」からの脱出のための処方箋ではありえるだろう。この処方箋の効果がいかほどか、作用の有効期間は?副作用のリスクは?

これをお確かめいただくには、やはりこの作品を観賞していただきたい。

脳内で。

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