ゲームを買った帰りの電車内でワクワクしながら説明書を読んだあの日を忘れない
前段
コンテンツがデジタル化したことで、「手に入れるための努力」と「消費できるようになるまで待つ力」をつける機会が減った、という話。
努力してその時を待つ。
少年時代の思い出
私は小学生の頃、サッカーとテレビゲーム少年だった。
ちょうどJリーグが開幕し、ファミコンが登場した時代。
ミーハー気質な私はしっかりその両方にハマった。
今私が子供だったらYouTuberとフォートナイトにハマるだろう。
そんな小学生だった私は、お正月にお年玉をもらうとひとりで電車に揺られ新宿西口に向かっていた。
当然ゲームソフトを買うためである。
新宿は小学校低学年がひとりで乗り込むには少々レベルが高いが、ドラクエIIIを手に入れるためには手段を選ばない、そのくらい強い欲求と衝動に突き動かされていた。
当時人気ゲームは発売日におもちゃ屋さんに並んで買うか、予約(取り置き)して買うかぐらいだった。
まだSNSの無い時代。どこに在庫が残っているかなどわからない。
あるのは友達や親兄弟からの目撃情報ぐらい。
並ぶことも予約もできない場合は「足で稼ぐ」しかない。ベテラン刑事である。KKD。感と経験と度胸。
地元のおもちゃ屋さんには激戦店とマイナー店があった。
私は激戦店での勝負を避け、マイナー店での勝負に賭けた。
ブルーオーシャン戦略である(は?
発売日当日の朝、マイナー店へ向かって開店を待つ。
マイナー店は在庫が少なく、予約分しかない、あるいはすぐ売り切れになってしまい涙を飲むこともしばしばあった。
資金はあっても在庫が無ければ我慢するしかない。
その時を待つしかないのである。
もちろん簡単には諦めない。
次に狙うは大型店。
在庫の多いお店を狙う=大型店への進出である。
新宿西口である。
当時新宿西口にはヨドバシカメラ、ビックカメラ、さくらや、があった。
すべて大型店である。
在庫を多数抱えている。
そして高円寺に住んでいた自分としては、電車ですぐの距離。
お正月、大金を手にした少年に迷いはなかった。
大型店での激戦を制した少年が帰宅中の電車内でとる行動は2パターン。
1つはゲームを開封して説明書を読む、もう1つは読まない、である。
私は前者だった。
早くやりたい衝動が抑えきれず、帰ったらすぐプレイできるよう操作方法を頭に叩き込むのである。
あの時の高揚感は忘れられない。
帰りの電車内でゲームの説明書を読む高揚感。
今朝のエピソード
今朝、諸事情により息子にニンテンドーSwitchのソフト「ポケットモンスター スカーレット・バイオレット」を買ってあげた。
スマホでニンテンドーストアから購入し、Switch本体を起動すればダウンロードが始まる。(宅内のWi-Fiに繋がっている)
20分もしないうちにダウンロードが完了し、遊び始められる。
売り切れは無い。説明書もない。
在庫を求めておもちゃ屋さんを"はしご"する必要もないし、電車内で説明書を読むこともない。
お金と本体とネットがあれば家にいながらにして、かつ、30分以内に新しいゲームで遊び始めることができる。
インスタントコンテンツと能力
これは「これまで実物があったが現在はデジタル化されたコンテンツ」の多くに当てはまる。
紙系、CDなどのデジタル記録メディア。
娯楽系でいえば、マンガ、音楽、映画、ゲーム。
これらの多くがデジタル化され、表示/動作させる端末(スマホ、タブレット、テレビ、ゲーム機)とインターネット環境とお金さえあればすぐにゲットし、消費開始できる。
「欲しい」という欲求から、「楽しい」という消費開始までに「手に入れるための努力」や「すぐには手に入らないけど、手に入る時まで待つ力」を必要としない。
余談だが、私は学生時代にツタヤでバイトをしていた。
映画「タイタニック」のDVDや宇多田ヒカルのアルバム(CD)が出た時はすぐにレンタルの在庫がなくなった。
お客さんはいつ誰が返却するかわからないので、来店時、運良く返却されていれば借りられる。
在庫と努力と運。ZDU。
さらに余談だが、消費開始までに要する時間が短くなったのと併せ、消費そのものの時間も短くなった。
インスタントなコンテンツ消費。
インスタントラーメンならぬインスタントコンテンツ。
歌は前奏が無くなりサビから入り、テキストや動画もパッパッと次から次に消費できるものが好まれる時代に。
即おいしいところを消費したい。
おいしいところだけが並ぶバイキング料理。
コスパならぬタイパという言葉も登場。
「長い動画は1.5倍速で見る派」の人も増えていると聞く。
消費に時間がかかるコンテンツは好まれない傾向に。
結果、長い文章や長い映像をじっくり時間をかけて消費/消化吸収する能力が培われないあるいは落ちている人も増えているのではないか(個人の感想
努力せずにすぐ結果を求め、結果が出ないからとすぐイヤになったりキレたりしてやっていけるほど人生は甘くない(個人の感想
まとめ
平成までの「手に入れるための努力」と「消費できるようになるまで待つ力」を鍛える機会が減った令和時代、これらを鍛える機会は何だろう。
日々の生活の中で鍛えることに繋がっていることは何だろう。
そもそもこれらの能力はもう鍛える必要がない、以前より出番が少ない能力なのだろうか。
他に必要性が高まった能力は何だろう。
これらの機会が減った一方で増えた機会は何だろう。
個人的には時代問わずこれらの能力は重要だと思っている。
やり抜く力「GRIT」と呼ばれたり、忍耐力/ストレス耐性と呼ばれたりする力。
私は先程購入したポケモンゲームのダウンロード中「早くやりたい!早くやりたい!おかし食べたい!早くやりたい!」と叫び暴れる男子(5歳)の隣で魂が抜けた顔をしながらそんなことを考えていた。
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