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悲しみと、戸惑い

約3年の闘病生活の末、今年春に夫が亡くなった。

最後の半年は何度も生命の危機を乗り越えて、尚、仕事への意欲を失わずにいたけれど。私もそんな夫の姿に励まされ、一日一日夫が何とか無事に生きていることを確かめながら過ごしていたけれど。無情にも病魔は夫の体を蝕み続け、ある春の日、もうすぐ夫の誕生日で夫の家族が皆会いに来ることになっていた少し前、眠っているうちに天に召された夫。


その日の朝から私は私の世界に引きこもり、外界を遮断した。


といっても、本当に引きこもったわけではなくて、それは私の心の中でのことだったのだけれど。第一、夫の葬儀や沢山の手続きを前に私は引きこもるわけにはいかなかったし、そこから逃れたいとも思わなかった。私はただただ、目の前のことに集中した。


「稀香さんは(夫を亡くしたばかりなのに)強いなぁ!」と、誉め言葉とも何ともつかない言葉を聞いた時、それがどういう意味なのかわからなくて、戸惑った。その言葉に、私は何と答えればいいのか?本当にわからなかったし、今でも正直わからない。

その時、私の世界には確かに夫がいた。そして、常に夫と会話していた。夫の職場を訪問した時にもずっと一緒だったし、様々な手続きを進めている時にも一緒にいた。大事な連絡を取りたい相手(夫の知人)の連絡先がわからなくて、途方に暮れていた時には、夢でちゃんと指示してくれて、翌日には不思議と連絡が取れるようになっていたこともあった。私は夫が本当に私の世界に存在していることを確信した。

亡くなった後も夫は私と一緒にいた。だから私は不思議と寂しくなかった。ただ、姿が見えないことだけは、とても悲しかった。幽霊でもいいから出てきてくれないかな、と何度もお願いした。でも、出てきてはくれなかった。その代わりなのかわからないけど、時々夢に出てきてくれた。

心配してくれる家族や知人にその話をしても、なぜかいまいち反応がない。それどころか、あまりのショックに気がおかしくなってしまったのでは?と心配された。

でも、心配されればされるほど、私は自分の世界に引きこもった。

私が感じていることは誰とも共有できないんだ、と思いながら。


四十九日を過ぎた頃から、夫の存在は少しずつ薄れていった。私たちは以前のようにずっと話をすることはなくなっていた。

ああ、四十九日とはそういうものなのか。

一度だけ、夫が私を助けてくれたと実感する不思議な出来事があったけれど、その時にはもう夫の声は聞こえなくなっていた。


今、私は悲しみの本当の姿を見ている。私の世界にはもう夫の存在がほとんど感じられず、私一人だけ、ぽつんといる。


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