アメリカの呪縛の原点(R&B Reflections: America's Soundtrack)
12インチ・アナログ・レコードには2つの側面があります。
シングル盤の場合には、A面にヒットを狙った一般ウケ狙い
B面は、マニア向けの曲を入れたりします。
時にはレコード会社の狙いと違って、B面がヒットすることもあります。
コンセプト・アルバムの場合、A面とB面では、それぞれ違ったテイストを感じさせるような工夫が施され、アーティストのメッセージの表と裏を伝えます。
世の中、社会も同じで、表裏一体。表もあれば、裏もあります。
1940年代後半のアメリカ国内での特徴的な出来事
戦後の経済復興が始まりますが、それと同時に多くのストライキや労働紛争が発生しました。この背景には、戦争中の賃金の凍結や物価上昇、労働者の待遇改善を求める声が高まっていたことが挙げられます。
1946年:大ストライキの年
1947年:タフトハートレー法成立
クローズドショップ制の禁止、ストライキの禁止などを内容としワグナー法(1935年)で認めた労働者の諸権利を大幅に修正したもので、中でも注目すべきは、組合役員が非共産主義宣誓を行うことを要求した点です。
1947年以降:非米活動委員会 (HUAC) の活動強化
HUACは、エンターテインメント産業を中心に、共産主義者と疑われる人々を追及し始めました。これにより、多くの人々が職を失い、ブラックリスト入りしました。
ハリウッド・ブラックリスト(約10分)
冷戦でのプロパガンダ合戦
冷戦初期のソ連は、アメリカ社会の『黒人差別』を国際的な宣伝戦に使っていました。 アメリカにとっての最大の弱点『人種問題』なのです。
アメリカ政府は「世界中の支持を得て、アメリカの正義が冷戦に勝利する」という筋書きと矛盾しないように、長年の懸案事項であった「分離すれども平等」という考え方に終止符を打とうとします。
ブラウン判決(ブラウン対トピカ教育委員会裁判)
1954年5月17日アメリカ合衆国最高裁判所が出した歴史的な判決で、アメリカ合衆国憲法修正第14条に基づき
『人種差別を合法化する「分離すれども平等」原則を廃止』
『公立学校における人種差別を禁止』
「我々は、公共教育の場において、「分離すれども平等」という原則は通用しないことを結論する。教育施設を分離させること自体が、本質的に不平等である。」
この判決によって、黒人社会と良識ある白人が「時代の変化」を感じて『人種差別の撤廃に向けた活動』『公民権運動』に動き出すキッカケになりますが、人種差別撤廃は即座に全国的に実現されたわけではありません。
ブラウン判決のB面(約10分)
黄金の1950年代?
第二次世界大戦後、アメリカは「アメリカの世紀」と自称し、超大国としての自意識を強く持つようになりました。戦争と冷戦を通じて、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」という生活様式と自由・民主主義の守護者としてのアイデンティティが確立されました。
この時期の自己認識は、現代アメリカの基盤を形成しており、多くの意味でアメリカの行動の基点となっています。
「黄金の1950年代」のイメージはアメリカの歴史において中心的な役割を果たしていると考えています。この時代を基点として、60年代や70年代の異議申し立て、そして80年代以降の保守的な動きが続きました。
簡単に言えば、1950年代のイメージを中心に、アメリカの変遷とその反応が現代まで続いていると捉えることができます。
言葉は悪いですが、「アメリカの呪縛の原点」になっているとも言えるかと思います。
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