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ジャズの衰退をマイケル・ポーター理論で考えてみました

マイルス・デイヴィス史上最高のクインテット


1964年9月25日の西ドイツ・ベルリンでの マイルス・デイヴィス のライブ・アルバム 『Miles in Berlin』

サックスに ウェイン・ショーター が加入したことで ハービー・ハンコック(ピアノ) ロン・カーター(ベース) トニー・ウィリアムス(ドラム)の「黄金のクインテット」が結成されました 

とうとう彼から電話がかかってきた時には、オレは『飛んでこい!』と叫んだ。間違いなく来るように、それも格好もつけて来れるようにと、ファーストクラスの切符を送ってやった。オレはそうまでしてウェインを入れたかったんだ。(引用: マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ)

この後 ウェイン・ショーターを中心にして4枚のスタジオ録音盤をリリースしていきます

『ESP (’65)』『Miles Smiles (’66)』『Sorcerer (’67)』『Nefertiti (’67)』


マイルス・デイヴィス史上最高のクインテットとの評価も受ける一方で 当時まったくレコードが売れなかったというのも事実です


マイケル・ポーター『5フォース分析』


若干の”無理やり感”は否めませんが(笑) 下図をご御覧ください

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【潜在的な新規参入】

1950年代後半から チャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーなどのロック・スターが登場して

1962年 ビートルズがレコード・デビュー 

1963年 ローリング・ストーンズがレコード・デビュー

1965年 ボブ・ディランが♬Like a Rollin' Stone♬などのエレクトリック楽器を取り入れた作品を発表

1965年 エリック・クラプトンがヤードバーズ脱退(ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックの登場)~クリーム結成 

1966年 ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが活動開始

といった感じで ロックが勢力拡大していきます


【競合関係】

スウィング・ミュージックへ『顧客が”飽きた”』ことと チャーリー・パーカーなどによって『ビバップ」が生まれ

躍る音楽 ⇒ 聴く音楽

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聴く音楽 ⇒ より聴きやすい 聴き心地の良い音楽へ

そして 難解な『フリー・ジャズ』へ



モダン・ジャズは フリー・ジャズ によって難しくなっていき ジャズが”多様化”していきます


ジャズではないですが 1964年 ジェームス・ブラウン が初めてのファンク・ナンバーと言われている ♬Out of Sight♬ をリリース

このJBの影響も大きかったと思います


ブルース・ミュージシャンによって『ファンク・ブルース』が生まれ ファンク色を深めていくジャズメンを現れました


【顧客の交渉力】 【売り手の交渉力】


顧客のジャズ離れが進み 聴きやすく”ノレる” ポピュラー音楽が流行り 

売り手ジャズ専門レーベル(ブルーノート・ヴァーヴ・プレスティッジなど)は レコードが売れなくなっていって経営難になっていき 大手レコード会社の傘下となりました

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『アトランティック・レーベル』のレコードが ジュークボックスに入っていたこともあって アレサ・フランクリン ウィルソン・ピケット らのソウル・ミュージックがヒット


「黒人向けのR&Bだけではなく、白人層にも自分たちの音楽の良さを理解して欲しい」という思いから1960年に設立された『モータウン・レコード』


【代替製品の存在】


1960年代は アメリカやヨーロッパを中心に カウンターカルチャーが花開いていって ヒッピー文化が流行

イギリスで ロッカーズ~モッズ そしてブルース・ロック が社会現象化していきました


1968年 レッド・ツェッペリンがアトランティック・レコードからデビュー

1969年 キング・クリムゾンが『クリムゾン・キングの宮殿(In The Court Of The Crimson King)』をリリース


パド・パウエル(1966年7月31日逝去) ジョン・コルトレーン(1967年7月17日逝去) ウェス・モンゴメリー(1968年6月15日逝去) ポール・チェンバース(1969年1月4日逝去)

大御所も亡くなり 世代交代がすすんでいったことも ジャズ衰退の要因のひとつでしょう



エレクトロニック・マイルス誕生とファンとの決別


1968年 マイルス・デイヴィスが初めてエレクトリックを導入したアルバム 『Miles In The Sky』をリリース ロック・リズムを導入しました

約半年後に3台のエレクトリック・ピアノを揃えた『In A Silent Way』をリリース

キーボーダーは ハービー・ハンコック チック・コリア ジョー・ザヴィヌルという超豪華メンバー


1969年 『Bitches Brew』リリースによって 古いマイルス・ファンから見放されてしまいます


音楽産業のビッグ・ビジネス化でジャズは衰退


1969年は 1900年から音楽の流れが終焉となり

1970年以降 音楽業界は ビッグ・ビジネス化していった一大産業のひとつとなっていきました


古くからのマイルス・ファンは? 

① 「ジャズという音楽から離れた人」としての裏切者と扱う人

② 「別にジャズじゃなくてもイイじゃん」として新しい挑戦を応援する人

新しくマイルス・ファンになった人は?

③ ロック関連などからマイルス・デイヴィスを聴くようになった人


1970年以降は フィリップ・コトラー によって付けられた

マーケティング2.0 「消費者志向」

大量生産・大量消費の マーケティング1.0 「製品中心」時代から 世の中にモノがあふれるようになり、消費者が製品やサービスを選ぶ立場に逆転します。時を同じくしてオイルショックが起き、経済は低迷、消費者の購買力は落ち、購買アクションがますます慎重になり 企業は「消費者が欲している製品やサービスが何か?」という消費者の志向を考え方へ変化します


このような流れで ジャズ という音楽は メイン・カルチャーでなくなっていったんです


チャーリー・パーカーのニックネーム「バード」にちなんで名づけられたニューヨークのジャズ・クラブ 【バードランド(Birdland)】

1965年に閉店


1950~1960年代ジャズに執着しているオトナたち


私見ですが 

自称ジャズ・ファンのオトナは 

『1960年代でジャズは終わった』という認識が強いので、70年代以降の音楽を 然程聴いていないと思います

1960年代までのジャズを聴くことに拘りと誇りがあるのか? 

小難しい講釈を垂れていることも多く 世代間の断層 になっています


この心理は 変われない組織の上層部にいる『前例踏襲主義』『固定観念・既成概念から抜け出せない』 ガラパゴス人罪 と同じです



デューク・エリントン曰く

There are simply two kinds of music, good music and the other kind.

音楽には二種類しかない。よい音楽とそれ以外だ。


『流行に流される』のはダメですが 『流行を取り入れる』ということは

ファッションにおいても 音楽においても ビジネスにおいても

必要です


「巷で流行っているようだから 我が社もそれなりにやろう!」

”なんちゃってDX” ”なんちゃってダイバーシティ” ”なんちゃってSDGs”

これが一番カッコ悪いです


ヒップ・ホップ・マイルス  カッコイイです



まとめ


『歴史は繰り返す』と言います

ファッションに関しては 何年も前に流行ったスタイルが進化して ブームになることがあります

70年代ファッション 80年代ファッション 90年代ファッション


そして 『温故知新』 古い音楽を聴くことによって 

新しい発想につながる 『温故創新』 になるはずで


『無用の用』とも言うじゃないですか


それで 【CD棚からひとつかみ】 を始めてみました


表に出ていない重要な情報を得るためには『強い結びつき』が必要

新しい発想・幅広い知識を得たりするためには『弱い結びつき』が必要


ブルーノートから 新しいスターも生まれています



日本人だって



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