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“我慢“の本来の意味を知って「なるほど!」と思えた

あえて冒頭に記載するが、私は感染症に関する知見を持ち合わせているわけではない“ド素人”だ。

しかし、“自衛隊に看護官の派遣要請”という事態になるほどの医療現場の厳しい現状を、TVが“不安を煽る”偏った報道しているので、さすがにコメントしたくなった。

現在は“危機管理上の事態”であるというのは誰も反論しないはず。

今の事態を【危機管理】の観点から論じてみることにする。

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ワクチンがあって予防啓発がなされていても残念ながら毎年“インフルエンザ”によって、多くの感染者が出て、高齢者などが重症化して多くの人が亡くなってきた。

今年は、“手洗い” “消毒” “マスク” “3密を避ける” という“新しい生活様式”“行動変容”が要因と思うが

『“インフルエンザ”感染拡大』というニュースは耳にしない。


“インフルエンザ”は恐ろしい感染症だが、今まで経済活動を止めてこなかった。

これは、人の命や医療従事者の負担を軽視してきたのではなく、経済活動を止めることよって、多くの「経済死」を避けるためだったと私は思っている。


新型コロナはインフルエンザよりは恐ろしい感染症なので、これほどの大騒ぎになっているのだろう。

医療崩壊が心配だというのも、医療従事者が大変なのも、よく分かる。

しかし、過剰な自粛によって、失業者が増えたり収入が減少したりして「生活崩壊」が起きている可能性も高く、自殺者急増・コロナ鬱の増加も現実だ。

< 感染拡大防止優先派の主張 >も< 経済活動優先派の主張 >も双方ともに一理あるが、【危機管理】という観点から言えるのは次の通りだ。

危機対応のマネジメントに、“競争原理”は必要ない
必要なのは、“協力原理”に基づいた行動
前例や権威を超えた、臨機応変な自発的なアクション


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そもそも、突然襲われる“危機”を“管理”できるはずもない。

“管理”できていれば“危機”にならない。


私の【危機管理】解釈を簡単に言うと

危機によって齎される結果を最小限のダメージにするために、事前に様々な対策を講じておくこと


第1波で緊急事態宣言というものを経験したのだから、次の波が襲ってくることを想定して、力強い組織作りや仕組み作りを行っておくのが【危機管理】の鉄則だ。

「緊急事態宣言解除後は、【危機管理】体制の強化を図るべき。絶対に第2波、第3波はやってくるという前提で準備しましょう。」

「この機会に“リモートワーク”を企業のメインカルチャーにする改革を断行しましょう。」

「“非対面”営業が主流になって、消費者の購買スタイルもECやテイクアウトになるのだからビジネスモデル変えましょう。」


多くのビジネスシーンでも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」感覚なのだろうか?

いつの間にか、Beforeコロナ時代の日常に戻ると“思い込んでいる”のか、リモートワークを止めて『とりあえず出社して集合』体制に戻ってしまった企業も少なくないと聞く。

まったく第1波の経験が“教訓”になっていない。

【危機管理】なんて、どこかに吹っ飛んでしまっている。

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12月になれば寒くなるので、コロナとインフルエンザの“ツインデミック”が訪れる可能性がある言われてきた。

しかし、多くの専門家の悲観的な予測に反して“ツインデミック”にはなっていない。


「自治体の要請で準備したコロナ専用病棟は、空きだらけで、普通の患者を入れることもできない。要員を張り付けておかなければならないので、病院の経営を圧迫している。」

と訴えてきたは医師会だったはず。


医療関係者の仕事が減って減収になっていると聞こえていたが、第1波後【危機管理】として、各医師会等は、民間病院の看護師を訓練して、配置転換するといった方策を取っていなかったのではないか?

様々な規制や組織間の壁があるが、【危機管理】という観点からは、医師会の怠慢と地方自治体の能力の低さとしか思えない。


私は、医師会関係者のTV報道を見るたびに

「現場の医療従事者が大変なのはわかる。ただ、あんたら、自分たちの無能さを棚上げにしてない?」

「“勝負”の3週間?“我慢”の3週間?誰と勝負するのか?わからないけど、医師会の偉いさんの為に“我慢”したくないし、できないね(笑)」

「医師会の偉いさん!どの口が言うとんねん!偉そうに!」

と感じてしまうのは私だけだろうか?


今世の中で言われている”我慢”とは?

誰の為の“我慢”なのか? 

何のための“我慢”なのか?


“我慢”を続けると、自分が本当に求めているものを見失い、ストレスが溜まり、次第に自己犠牲へとエスカレートしてしまうとも言われている。

「されたことは忘れ難く、してもらったことは忘れ易い」

自分が“我慢”すればそれでいいと犠牲を払ったとして、他人はあまり価値を感じていないというのが“世の常”。

【我慢】というと辛いこと、嫌なことがあっても投げ出さずに耐える意味で使われているので良い言葉のように思える。

しかし、元は仏教から来た言葉で、仏教における【我慢】とは?


「我」に対する「慢」ですから「自分こそが正しい。他人は間違い」と我を通そうとする心。

『自分の間違いに気づきながら、どこまでも我を押し通そうとする心』


正に、多くの偉い人々は、まったく第1波の経験が“教訓”になっていない、仏教における【我慢】をやっているだけ。


我々一般人は、Beforeコロナ時代の“当たり前”が“当たり前でない”ので【我慢】は必要。

誰が悪い!どこがダメだ!と言ったところで何も始まらない。

批判するのは”時間の無駄”。

“手洗い” “消毒” “マスク” “3密を避ける”を励行して、自己防衛するだけ。

「不要不急」の基準は人それぞれなので、他人に自分の基準を押し付けない。

他人に迷惑をかけない。他人が嫌がることをしない。

不安を煽るだけのマスコミ報道を鵜呑みにしない。冷静に情報を精査する。


そして“知恵”と“工夫”それと“出来る範囲での最大限の感染拡大防止対策”を施して“経済活動”していく。


これが一般人の【危機管理】

< 仏教の7つの「慢」 >

「慢」= 自分より劣った相手をバカにする心。

「我慢」= 自分の間違いに気づきながら、どこまでも我を押し通そうとする心。

「過慢」= 自分と同じ程度の相手なのに、自分のほうが優れていると威張る心。

「慢過慢」= 間違いなく自分よりも相手が優れているのに、素直にそうと認められず、自分のほうが上だと思う心。

「増上慢」= さとりを開いてもいないのに、さとったとうぬぼれる心。

「卑下慢」= 表面はへりくだっているようでありながら、実際は自慢をする心。

「邪慢」= とんでもないことを自慢する心。



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