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「勝利」や「成功」からの学びは殆んどなく、「敗北」や「失敗」から多くのことを学んだ⑦(バブル崩壊 編)

日本のバブル景気は、景気動向指数(CI)上は、1986年12月から1991年2月までの51カ月間と言われている。

1989年は、年内最後の取引日「大納会」で日経平均が史上最高値(終値:38,915円87銭、取引時間中最高値:38,957円44銭)で幕を閉じた。

正に、バブル経済の絶頂期の記録だ。

1990年3月に大蔵省(現・財務省)から通達された「土地関連融資の抑制について(総量規制)」に加えて、日本銀行による金融引き締めを行い、株価も地価も長い低迷期になっていった。


営業推進部で目のあたりにした社内バブル崩壊


私は自動車ディーラー以外のモーターチャネル(整備工場・ガソリンスタンド・二輪販売店等)の営業推進部門で、自動車保険・自賠責保険と積立保険の拡販施策を考案・実践することがメイン業務だった。

損害保険代理店網の拡充はマーケットシェアを大きく左右する。

従って、各支店・支社に対しては代理店新設(新しい代理店を作る&既存の他損保扱代理店に乗り合う)目標数が毎年設定されていた。


1989年度は中期3か年計画の最終年度にあたり、担当常務は「販売網こそ我が命」と各支店を叱咤激励し代理店販売網拡充を声高に叫んだ。

結果として、モーターチャネル代理店の新設数は4,000店弱/年間、3月単月で1,000店以上の新設代理店が登録されるという会社史上最高記録を樹立した。

4月になって“マーケットシェア”の拡大を判明して、会社中“お祭り”のような雰囲気で連夜、社員は上司に連れられ夜の街へ向かって行った。

私は89年末に結婚し給料の半分を家賃に持っていかれる節約新婚生活で、ランチはデスクで愛妻弁当を食べる。

付き合いの飲み会は最小限に抑えて夕食は家で食べる。

という、バブル絶頂期の浮かれている世間と真逆で「金が無い」という状態だった(笑)


それでも何度か飲み会に参加すると、終電時間になっても“宴”は終わることなく、1万円札を振ってタクシーを止めて三々五々自宅へ帰っていった。(上司にタクシーチケットをもらっていたことも多かった。)


そんな或る日、次長に呼ばれた

「この販売網急増は“バブル”そのものではないか?早急に実態を調査しろ!」

確かに、年度末と言っても3月単月で1,000店以上の代理店が新設されることは不思議だ。

実態調査を行えば行うほど“恐ろしい大企業の実態”が見えてきた。

① 板金塗装専門工場に頭を下げて“自賠責保険”のみの代理店委託契約を締結

“自賠責保険”というものは車検とリンクしている強制保険なので、車販か?車検がないと保険付保されない。
従って、板金塗装専門工場では、ほとんど“自賠責保険”は関係ない。


② 整備工場代理店社長の息子さんが3台バイクを所有しているので“二輪店経営”として新設代理店として登録

息子さんは学生で、車検も車販も行っていないので、そもそも保険とは関係ない。


③ 整備工場の一従業員を新しい整備工場(関連会社)として新設代理店として登録

登録上だけ2社あるようにして登録手続きをするが、実態は何も変わっていない店数稼ぎ。


お勉強が出来て優秀な成績でご卒業された社員が考えた、募取法の盲点や斜め読みによって見つけた組織ぐるみ(支店長-支社長-社員)の仕業だ。

実態を何も知らない役員は、目標を達成した自分の派閥所属の支店長や支社長を栄転させる。

積立保険キャンペーンにおけるバブル


損害保険がベースとなった積立型保険は、生命保険と違って“医務審査”といった手続きが不要なので簡単に加入することができた。

高金利商品としてブームとなった生命保険の一時払い養老保険には負けるものの、積立型損害保険も予定利率5.5%で設計され商品であったので魅力ある商品であった。(100万円で満期の5年後には125万円+配当金という感じ)


この積立保険をモーターチャネル代理店でも販売するというキャンペーンが各地で行われた。

整備工場の社長以下従業員全員にノルマが課せられ、目標達成の暁には豪華表彰式や食事会が開催される。



若い整備士にとっては溜まったもんではない。

一通り親族や友人にお願いした後は、契約してくれる知人も少なくなる。

ここで損保社員の入れ知恵と思うが

「分割払契約で1回目保険料を自腹で払って、引落口座を設定しなかったり、残りの保険料を払わなかったりして契約を失効させる。失効が発覚するのはキャンペーン終了後なのでキャンペーン成績には関係ない。」

といった架空契約が散見される状態になるが、社員を見て見ぬふりをしていく。


数年前に話題となったの“かんぽ生命”不適正契約問題も、こんな損保社員の“入れ知恵”によって発生したものと私は睨んでいる。(この問題が発生した当時の“かんぽ生命”の社長は損保会社出身者だ。)


“空気”は何もかも見えなくしてしまう恐ろしいもの


”空気“=”ある種の前提“

“空気”に支配された集団は、科学的・合理的な思考でさえも捻じ曲げてしまって、前提に適合している結論しか受け入れなくしてしまう。

このことで『現実との乖離』が生まれていく。

前提に従わない異論者を徹底的に叩く。これが正に“同調圧力”だ。

出世という病


目標達成!という大命題は支店長・支社長といった管理職にとっては“当たり前”のことある。

目標未達は、どんな言い訳も許されない。

目標達成していない限りは“出世レース”に出走すらできないと考えて、限りなく黒に近いグレーは方法であっても目標達成に寄与するのであれば目を瞑ってしまう。

不都合な真実はあえて見ない。

出世という病を患うと“善悪の判断”が狂ってくるのかもしれない。

人と企業はどこで間違えに気が付くのか?


企業が破滅へと突入するのを阻止するには“空気”を打破しなければならない。

支配者側にとっては“空気”は人を動かす装置として、不都合な真実を隠し、人を操作することができる。

この“空気”によって生まれたものは所詮“虚構”なので、どこかで、誰かが、この“空気”を打破しなければならない。

社内内部から自然発生的に打破する動きが始まることは期待できないので、外部環境の変化が一番効果的だ。

この“空気”が変わった時に上司は部下に向かって

「当時、君の愚行を“オレは聞いてなかったから”」

という素敵なセリフを吐く。


“空気”は、問題解決力や方向転換の能力を破壊する。

この経験は私にとっては「客観的に物事を見ることが大切」ということを教えてくれたが、サラリーマン生活の各地各部門で“変人”“異端者”扱いされる原点になったのかもしれない。


・・・次号へ続く


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