【“いい塩梅”な生き方】のお勧め 肩の力を抜いたら? 「上手くやってやろう」って気合入れすぎ
スポーツする時に「肩の力を抜け」というフレーズは、いろいろなシーンで使われる。
「ナイスショットしてやろう」
「ここでリカバリーしなきゃ」
と考えると、自然と“肩に力”が入っていることが多い。
そして失敗して、カッーと熱くなって「失敗の連鎖」に陥っていく。
感情が乱れた状態で、ベストな判断が出来るはずがない。
やらかした失敗を、感情で捉えるのではなく、単なる事実として捉えるしかない。
“できない自分” に対して怒ったって
自分の力量に見合ったショットしか出来ないんだから(笑)
「肩の力を抜く」ということを意識せずにできるようになれば、楽しい毎日が送れる。
「身の丈に合った」 「肩肘張らない」
それが “いい塩梅”な生き方
“いい塩梅”とは
「塩梅(あんばい)」とは
物事の様子や身体の具合、料理の味つけ具合など、幅広いものの具合や様子を表す。
“いい塩梅”とは「ちょうどいい具合」
“いい塩梅”の感じ方は、人それぞれ。
季節・天候、食材の状態(脂のり具合等)、お客様の嗜好によって料理の“塩梅”を変えるのは料理人の腕の見せ所。
食べ物は濃すぎても薄すぎても美味しくない。
日常も忙しすぎると辛い。
退屈になるくらい暇では面白くない。
料理も人生も “いい塩梅” を見つけることが重要
“いい加減”じゃイメージ悪い?
「あいつは、いい加減なやつだ」
「いい加減な仕事しやがって」
といった使われ方が多く、“中途半端” “手抜き” といった“マイナス”イメージだ。
「あ~ いい湯加減だ」
「美味しいです。ちょうどいい塩加減です」
という使い方になると“プラス”イメージになる。
物事を相手に伝える時に
その表現が、他人にとって「快」なのか?「不快」なのか?
なぜ、「快」なのか?「不快」なのか?
という点を、気を付けなければいけない。
“塩梅”の類義語は“加減”
感じ方や価値観は十人十色
自分なりの“価値観”を持つことは大切なことだ。
そうでないと、他人の発言に振り回されて疲れるだけ。
誰にでもそれぞれの立場がある。
誰もがその場そのとき「そのコミュニティ」内の立場がある。
立場が変われば、見えるものも変わり、感じ方も変わり、価値観も変わるもの。
その立場によって【主張】だって変わって当然。
“守るべきもの” “失いたくないもの” “今必要なもの”
これも立場によって違う。
相反する立場の人同士が、お互いが自分の価値観しか主張しなければ、収拾がつかなくなってしまう。
そして、誰かを一方的に攻撃するような“図式”すら出来上がってしまうことがある。
すべて一括りにはできないが、結局のところ人の【主張】は、自分の置かれた立場に基づくものが多いと思われる。
冷静になって、相手がどういう立場でそれを【主張】しているのかを言ってるのかを、少し考えてみることだ。
カッーとなっている状態になると、肩に力が入って、肩肘張りまくり
「自分は間違っていない」と誰もが正義を装いたがる。
【正論】は正しいが、【正論】を“武器”にする奴は正しくない。
“理屈”や“言い分”が正しければいい というものではない。
そこにも“塩梅”が必要だ。
指揮官は上手な“塩梅”で方向性を示して欲しい
『正解のない問題・課題』に直面した“混沌”した今は、多くの方が“不安”を感じている。
ルールが理不尽だからといって、ルールを破っても良いとは誰も言ってない。
しかしルールは簡単には変えられない。
こんな時だからこそ、
難局を乗り切るのに“障壁”となっているルールは、指揮官の上手な “塩梅” で臨機応変に解釈を変えて欲しいものだ。
“間” と ”味”
時間がぎっしりと詰まればせわしない
空間が高密度になれば息苦しい
世間のつきあいもベッタリになれば気詰まりしてしまう。
時間、空間、世間すべての面で
「間をとる」
「間をおく」
「間を配る」
ことが日常の心やさしい作法。
「イラッ」としたら、「一拍置く」という「間」を作り出すことによって「平常心」が取り戻せるはず。
また
「味がある」
「味がでている」
などの人や物事に対して「味」がプラスされると、その意味は基本的に賞賛だ。
逆に「味気ない」
など「味」がマイナスされるとネガティブになってしまう。
「味」とは、そのもの自体の面白味であり、替え難い“個性”。
この「味」を引き出すのも “いい塩梅” が必要
これが ”いい塩梅”の生き方
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