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北野 武 師匠の名言に学ぶ“今必要なこと”(その2)

ある程度の【制約】があってこその【自由】と言える。

他人の権利を踏みにじるような事は【自由】ではなく単なる【中傷】。

多分、ある程度の【制約】とは、【道徳心】 なのだろう。


【言論の自由】というのを、

『心に思っていることを(思っていないことでも)人は好きなように口にする権利』

『たとえ偏見に満ちて、事実認識に誤りがあっても、嘘でも、妄想でも、人はそれを自由に口にする権利』

と浅く理解している人が多いようだ。

【自由に生きる】ということは、自我を通すとか、自分の拘った頑固な考え方や価値観で生きるということではない。

【自由に生きる】ということは、ものの考え方や見方が柔軟であること。


コロナ時代の終息は、特効薬やワクチンが開発され市場に十分に供給されるまで訪れないだろう。

そこまでは、Beforeコロナ時代以上に、他人の立場に立って考えるという【制約】を守っていきながら行動していかなければならない。


家族・カップルが旅行して、感染リスクが高いだろうか?

ホテル・旅館側は、“客同士あるいは客と従業員間の接触を極力減らす”等の感染拡大対策を施すという【制約】の中で、可能な限りの“おもてなし”を行ってくれるだろう。

【他人への“気遣い”】
【人の気持ちを考えて行動するという発想】

を忘れないで、旅行を【自由】に楽しめばいい。

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<北野 武 師匠の名言>

子供の教育で大切なのは、タガのはめ方と、外し方なのだ。
タガを外しすぎれば、桶はバラバラになってしまう。
タガをきつくはめすぎても長持ちしない。
自由に何でも好きなことをしなさいと言われたって、何をしていいかわからないという子供が多いんじゃないか。
自由というのはある程度の枠があって初めて成立する。
なんでもやっていいよという枠のない世界にあるのは、自由ではなくて混沌だ。
子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。

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『世間に警鐘を鳴らす』ということは、マスコミの重要で使命だとも思う。

それだからこそ、しっかりとした“根拠”を正しく伝えていかなければならない。

特に、コロナ禍の今、人々は「何が正しいことなのか?」が知りたくて、【この先どうなるのか?】【自分がどうするべきなのか?】を判断したくて情報番組を見ているだろう。

「専門家ではない一般の人(タレントなど)」の意見や、「別ジャンルの専門家の見方“」は必要ない

また、議論が白熱してくると、【他人が話しているのに急に話を遮る人】が多い。

そして、話を遮ったかと思えば、持論を長々と話し出すのでタチが悪い。

自分の論理に自信があり他の人の話を聞く価値がないと思っているのか?
無理矢理でも自分の意見を押し通したい気持ちだろう。

私は“イライラ”するだけなので、地上波の情報番組を一切見るのをやめた。

そもそもテレビのニュース・情報番組に出演するのは、「キャスター」と「専門家」と「取材者」だけで十分だと思う。

「聞く力」も持ち合わせていないコメンテーターを登場させる番組演出はもう必要ない。

周囲の“空気”に左右され、上司の大きな声に圧倒され、自分の信念とは違うと分かっていても、“長い物には巻かれろ”的行動をする『“失望”を最小化する人たち』が多いのだから、

マスコミは、『できない理由』ばかり論じるのでなく、『できる理由』を前向きに論じて欲しい。

ウイルスを地上から根絶させることはできないのでならば、共存するしかない。

生活様式を変えて、健康を脅かさない程度に減少させることを考えていくことが現実的な対応のはず。

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<北野 武 師匠の名言>

世代が違うと話が合わないなんて言うのは間違い。
話が合わないんじゃなくて、話を引き出せない自分がバカなのだ。
年寄りとお茶を飲んでいて、「おじいちゃん、この茶碗は何?」って聞けば、何かしら答えが返ってくる。
きっかけさえ作ることができれば、思いもよらない話が聞けることもある。
相手はいい気持ちになれるし、こっちは知らなかったことを知る。
相手が小学生だって同じだ。

料理人に会ったら料理のこと、運転手に会ったらクルマのこと、坊さんに会ったらあの世のことでも何でも、知ったかぶりせずに、素直な気持ちで聞いてみたらいい。
自慢話なんかしているより、ずっと世界が広がるし、何より場が楽しくなる。
たとえ知っていたとしても、一応ちゃんと聞くのだ。
そうすれば、専門家というものは、きっとこちらの知らないことまで話してくれる。
井戸を掘っても、誘い水をしないと水が湧いてこないように、人との会話にも誘い水が必要なのだ。

どんなにワインに詳しくても、ソムリエにワインのことを語ってはいけない。
そんなことをしたら、ソムリエは何も大切なことを教えてくれなくなる。
「このワインはどうして美味しいの?」と、聞くべきなのだ。


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