見出し画像

自分の都合を変えられるのは自分だけ。相手の都合は変えることはできない。自己変革ができるのは自分だけ。

『職業上の人間関係』は、心理学的に見ると重要ではない薄いものなのだが


『対人関係の三重円』という考え方がある。

① 家族や恋人そして親友との関係
② 親戚や友達との関係
③ 職業上の人々との関係

関係の深さは ① > ② > ③

それぞれの割合は ①:②:③ = 5:3:2


色々な立場や考えの人が集まるのが職場で、人間関係無くして仕事をすることは難しい。

上司や同僚と“上記②の友達”以上に「仲良くならなければいけない」「嫌われてはいけない」といったドロドロのウェットな“同調圧力”世界。

そこに“しがらみ”と“思惑”そして“足の引っ張り合い”が絡み合うので、精神的に一番厄介だ。


厚生労働省が実施した調査によると、仕事の質や量、失敗などに並んで、職場での人間関係がうまくいかないことが、ストレス要因の上位に入るという結果が出ている。


組織が大きくなればなるほど、「全員と仲良くしよう」という発想に無理がある。

あなたのことを嫌う人もいるのは当然。

あなたが、好きになれない人がいるのも当然。



そもそも職場の人間関係は悪いもの


職場での人間関係を何とか良くしようとすることが、基本的に間違っている。

どんなに仲が悪かろうとも、「おはようございます」「お疲れ様でした」という挨拶が出来る。

「これお願いできますか」と言われて「はい分かりました」って言い合える。


仕事をするのに必要なコミュニケーションがとれていれば、職場は充分なはず。


職場は仕事をするところであって、人間関係を深めるところではない。

職場で友達のような人間関係を作ろうと考えることが、そもそも間違い。



職場はドライな人間関係で十分な理由


仕事は決められた期間で、自分に割り振られた役割部分をハイクオリティでやり遂げなければならない。


ジョブ型雇用は、職務内容がジョブ・ディスクリプションで細かく規定されている。

同僚の“自分都合”によって、自分に与えられた職務遂行が遅延したら大変だ。

同僚に対しては、ドライに「早く仕上げてください」とハッキリ言うだろう。


メンバーシップ型雇用の日本型経営企業が、まず目指すべきことは?


ウェットな人間関係の上に成り立っている仕事の進め方からの脱却


ドライな人間関係がベースになっていれば、テレワークで仕事は進められる。


『仕事は結果が全て』と考えたら

職場では“自分の都合”“相手の都合”も然程重要ではない。

どこで仕事しようと、いつ仕事しようと、自分の職務範囲を完璧にやり遂げるだけだ。


チームで仕事をするのなら、リーダーがメンバーそれぞれに明確な指示を出して進捗管理する。

同じ職場で同じ時間にお互いで顔を合わせることによってチームワークが向上するというのは幻想

【 “チームワークごっこ” 】に過ぎない。



職場のウェットな人間関係を変えられないのは義務教育~受験戦争という日本の教育システムの弊害では?


日本の教育システムが硬直していて、グローバル化、IT化がどんどん発展している今、他国と比べると、恐ろしいほど遅れをとっている状態だ。


『入試に合格するため』にやっていた“暗記学習”による受験戦争の勝者である官僚による中央集権的な体制が原因なのではないか?


日本の教育システムの特徴は、子供一人一人の能力を伸ばすよりも集団で足並みを揃えることに重点が置かれている。

集団教育や一方的な講義スタイルの授業で、常に生徒が受け身の姿勢となっている。

日本では、文科省が教育内容を決定する。

教科書の多様性や他の教材は制限されていて、文科省が承認しない、新しい教材や教育方法は使えない。


教育理論は多様性を持つべきで、多くの教育カリキュラムは競って試みがなされるべきと思う。

これでは、本来の「自ら学ぶ」という勉強の姿勢からはかけ離れているとしか思えない。


そんな官僚の関心事は、国民の利益ではなく、自己の利益を追求すること。

現場を全く分かっていない(知ろうともしない)官僚に教育改革を期待しても無駄だろう。



日本型経営大企業の経営陣・リーダー陣も官僚と同じ受験戦争の勝者。

お勉強はできるのだから、「かつてはうまく機能していたやり方がもう通用しなくなってきた」ということは薄々感じているはず。

お勉強ができるのだから、新しい何かを創造するのに必要な知識や思考は、複数の科目にまたがっていて、お互いにつながっていることは理解できるはず。


日本の教育は、高度経済成長を支えるための教育で『言われたことを間違えずに正確にやる能力』を育むことが目的。

お勉強ができる社畜は、社内で生き延びるための“三種の神器” 『前例踏襲』 『問題の先送り』 『責任回避~転嫁』を壊すことはしない。


言われていないことは自発的にやる必要はないと刷り込まれている。


何かをやって失敗すると責任を問われるが、やらなかったことに対しては責任を問われない




日本型経営企業の経営陣やリーダーの考え方が変わらないのは“多様性のなさ”


ウェットな人間関係をベースにした職場で部下にとっては、上司との人間関係の崩壊は社内で生き延びれないことを意味する。

「“相手の都合”を解釈できない」ことが人間関係崩壊の主因

部下は、【上司の“自分の都合”=部下にとっては“相手の都合”】を理不尽と思っても配慮しなければならない。


人は“自分の都合”で生きている勝手な生き物。

上司は、自分の言うことを素直に聞いて、命令に従う“自分にとって都合のいい”人だけを参謀にしたいと考えがち。

これでは、新しいアイデアは出てくるはずがない。

同じような人間の集まりからイノベーションは生まれない。



アクティブ・ラーンングが叫ばれる今の時代に必要なのは?

思考力

間違えてもOKだと思うこと

自発性


会社は、会社が決めた『社員の型』にはめようとして、その型にハマった社員だけが評価され、はまらない社員を無理やり型にはめこもうとする。


閉鎖的な組織は、“多様性”を受け入れるのは苦手。

自分が理解できないことを排除しようとする傾向が強い。


『人と同じことをするのが良いことだ』

という風潮は教育現場も職場も同じ。

人と違う行動をしていたら、職制を通じて「それは良くないことだ」と止めさせる。


強みを伸ばす教育に切り替える必要があるが、残念ながら今の日本型経営企業はそうなっていない。

それを自発的に理解して行動に移すリーダーは殆どいない。



自己変革は自分しかできない


「STEAM教育」の大きな特徴である“教科横断型の学び”は、世界の産業力に負けない人財の育成につながるもの。

ハード面、ソフト面ともに、まだまだ課題は多いが、DXが進むことで、様々な階層の人々のパラダイムシフトが起こると期待できる。


学校教育・社内教育の環境と体制が整うのを待っていたって何も解決しない。

大人が自ら積極的に“教科横断型の学び”をすることだ。


自己変革は自分にしかできない。

自己改革に遅すぎるということはない。


自分の人生を他人に決めてもらいたいだろうか?

自分の人生は自分で決めたいに決まってる。


客観的に自分を見つめ直し、目の前で起きる出来事をありのまま受け入れ、考え、行動する。

新しい体験に興味をもって、有意義な学びをえようと“ワクワク”感のオープンな気持ちで向かう。


ヤンチャな大人でいこう!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?