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1979年のロックは70年代最後の壁から降りて出口を開け次年代の内側へ

『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(In Through the Out Door)

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レッド・ツェッペリンの第8作にあたるスタジオ・アルバムで、1980年9月にドラマーのジョン・ボーナムの急逝により、バンドにとって最後のオリジナルアルバム。

(『最終楽章 (Coda)』はレッド・ツェッペリンの12年の経歴における様々なセッションからの未発表音源を集めてアルバム化したもの)

セピア色を基調としたアルバム・ジャケットは6種類のデザインが用意されていて、クラフト紙の外袋に入れて密封され、購入して袋を開けるまでどのジャケットを購入したか分らないようになっていた。




『ロング・ラン(The Long Run)』


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このアルバムは、当初は2枚組で1978年にリリース予定だったが、レコーディングに難航し1枚組への縮小に時間がかかった。

前作『ホテル・カリフォルニア』の全世界中での大ヒットが、イーグルスの混迷を極めたのだろう。

このアルバムをリリース後、ワールド・ツアーを敢行し、1979年には再来日。そのライブの模様を収めた『イーグルス・ライヴ』として1980年に発表。

バンドは人気絶頂期だったものの、メンバーの不仲や、曲作りのスランプなどから1980年に活動を停止、1982年、正式にバンドの解散発表。



『地獄のハイウェイ』(Highway to Hell)


AC/DCのメジャー・デビューから6作目。

1980年2月に初代ヴォーカリストであったボン・スコットが急死し彼の遺作となった。




パンク・ロック〜ニュー・ウェイヴの波が押し寄せ、プログレッシブ・ロック勢は「オールド・ウェイヴ」と称されていた。

そんな状況下において、全世界なヒットを記録した2枚のアルバム。


『ザ・ウォール (The Wall)』


ピンク・フロイドの2枚組コンセプト・アルバム

全英3位・全米1位を記録し、全世界で3,000万枚以上という驚異的なヒットを記録。



『ブレックファスト・イン・アメリカ (Breakfast in America)』

 
スーパートランプの6作目で初のビルボードアルバムチャート1位に




パンク・ロック・ムーブメントは、レゲエ、スカ、ロカビリー、ラテン、R&Bなど彼らの身近にあった音楽が取り入れ進化していった。


『白いレガッタ(Reggatta de Blanc)』

白いレガッタ



『ロンドン・コーリング (London Calling)』

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『スペシャルズ (Specials)』

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『ワン・ステップ・ビヨンド(One Step Beyond...)』

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「産業ロック」

かつて反抗の音楽であったロックも、商業的に成功することが期待されるなり、レコード会社の意向や、大衆の嗜好に合わせ、わかりやすいポップなメロディと、キーボードを用いた洗練されたアレンジのロックをプレイするバンドが増えていった。


『コーナーストーン(Cornerstone)』

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『ディスカバリー』 (Discovery)

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『ハイドラ(Hydra)』

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80年代に向けて 一人のスーパースターが始動

『オフ・ザ・ウォール(Off The Wall)』


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マイケル・ジャクソンのエピック・レコード移籍後の初アルバム(モータウン・レコード時代を含めた通算では5作目のソロ・アルバム。)

クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて制作された「マイケルの本当の意味でのファースト・アルバム」

先行シングル「Don't Stop 'Til You Get Enough」は、ソロで初めてのマイケル自身の作詞作曲。




原発反対!『NO NUKES』コンサート 1979


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1979年3月28日、アメリカペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で重大な事故が起きたことに対し、原発に反対を表明していたミュージシャンが、MUSE(ミュージシャンズ・ユナイテッド・フォー・セーフ・エネルギー)というる組織を立ち上げ、1979年9月19日から5日間ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデンにおいて企画・開催したコンサート。



1979年のアメリカ音楽業界は、セールスが落ち込み、レコード返品が相次ぎ、リストラが強行された。

そして、アメリカとイランの敵対は1979年から始まった。


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