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レゲエが70年代ロックに与えた影響は計り知れない そして歴史も変えた

1981年5月11日ボブ・マーリーの死去が、“ルーツ・レゲエ”の終焉で、“ダンスホール・レゲエ“の登場の境界線として語られることが多い。

2021年3月2日 “ボブ・マーリー”および“ピーター・トッシュ”とともにザ・ウェイラーズの結成メンバーだった“バニー・ウェイラー”がジャマイカの首都キングストンの病院で死去した。

ジャマイカのアンドリュー・ホルネス首相は追悼の意を表明した

「ジャマイカにとって、レゲエにとって大きな喪失」

Bunny Wailer - Dreamland


ジャマイカの音楽の歴史は

“スカ”→“ロックステディ”→“レゲエ”→“ダンスホール・レゲエ”

という流れだ。


1962年、ジャマイカ独立を転機に、
ジャズやR&B、カリプソなどの影響を受けて生まれた“スカ”だ。

1962年のジャマイカ独立を記念した曲


1964年にニューヨークで開催された国際見本市において

“ジャマイカン・ジャズ”として、初めて世界に”スカ”が紹介された。



1966年から1968年ごろは、ビートを落とした“ロックステディ(Lock Steady)”へと移行。


1970年代が“ルーツ・レゲエ”時代

「レゲエ (reggae)」と言う呼称の語源には諸説あるが

「ぼろ、ぼろ布、または口げんか、口論」

という意味を表すパトワ語で「レゲレゲ ("rege-rege")」が転じたものという説が有力だそうだ。

レゲエは『レベル・ミュージック(rebel music)』 = 『反抗の音楽』
と言われる。

ジャマイカ人は90%以上が黒人奴隷だったという背景もあり、社会や政治への不満や反抗を歌ったもの、さらに暮らしの貧しさや人生、植民地主義などへの批判や反抗を歌っている内容の曲が多い。

1981年5月11日ボブ・マーリーの死去が、“ルーツ・レゲエ”の終焉で、“ダンスホール・レゲエ“の登場の境界線として語られることが多い。


そして”レゲエ“は2018年11月29日、無形文化遺産に登録された。


多くのアーティストが取り上げたレゲエ・テイスト


Paul Simon

私のレゲエとの最初の出会いは、サイモン&ガーファンクル解散後のポール・サイモンの『母と子の絆(Mother and Child Reunion)」かもしれない。

“レゲエ”という音楽の存在すら知らなかったが、単純にリズムが好きで当時のお気に入りの曲だった。

ちなみに、”Mother and Child Reunion”は、ポールがレコーディングの合間に寄った中華レストランでメニューに見つけた料理名だそうだ。

揚げた鳥肉(フライドチキン)と卵(ボイルド・エッグ)によるこの料理なので、「親子丼」?だったのかもしれない(笑)。


Led Zeppelin

1973年3月28日発売のレッド・ツェッペリンの第5作目アルバム『聖なる館(Houses of the Holy)』 収録曲

デジャ・メイク・ハー (D'yer Mak'er)』もお気に入り。

ジミー・ペイジは語っている。

「この曲をレゲエだと言ったことはない。自分たちに本当のレゲエなど演奏できないのだから、そんなことを言ったらレゲエに失礼だ」


Eric Clapton


そしてレゲエの世界にハマっていったのは、1974年エリック・クラプトンの復活を世界中に伝えた『I shot the sheriff』を聴いた時からだ。

この年、エリック・クラプトン初来日。10月31日からの3日間武道館。大阪で2日間公演が行われた。

当時のエリック・クラプトンは、アルコール依存症の真っただ中で、明らかに酔っぱらった状態でステージに上がった。

1日目の1曲目はアコースティックでの「スマイル」(チャールズ・チャップリン作曲)だった。


Rolling Stones

1976年ローリング・ストーンズのミック・テイラー脱退後、ロン・ウッドが初めて参加したアルバム『ブラック・アンド・ブルー(Black And Blue)』をリリース。

エリック・ドナルドソンの名曲「Cherry Oh Baby」をカヴァー

「Hey Negrita」もレゲエ・テイスト満載の曲。

前々作のオリジナル・アルバム『山羊の頭のスープ(Goats Head Soup)』は、ジャマイカのキングストンにあったダイナミック・サウンド・スタジオでレコーディング。

今ではLive定番曲『Start Me Up』(1981年)は、アルバム『ブラック・アンド・ブルー』のためのセッションの中で、キース・リチャーズが考案したリフから派生した曲で、当初この曲をレゲエナンバーにしようと考えていた。


Steely Dan

1976年スティーリー・ダン5枚目アルバム『幻想の摩天楼(The Royal Scam)』の収録曲「Haitian Divorce」はレゲエ・テイストが感じられる。

この曲のヒントは、ジャマイカで何十年にもわたっていたくさんのアーティストにカヴァーされていたバート・バカラックの「Mexican Divorce」らしい。


Elvis Costello - Watching the Detectives(1977年)


10cc - Dreadlock Holiday(1978年)


The Police - Walking On The Moon(1979年)


Blondie - The Tide Is High(1980年)パラゴンズのカヴァー


Stevie Wonder Master Blaster (Jammin)


そして”レゲエ”は歴史を変えた

1978年「ワンラブ・ピース・コンサート」



1976年、ジャマイカの政治的緊張が頂点に達していた。

ボブ・マーリーは、平和を取り戻すきっかけを作ろうと無料の「スマイル・ジャマイカ・コンサート」を計画したが、二大政党の対立抗争に巻き込まれ、狙撃されて重傷を負う。
(負傷したまま無料コンサートに出演し、翌朝バハマへ亡命。)


1978年にジャマイカに舞い戻り、「ワンラブ・ピース・コンサート」に出演。

コンサートを見に来ていた二大政党の党首をステージ上に招き、和解の握手をさせた。


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