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中学生以降の話。

中学校に入ったのは1988年だと思うが、時はバンドブーム。

その前にヤンキー文化とブルーハーツや長渕剛などとのリンクもあって、ビーバップハイスクールに憧れたヤツが、決まってブルーハーツを聴いていた。

ヤンキーとバンドブームを横目で見ながら、僕は永井真理子に夢中だった。
やまだかつてないTVに出る要するにブレイク前。

大好きというアルバムを近所のすみやでジャケ買いをして、その中に収録されている、「少年」という曲が特に好きだった。

並行して僕が好んで聴いたのは、東京少年、フェビアン、フリッパーズギター、遊佐未森、PSY'S、松岡英明などポップな路線。

雑誌CDでーたとFMステーションで情報収集して、ラジオでチェックしてレンタルCD屋に行って、少ないお小遣いで借りるCDを何時間もかけて選んで、ダビングする為に、カセット(お金が無いのでノーマルテープ)を買って、自分で曲名を記入するのも好きだった。

中学の学校生活はあまり覚えていない。それくらい音楽が自分の中心になっていたし、土曜日の夜は、「ねるとん紅鯨団」から「夢で逢えたら」を観て、ファイブミニのCMを挟んで、「イカすバンド天国」を観て寝る。日曜日は原宿歩行者天国にライブを一人で観に行くのが楽しみだった。

当時、デビュー前のTHE BOOMやFUSEがトラックをステージにして盛り上がっていたと記憶している。

歩行者天国の入り口にはローラー族?がオールディーズをかけながら踊っていたり、バンドが演奏しているエリアは隣同士が近すぎて、何が何だかわからないカオスな感じも楽しかった。

そして、中学3年のある日、永井真理子の武道館ライブに行ってえらく感動した。
僕もいつかああいうステージで演奏したいと心から思った。
楽器は何をやるのか?
当時、楽器屋に勤めていた叔父がギターを貸してくれたので、ちょっと触ってみたが、弦が押さえられない上、指が痛い。じゃあ手っ取り早くエレクトーンを習ってたなら、キーボードという短絡的なオチ。

そうこうしているうちに、高校受験が迫ってきて、兄が通っていた横浜の私立高校を受験。合格してそこに通うことになる。

高校生になってからの話はまたの機会に。


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