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Bobby Orozaとのライブを終えて。

11月上旬、フィンランドのビンテージソウルシンガーソングライターのBobby Orozaと、僕のリーダートリオのTiny Step "Southside" Trioとのライブツアーの仕事があった。あれから一ヶ月たったが、ようやく抜け殻になった自分から解放された気分。


ツアーフライヤー

ツアーが決定し、9月に発表されてから2日で全会場ソールドアウト。追加公演も瞬く間にソールドアウト。失礼ながら、彼のあまりの人気に驚いた。

ボビーの存在はディスクユニオンのSNSで知り、サブスクを聴いて知っていた。
現代におけるビンテージソウルシンガーは好みの人が多く、彼もその一人だった。
そのためか、この仕事の話を頂いた春過ぎ頃は、なんだか不思議な気分だったし、サウンドをあらためて聴いてこれなら僕のトリオでピッタリだとも思った。

それからコロナがまたしても猛威を振るって、僕も感染したり、周りも感染者が増えて、ライブキャンセルが相次ぐ2022年の夏を乗り越えた。
実際夏にはツアーが開催できるのかも不明なまま、話は進んでいった。

9月に入り、ボビーともメールでやり取りし、コード譜とセットリストなどが送られて来て、バックを務めるにあたり、曲数の多さと雰囲気の再現のイメージをして、リハーサルを重ねる必要を感じた。

そもそもボビーがレコードで演奏している編成と、僕たちの編成が違う。
彼がレコードで演奏しているのは、ボビーの歌、ギター、ベース、ドラムにたまにオルガン。僕たちはボビーの歌、ギター、オルガン、ドラム。

ベースがいないということは、僕がオルガンで左手、左足で演奏することになる。
ただ、ベーシストのように細かいフレーズは弾けない。が、場所によっては同じベースラインの方が良い箇所もあったりするので、その選別も必要だ。

実際にリハーサルを出来るのは一日のみ。
ということは、それまでにほぼ完璧に仕上げておく必要があり、ボビーがこうしたいという当日のリハーサルまで対応できるようにしなければならない。

すぐに完成形から逆算して、10月に4回のリハーサルをメンバーのスケジュールを抑え、段取りを決めた。

候補曲は18曲。僕はボビーのコード譜の他に決まっている箇所のリズムも譜面にして、構成も18曲譜面を作った。なかなかの重労働。

一日目は最初の9曲を3人で音源を流しながら一緒に演奏。
とても良い雰囲気。そのうちの一曲を録音して、ボビーにメールを送った。
すると、数日後にボビーからバッチリだとの返事。嬉しい。

二日目は一週間後。残りの9曲をまた音源を流しながら確認。
そのあと、全18曲をおさらい。そこでも曲の内容とタイトルが一致しない。

三日目はその一週間後。ギタリスト秋廣さんと二人ひたすら18曲をおさらい。
また、ボビーが構成を変更しそうな箇所も確認。ようやく体に入って来た感覚。

四日目はその翌日最後の3人リハーサル。ひたすら音源を流しながら18曲をリピート。最後は音源を外して、ボビーの歌を想像しながら18曲を通した。
見事にやり切った感があるが、実際ボビーと合わせるのは翌日。
早めに切り上げて、翌日に備える。

そしてボビーとの対面とリハーサル。
いつものようにドラムの森さんを迎えに行き、機材を積んで会場入り。
お昼頃に会場に着いたが、すでにボビーは到着。軽く挨拶を交わし、すぐセットしてリハーサル。すると、ボビーがとても喜んでくれた。心の中でガッツポーズ。


たった一度のリハーサル

次々に曲を重ね、一旦休憩。代官山の高級ハンバーガーショップで美味しいハンバーガーを頬張りながら、拙い英語で会話をする。
きさくでとても優しいボビーの人柄にもほっとした。

リハーサルを終え、懇親会を短めに行い、その日は帰宅。

翌日11月3日にいよいよ初日を迎えた。
満員のお客さんと音楽好きな男性が多い印象。会場はすごい熱気。

初日の代官山晴れ豆公演

まずは、Tiny Step "Southside" Trioで2曲演奏してから、ボビーを呼び込む。
大歓声の嵐。そして、一部、二部と休憩を挟みながら、18曲演奏。
良い感触で終了し、終演後機材を機材車に積み込み、翌日の大阪に備え帰宅。
機材車は夜中に大阪に向かってくれるとのこと。とてもありがたい。

翌日、11時頃の新幹線で東京駅から大阪へ。
14時頃に会場入りし、セッティングとリハーサル。

久しぶりの新幹線。

リハーサルから本番まで時間があるので、一旦ホテルで休憩。
本番前に揚子江ラーメン。やはり美味しい。


揚子江ラーメン。

二日目の大阪はカオリーニョ藤原さんのグループがオープニングアクトを務めてくれて、こちらも超満員。大阪らしい客層で大盛り上がり。

二日目の大阪。

終演後はたこ焼き、お好み焼きで打ち上げ。
ボビーも喜んでくれて何より。


大阪の打ち上げ。

そして翌日はボビーは京都でDJとのことで、別行動。
僕たち3人は東京へ戻る。
帰りの新幹線でビール呑みながら3人並んで帰るのはとてもレアな経験で楽しかったし、10年の積み重ねが実った感じがした。

帰りの新幹線。

そして3日目は東京に戻り、小岩bush bashにて。
この日は対バンもたくさんあってのイベントのため、機材の転換があり、
演奏前に、ドラムセットやギターアンプを満員の客席を通って入れなければならないことになり、なかなか大変だった。
それでも本番は盛り上がり、無事終了。翌日があるので、すぐに二人を送って帰宅。

帰って一息ついてビールを呑んでたら、秋廣さんから森さんが小岩bush bashに携帯を忘れたとの連絡。これももはや儀式。

3日目の小岩bush bash

そして、4日目は携帯を忘れて連絡手段が無い森さんを迎えに行くと、
珍しく駐車場で待機。
代官山晴れ豆に向かうも、向かう車中でも森さんテンションダダ下がり。
これじゃあ良いライブできないのが容易に想像できちゃうのも結成10年の成せる業。終演後に僕が取りに行くことを伝えて、テンションが戻ってとても良いライブだった。


4日目の晴れ豆。

終演後、2人を乗せて小岩bushbashへ、森さんの携帯を取りに行く。
後部座席と助手席で寝息を立てている二人。これもいつものこと。

無事小岩について携帯をピックアップするも、間違えて持ち帰ってしまった布も返す予定だったが、それを忘れてしまったことに首都高に乗ってから気づく。

これは後日、送付することで解決。二人を家まで送り届け、深夜帰宅。
帰ってビールを呑む。

そして翌日は最終日の晴れ豆。
よりまとまりの増した僕たちはバンドになった気がした。
超満員で物販も売れて無事終了。


最終日の晴れ豆。

僕以外の二人は主に日本のレゲエ界隈では知らない人はいないくらい
ジャマイカンミュージックに精通する方々だが、僕が一緒に演奏する理由としては、それ以外の要素を感じるからだと思う。
ドラムの森さんは元々音大出身というのもあり、クラシックからジャズ、プログレからテクノなど、さまざまな音楽に恐ろしいほど詳しい。
ギターの秋廣さんは、いなたいカッティングをさせたら、独特のトーンで色づけてくれる。そして、森さんには秋廣さんが必要だ。

そんな二人と10年一緒に演奏させてもらって、ようやく僕のやりたい音楽が出来て来たような気がする。

そして、僕のやりたい音楽を理解してくださって、今回も僕たちをお誘い頂き、いつも応援してくださる、music campの宮田信さんに感謝致します。

また、このツアーを通して、僕たちはボビーの人柄も音楽も心からファンになった。

いつか元気に再会して、一緒にツアーできる日を楽しみに精進します。

各地でお世話になった皆様、ありがとうございました。

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