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「ローリングストーン誌の選ぶ歴代最高のアルバムランキング500」の解説文翻訳をやっている理由

こんにちは。こちらのnoteでは、2020年に8年ぶりに改訂があった『米ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバムランキング500」』を、中の人が毎日1枚聴いて、本家サイトにある解説文の翻訳を載せていくという連載をしています。
今日は、この連載をやっている動機について書いてみようと思います。

そもそも、このような所謂「名盤ランキング」のようなものは、今の時代においては正直あまりクールに映るものではないと思います。僕もこの連載を進めていながら、「なんでこんな批評家や権威が順位づけしたものに価値を見出してるの?」や「そもそもローリングストーン誌なんてオールドメディアの評価なんて!」や「そもそもヒップホップとか、アルバム単位で評価すること自体疑問」や「このリスト、日本のアーティスト全然入ってないし出鱈目!」などといった心の声がないわけじゃあないんです。

では、何故このような「名盤ランキング」を聴いては、毎日noteまで更新しているか。それは僕が今の時代だからこそ、「批評」や「音楽メディア」の意義や重要性を感じているからです。僕の世代は20歳ごろにストリーミングサービスが出てきた世代で、そこから古今東西の音楽に簡単にアクセスできるのは当たり前という環境で音楽を聴いてきました。さらには、自分の趣向を驚くほど知り尽くしているAIのレコメンドによって、Spotifyが毎週自分用のプレイリストを作ってくれる、またはYouTubeではオススメの関連動画が常に横に提示され続けている、そういったものをきっかけに自分の好きな音楽やエンターテイメントを知って楽しむのが当たり前の世界で生きてきました。TwitterをはじめとしたSNSも似た感じかもしれません。リアルでは中々出会えないようなマニアックな趣味を持つ人を簡単に見つけられ繋がれます。タイムラインには彼らが良かった音楽やおすすめの映画の感想を書いてくれているので、それを観たり聴いたりしたら自分のセンスと合うこと間違いなし、外れなしです。

このように、僕らが今生きてる世界は何にでもアクセスできる環境がある一方で、実際に接しているものは案外かなりバイアスがかかっているというのも事実だと思います。音楽であれば、例えばCD屋・レコード屋に通っていた頃の方が、アルバムジャケットに惹かれて全く知らない音楽に手を出してみたり、信頼している店員さんがプッシュしているならと知らないアーティストのレコードを買ってみたり、自分にとって未知の領域にふと入り込んでしまう偶然があったような気もします。実際に、近年アナログレコードが若者の間で流行っているのも、デジタルネイティブにとってこういう感覚が新鮮であることが一つの要因なんじゃないかと思ってます。僕自身、中高時代CDを買っていたときには感じていた筈の、「知らないものを知る」感覚や「背伸びする」感覚を、近年レコードを買い始めて思い出し、これが楽しくて仕方ありません。

そして、こういった感覚は個人レベルでも、社会においても、文化や芸術を育てたり進歩させていく上でとても大切なものだと思います。みんなが自分の気持ちの良いものだけを摂取しているだけの世の中になってしまうと、結局「分かりやすい」ものであったり何となく無難なものが増えていってしまう気がする。10代の時サブカルチャーやアンダーグラウンドに傾倒していた人が、大人になり気づけば新しいものを求めなくなっていたり、メインストリームのコンテンツばかりを消費していたり、ということは珍しいことではないと思います。(この辺りの話はこちらの記事でじっくり書いているで気になった方は是非)

話は少し脱線気味ですが、だからこそ、私たちが昔先輩やCD屋、雑誌などに「これは良いものだから聴け!」と言われたものを聴いて好きになったり、または最初は良さが分からなくても「頑張って理解したい」と何度も聴いている内に最後には好きになっていった、というような経験の意義は、自分にとって居心地の良いゾーンの域を出ないレコメンドで溢れる今の時代だからこそ再評価されるべきだと思うのです。もっと大きい話で言うと、政治や思想の分断がいま社会にとって大きな問題になっていくのもこの話に通じると思ってます。左派の人のSNSのタイムラインに右派の人の思想や論理がポジティブな文脈で流れてくることは中々ありません。この「見たいものしか視界に入ってこない」世界が加速していく未来に対しては、政治や思想の分断の話においてはもちろん、芸術やカルチャーにおいても、対抗していく方法を考えていかなくてはならないと思います。

「名盤ランキング」に話を戻しましょう。僕はこういった考えのもと、権威という立場から、大衆に対して「これが良いものだ」と本当に価値のある作品に太鼓判を押し、世間にその価値を気づかせる役目を担っているメディアや批評家の存在はとても重要だと思っています。個人としても、音楽を知るときにAIのレコメンドやSNSのタイムラインとは違うチャネルを持っておきたいと思ってます。だから今回、音楽メディアの最大権威であるローリングストーン誌が8年ぶりにオールタイムベスト500枚のリストを改訂し最新の批評を提示したタイミングで、「音楽批評の意義とはいかに」という検証も込めて一度真剣に向き合ってみたいと思ったのです。「これは歴史的に意義ある作品です!」と言われたものに対し、自分の中の新しい扉を開けたり、時に背伸びしたりしながら、まさに先述したような「先輩に勧められたものを片っ端から聴いていく」感覚を楽しみ、自分のセンスや趣味趣向からハミ出ていきながら、同時に音楽メディアや批評って現代においてもまだ役目があるよね?ということを考えていく試みです。

そして、今回2020年に8年ぶりに改訂された、500枚のリストはそれに値するものになっているのかなと思いました。正確には、ローリングストーン誌が最初に「歴代最高の500枚」を発表したのが2003年、2012年には数枚のマイナーチェンジがあっただけなので、2020年版は実質17年ぶりの大幅な改訂版になっています。名盤ランキングとはその時代から振り返った歴史観の反映であるため、順位づけがされる時代の感覚に大きな影響を受けるはずです。今回の500枚のリストでは、2003年版から比べてラップアルバムの数が3倍となったり、前回1位だったビートルズの『Sgt. Pepper’s〜』が24位まで落ちて1位がマーヴィンゲイ『What’s Going On』となったり、評価の大転換がそこら中に見られます。かなりチャレンジングで、音楽批評の潮流をひっくり返す意気込みを感じるリストを作ってきたと思いました。

ちなみに、誰が選んでるの?というのが気になる人がいれば、こちらのリンクから投票者リストが見られます。評論家から、メジャーレーベルの重役から、プロデューサー、ビヨンセやビリーアイリッシュ、U2やメタリカ、ジョンケイル、ロバートスミスまで、多様な音楽関係者が参加していて、ある程度信頼に足るのではないと思います。

僕がこのnoteでやってることは、基本的には(出来るだけ)毎日1枚アルバムを聴くこと、そして本家サイトにある英文の解説文を日本語翻訳し、前回版(2012年版)との評価の比較をするための順位データを整理することになります。たまに、ネタがあるときは、小コラムのような文章も書いています。また、まだ計画段階ですが、50枚か100枚ごとに、何かしら特別編的な記事も書けたらなと思ってます。

英語の解説文を日本語に翻訳している動機としては、単純に自分が英文翻訳をするのが好きなのと、日本語の解説文がネット上のどこにも存在していないからです。自分が500枚分の解説の日本語翻訳をネット上にアーカイブ化することで、少しでも多くの日本人が今回のランキングに再度触れる機会ができれば良いなと思ってます。「名盤ランキング」のようなものの意義も感じてもらえるきっかけになれば嬉しいです。

毎日欠かさず1枚書いても走り切るまで500日かかってしまう企画ですが、音楽批評が2020年に何を評価しているのかを知りたい人、居心地良いゾーンを脱して新しいジャンルや音楽に出会いたい人、1年半くらいでポップスの基礎教養に一通り触れたい人、などは引き続きチェックしていただけると幸いです。
現在500位から開始してから35枚聴きましたが、さすが名盤と言われてるだけあって素晴らしい作品しかないので今後も楽しみです。(辻本秀太郎)

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