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僕とプロレス

①昔の僕とプロレス
 僕は幼稚園の頃には既にプロレスファンだった。プロレスというよりも、レッドパンツ時代の武藤敬冶が好きで好きでたまらなく、毎週土曜夕方四時のワールドプロレスリングは何よりの楽しみだった。今やとぼけたおじさんとなってしまった長州力がバリバリ活躍しており、若手の部類の武藤敬司や橋本真也、蝶野正洋も中心選手として活躍していた時代だ。大好きな武藤が新日を離れたことで、僕はプロレスを見なくなった。

 時が経ち、武藤敬冶は全日に参戦するようになった。それと同時に僕は全日を見るようになった。僕が初めて見た武藤敬冶は髪がふさふさのハンサムな選手だったが、中西にG1で負けた時には髪の毛が薄くなり、全日に参戦した頃には、今と同様に丸坊主だった。

 当時の全日本プロレスリングは、三沢光晴含めた選手の大量離脱があり、実際は川田利明一人で団体を支えていた。横道に逸れるが、今も全日が団体として存続しているのは、やはり川田利明のおかげだし、佐々木健介との抗争など一人で新日に乗り込む姿には胸が熱くなったのを覚えている。全日としては、選手が大量離脱したことが一つの契機となり、かつて袂を分かったスターである天龍源一郎が帰ってきて、ライバル団体:新日の象徴であった武藤敬司がフリーで参戦することになる。選手の離脱前の全日は純血主義だったため、他団体との抗争(交流)は基本的にはなかったが、このタイミングで団体存続のために潮目が変わったのだ。

 僕が好きな武藤はフリーの立場として各団体に参戦し、あれよあれよと日本プロレス界の主要タイトルである三冠ヘビー級(全日)、IWGPタッグ(新日)、世界タッグ(全日)を奪取し、史上初の6冠王者となった。(三冠ヘビーはベルト三本、世界タッグはベルト二本のため、計六本のベルトをまいた。)これは大ニュースで、当時の週刊プロレスには体中どころか顔までベルトをまいた武藤の写真が出まくっていた。余談だが、去年メジャー団体:NOAHのGHCヘビー級も戴冠したらしいので、主要団体すべての王者となった数少ないレスラーに武藤はなった。武藤は天才ジーニアスなのだ。

②プロレスの団体(余談)
ここでプロレスの主要団体について説明をしよう。当時の記憶を基にしているので、各団体が現存しているかはわからない。当時プロレスはメジャー団体とインディー団体の大きく二つに分けられていた。

【メジャー団体】
新日本プロレスリング(新日)
全日本プロレスリング(全日)
NOAH

【インディー団体】
それ以外(ゼロワン、大日本プロレスリング、DDT、海援隊、闘龍門とか)
※インディー団体は今も存続しているかわかりません。

 元々、力道山が始めた日本プロレスが日本のプロレス団体史の源流である。力道山の死後、日本プロレスのスター選手がそれぞれの団体を起ち上げた。それはアントニオ猪木が立ち上げた新日と、ジャイアント馬場が立ち上げた全日だ。そして、ジャイアント馬場の死後全日からほとんどのレスラーが離脱し、立ち上げたのがNOAHだ。基本的には猪木・馬場の直系団体がメジャーと呼ばれ、それ以外がインディー団体と呼ばれる。かつてはインディーとメジャーでは団体規模はもちろん、入団基準(必要な体格)も異なった。

③今の僕とプロレス
 現在は空前のプロレスブームと聞いている。新日本プロレスには新世代スターが現れ、結果としてグッズ売り上げもうなぎ上りらしい。①でも記載した通り、武藤もなんだかんだで活躍している。多分今のプロレスを見ても、僕は夢中になるのだろう。だけど、今の僕はプロレスを見なくなった。なぜなら、アイドルにハマっているからである。

 プロレスは意地の張り合いだ。決まったストーリーラインもあるし、選手たちの中には団体のスターになる人間もいるし、脇役になる人間もいる。決められたストーリーの中での、選手たちの思いや熱を感じるのがプロレスの醍醐味といえる。その点では、大規模アイドルも似ていると思う。それぞれが夢をもって芸能の世界に入ったにもかかわらず、スターになる者、全く輝けない者にわかれる。役割分担は、基本的には上の人間が決める。決められたストーリーの中に垣間見える真実や意地の張り合い、そして予期せぬ確変。これらがアイドルの醍醐味だと思う。


  アイドルとプロレスの魅力は似ている。虚構の中の真実、意地の張り合い、個々の熱量、共通点は沢山ある。プロレス好きはアイドルを見てほしいし、アイドル好きはプロレスを見てほしい。


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