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若手指揮者インタビュー!中城良 1/3指揮と私編

2021年7月5日(月)に開催される「若手指揮者と特別編成オーケストラによるトライアウト・コンサート2021」には4名の若手指揮者が出演します。
公演を控えた6月下旬、オンラインインタビューを実施!プロフィール文だけではわからない、それぞれの素顔を探るべく、制作担当がインタビューを行いました。

第2弾は、中城 良(なかじょう・りょう)。
《twitter:https://twitter.com/nakajo02021995
1995年生まれ、今回の最若手!
彼は今回の公演でベートーヴェン:交響曲第5番「運命」を指揮します。

—中城さん、出身地やゆかりのある地域を教えてください。
生まれは東京都杉並区です。そして育ったのは隣の練馬区です。

5歳で作曲家になりたかった!

—これまでの音楽歴を教えてください。
一番初めは3歳の時、ヴァイオリンを始めました。母親が、“男の子が楽器を弾いたらモテるのでは?”と思ったらしく(笑)幼稚園にあったヴァイオリン教室で習い始めました。
その次はピアノを。すると、楽器よりも、曲に興味を持ったようで、5歳の時点で作曲家になりたい、という夢を持つようになりました。小学生の時こそ勝手に好きなように曲を作っていましたが、中学からは専門の藝大の先生について作曲の勉強を始めました。

中学の合唱祭で、初めての指揮。芽生えた指揮への憧れ。

—指揮者になろうと思ったきっかけは何があったのでしょうか?
中学の合唱祭で、私はよくピアノ伴奏をやっていました。ただ中学3年の時、指揮者候補がおらず、指揮をすることになりました。
練習するときに、男子がみんな練習サボって帰っちゃうとか、女子同士で泣いて揉めるとか、色々あったんですが・・・とにかく間に入ってあーでもない、こーでもないってやるプロセスが半年あったのに、本番ではたったの5分間。だけどそのときに、心をひとつにしていい演奏をできた感激がいまだに忘れられません。そうした色んなことがあったプロセスが、自分にとってはすごいエクサイティングで、それから指揮者にすごい興味を持ちました。

高3の時、作曲から指揮へ方向転換!

ずーっと作曲の勉強をしていたのですが、高校3年生の時、指揮者を志し、大学では東京音楽大学の指揮専攻に入学しました。

—高校3年生で作曲から指揮に転向したのはなぜでしょうか?
高校3年の夏は、まだ作曲でねばってて。指揮者には憧れるけど、きっと難しいのはわかっているから選んでこなかったんです。正直挑戦することから逃げてました。
でも自分は作曲家になりたいのに、曲がかけない人だなということに気づきました。先人が書いた曲を分析してどうできてるとか、こういう特徴があるとか、そういうことは流暢に話すこととかはできても、0から1を産む人にはなれないなという。もう高校3年生の夏ですから、焦りがありました。
東京音大の夏期講習に作曲で参加して、その時になぜか指揮科の先生に相談しに行こうと思った。
「僕、悩んでるんですけど」って。夏期講習中に、アポ無しで指揮科の研究室に行きました。そしたら私のその後の先生である広上淳一先生がいらっしゃいました。
「本当はどっちがやりたいの?」
と聞かれました。憧れてるのはやっぱり指揮者だ、と気づかせてくれた。そういうきっかけをくださって、本格的に指揮者をめざそうと決めました。
作曲で勉強したことも生かされるから、それを表現する人になろうと思ったのがきっかけですね。

楽器の苦労を知る

—大学では、様々な楽器にトライした、と聞きましたが・・・
音大に入ってからは一通りの楽器をやりました。音階だけでも教えてください!と、色々な楽器の先生のところに行って、勉強させてもらいました。クラリネット、トロンボーン、ホルンも経験しました。
とにかく、それぞれの楽器を吹いて、弾いてみて、苦労を知らなければだめだと。

—その中でも一番難しかった楽器は?
断然ホルンでした。
よく、指揮者が“ホルン遅い!”というのを聞きますが、実際に吹いてみて、その理由がわかりました。「ここで落としてください」という指示が出されたときに、すごいキツイとか。その心理を知りました。

—最近はどんな活動をしていますか?
最近は、オペラの現場に立ち会うことが多いです。オペラアシスタントのお仕事もいただいています。
また、2年ほど前から、札幌のアマチュアオーケストラに指揮をしに定期的に行っています。マーラーの5番を札幌のKitaraホールで演奏させてもらいました。

次は、中城さんのプライベートを聞いてみましょう。

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