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僕らが謎解きクリエイター集団になった日

「年末年始ってつい食べすぎちゃうよね」とか言いつつ、普段からつい食べ過ぎっちゃってるよね。どうも、こんにちは。新潟初の謎解きクリエイター集団やらせていただいています。
Try-aNgLe(とらいあんぐる)のたこやきっていいます。

普段は、新潟県内を中心に謎解きイベントの制作や自主公演を行っています。公式LINEがあるのでよかったら公式LINE登録してください。下線のとこポチってしたら登録できるんで、よろしくお願いします。

はじめて名前を聞いた方にはなんじゃらほいな話ですが、実は謎解きクリエイター集団を名乗りはじめて2年以上たっていまして。よく聞かれるのが「なんで謎をつくりはじめたんですか?」って話。

ちょっと初心もわすれかけてるんで今回は、「なんで謎解きをつくりはじめたのか」というテーマをたこやき目線でかっこつけて書いてみようかなと思います。(追記:全部書いてみて思うけど、あぁ・・・なんか恥ずかしくなってきた。あぁ・・・。)

僕らが謎解きクリエイター集団になった日


人間には2種類の人間がいると思った。
「楽しい」を提供される側と『提供する側』 ―——


2020年 コロナウィルス感染症で世界中すべてがひっくり返ったあの頃。
趣味も生き甲斐も楽しみもなくなった暇人オブ暇人がぼくたち、いずれTry-aNgLeになる三人だった。

大学時代全ての遊びを教えてくれたたつきさん。
ぼくの妻のまどかさん。
そしてぼく、たこやき。
気が置けない友人3人といえばまさにというように毎日うちで遊んでいた。というか帰ってきたらたつきがいつもいた。

その頃、コロナウィルス感染症で行動制限がかかる中、家にいながら楽しめるエンタメということでいろいろなことが流行った。
ゲーム、料理、ボードゲーム・・・・そして、謎解き。

ぼくたち暇人3人衆もミーハーながらいろんなことをやった。ディズニーに行けないからチュロスをつくったこともあった。末期じゃん。末期ーマウス。

そしてもちろん、謎解き。
もともとSCRAPさんのリアル脱出ゲームが好きだったのもあり、家でできる謎解きを3人でやり漁った。

いろいろなエンタメに触れ、「あーなんだ!もともと俺インドア派だった!おうち時間最高じゃん!」と思い毎日を楽しみながらも、心の中で一つの疑念が芽生えはじめる。

「あ、なんか、流行を作ろうとしてる人たちがいるな。」

多分、コロナウィルス感染症が流行しなければこんなこと思わなかった。流行りに流されながら生きてきたんだと思う。ただ、この時期、異常なくらい次々と今までになかったエンタメが流行りはじめていた。流行を作ろうとしている人がいて、その人が作った流行で人々は楽しむんだ。今思えば、当たり前の話だ。そうじゃなきゃタピオカなんて得体のしれないもの流行るわけがない。両生類の卵じゃん見た目。

それに、気付いたぼくは、またもう一つの思いが沸々と沸き上がる。

「作る側になってみたい。作る側で人を楽しませてみたい。」

話すと長くなるので、今日は割愛するが、ぼくはもともとそういうイベントをつくったり、人を楽しませたりするのは好きなタイプだ。学年に1人はいる陽キャにも陰キャにもなれない、陽と陰の狭間にいる存在。(以下、陰陽師と呼ぶ。)

「そんなしがない陰陽師がこのコロナ禍でなにか人に提供できるものなんて・・・あ、謎解きいいじゃん。」

この時、恐れ多いながらも「自分でも作れそう」と思ってしまったのが謎解きだった。なんで作れそうと思ったかとかは、あんまり覚えてないがとにかく「作れそう」と思った。多分だけど単純に「一番作ってみたかった」んだと思う。

そこで、たつきさんに話をした。たつきさんは、学生時代から言えばなんかなんだかんだ言いつつ色々叶えてくれるドラえもんみたいな存在だった。あの頃、ほぼうちに居候してたからリアルドラえもんだ。

「ねぇたつきさん。
人間には2種類の人間がいると思うんだよね。
楽しいを『提供される側』と・・・・
『提供する側』
『提供する側』になってみたくない?」

たつきさんは、その時「いやいやいやおれはいいよ!提供される側で楽しいから!」と笑った。でもたつきさんがドラえもんならたこやきはのび太だ。アグレッシブなのび太。

「俺らアカペラしてるからさ、アカペラ×謎解き作って、友達にやってもらおうよ」

「ほんとにいいから!おれは」と言いながらも「もしやるとしたら・・・」と大謎の構想を話し始めた。それにのっかる形でぼくも話し始める。
「それおもしろいね。」「めっちゃいいやん。」と盛り上がりはじめる。

そして、たつきさんが帰る頃にはこのポスターができあがっていた。

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「いやなんかポスターできてるし!これ作る流れやん!いや俺は提供される側でいいからね!」とか言いながらその日は帰っていたたつきさん。


次の日、仕事終わりにたつきさんからラインが届く。

「制作しよう。ダメだわこれ。作り終えないと仕事に集中できない。」

こうして、1作目「思い出のライブハウスからの脱出」の制作がはじまった。そこからは怒涛だった。1か月くらいで作った。

友達とまたワイワイみんなで楽しめるように
みんなが「いや、なに作ってんの」と笑えるように
「趣味のわりにクオリティ高すぎない!?」と驚いてもらえるように
作ったのがこの作品だった。
この作品が口コミで少しずつ広がっていった話はまたの機会に・・・。

まだ無名(ほんとの意味で)の人間が謎を作り始めた日。
それは、提供される側の人間が、提供する側の境界線を少し超えた日。
そして、たつきがたこやきにそそのかされて沼にハマった日。

もう2年前か、早いな時が経つのは・・・


それでは、今日はこの辺で。
新潟謎解きクリエイター集団Try-aNgLeのたこやきでした。



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