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「京都を、すごす」Vol.7

3月に入ってぐんと暖かくなりました。
20度を超える日も増えて、日中はアウターもいらないくらい。鴨川沿いを散歩していると半袖の人も多く見ます。

そんな春の陽気の中、日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)に行ってきました。


まずは拠点、四条河原町近辺から三条に向けて鴨川沿いを散歩。

三条大橋

すっかり春の陽気。
座る人、歩く人、走る人、自転車に乗る人。それぞれの休日って感じです。

三条から地下鉄東西線に乗り込み蹴上へ。

何年か前に蹴上インクラインに行こうとして迷ってたどり着けずに帰った記憶を思い出しました。
日向大神宮の入り口と一緒だったなんてそんな…。

日向大神宮鳥居

鳥居をくぐったところにお家が何軒か並んでるんですが、そこの花が咲き乱れててとてもいい香りがしていました。

この階段を登っていきます

道が3つに分かれていて、日向大神宮は一番右のゆるい坂道を登っていきます。

帰るときに気づいたのですが、どうやら右の二本の石柱、鳥居の支柱のようです。
よくよく見ると、笠石と貫石がきれいになくなってしまっているのが見て取れました。

結構きつい登り坂

登りきったあとに振り返ってみると、まあまあの坂です。膝が笑ってます。

駐車場

駐車場もあり、車で来ることも可能です。
ただ私の通ったルートは徒歩のみなので、車の場合は別ルートになります。

駐車場の奥、ふと横を見ると山の中にぽつんと鳥居。

あえて暗くしたまま撮ったので薄気味悪さ倍増させてしまってます。
この奥に伊勢神宮遥拝殿があると思われます。私は膝の限界で登るの断念しました。日頃の運動不足よ…。


日向大神宮

日向大神宮は京の伊勢と呼ばれていて、境内には外宮・内宮が存在します。

社伝によれば、第23代顕宗天皇の治世の頃(485~487年頃)に筑紫の日向にある高千穂の峯の神蹟を遷して創建。
応仁の乱で社殿を焼失。その後、江戸時代初期に再建されて、後陽成天皇によって「内宮」「外宮」の御宸筆の勅額を賜る。
慶長19年(1614年)に、徳川家康により失われた社領も戻される。
交通の要所・東海道の横にあることから、交通祈願の神社として有名になった。

wikipedia「日向大神宮」より抜粋


外宮の前に数人並んでます
左奥に内宮・右手前に外宮
階段を登った奥が内宮

内宮の手前に小川なのか池なのかがあり、橋を渡るようになっています。
川を越えるのは境界を越える、ひいてはあの世とこの世の境目、なんて言いますよね。それをふと思い出しました。

内宮

個人的な話、2年ほど前に伊勢で3ヶ月過ごしたんですけど、その間に2,3度お伊勢さん(伊勢神宮)に参拝しました。作りが似ていて懐かしさを覚えます。

内宮の左手に奥へ続く階段があり、そこを進むと天岩戸があります。

入口
出口

巨大な岩石を人工的に抉って作ったような造り。
(どちらが入口でどちらが出口かは判然としないですが、内宮に近い方を入口と表記してます)

開運厄除。
今年は前厄なので厄除け願っときます。

昨今のコロナ事情のため御朱印は紙タイプ。

御朱印/300円


最初の鳥居から本殿までの道のりは徒歩で15分くらい。ですが坂道なので結構膝にきます。
(おそらく参道だと思われる)道の両脇にはなかなか趣深い住宅が立ち並んでいました。木造建築で、古民家と呼べる建物も何軒かありました。
ゲストハウス、シェアハウスのようになっているのも見ましたが、空き家になってしまっているのも少なくなかったです。
なんだかもったいないなぁと、古民家好きは思います。

周辺は小規模な土砂崩れがあって、その補修工事もされていない様子だったので廃れている印象。
最初の鳥居だった石柱もそうですが、社務所でも修繕費募集の呼びかけの張り紙が出されていたので、そのうち大々的に改修されそうな気もします。


帰り際にちょっと寄った蹴上インクライン。

蹴上インクライン

桜の見頃だとさぞ綺麗なことでしょう。
蕾はまだまだでした。

疎水

水の流れる音は良い。

菜の花

桜に菜の花。
この日は啓蟄と春分の間の頃だったので、春の目覚めという雰囲気でした。

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