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小さな物語は大きな物語に勝てるのか。都知事選と「うつみさとる」

今日は都知事選投票日の前日である。もう期日前投票を済ませた方も多いだろう。ここで私達にとっての都知事選の意味を考えてみたい。

このブログを見てくれている方はおわかりだと思うが、私達にとっての現代社会を物語に例えるなら、もっともふさわしいものは、「マトリックス」である。自分たちの生きている社会は実は「仮想現実」に過ぎない、ということに気づいて行動する、私達が今直面している状況は、そういうことだ。
それはすなわち、教えられてきた歴史、教えられてきた世界状況がすべて虚構だと気づくこと。

私達を「救う」ために用意された薬物が実は私達の健康状態を損ね、社会を管理するためのものに過ぎなかったことは、私のブログや、中村クリニックの中村医師などのブログを読んできた方ならとうにご存知であろう。それだけではなく、アメリカ大統領選挙も、ウクライナ戦争も、マスコミの報道する「事実」と自分で調べてわかる「現実」があまりに乖離していることに、私達は気がついてしまった。だが、おそろしいことに、周りの人間の殆どは、マスコミの垂れ流す「事実」をそのまま信じて生きている。この世の真実など訴えようものなら、「陰謀論者」「考えすぎ」と片付けられてしまう。
自らの無力さを感じたのは、何よりも周囲が止めても止めても打ち続けたあの「薬物注射」だ。私の周囲でも若い友人がそれで二人亡くなってしまった。たぶんこの悲劇はまだ続く。
リアルワールドを見ろ、マトリックスでいえば「赤い薬」を飲め、と周囲に語っても誰も耳を貸さない。そうした思いをしたものは多いだろう。あなたもそうではないだろうか。
このマトリックスの例えは、コロナ初期に武漢の新型ウイルスをレポートしたドロスデン論文の虚偽をいちはやく見抜いたドイツ在住の「めいこ」さんが好んで使ったものであった。彼女が来日したとき、会いに行ったのは「よしりん」「池田としえ」そして「うつみさとる」であった、ことはまだ記憶に新しい。うつみさとるは、薬物被害と医療の嘘を誰よりも早く強力に打ち出していた反医師たる医師であった。NIHのファウチ博士の膨大で重大な嘘を見抜く著作を出し、今は第三の大統領候補として活動しているロバート・ケネディJrと、誰よりも早く今回のワクチンの危険を訴える本を出したのもうつみさとるだった。

うつみさとるは、これも早くからコロナとワクチンの虚偽の物語を暴いた「Heavenese」に悪者としてダースベーダーのお麺を被って登場した。彼は医療を否定し、天皇を否定し、安倍晋三を否定し、宗教を否定し、日本の未来を否定し、椅子に浅く腰掛けてふんぞり返り、言葉の語尾をのばし、常に悲観的な未来を語り、態度が悪く、到底、尊敬できる人間ではなかった。

そして自分が「悪」に見えることを意識して、悪役を気取った。だが、彼の周りにはいつも人が集まるように見える。関係した人は、なぜか彼のファンになる。不思議な魅力があった。僕は嫌いだったが、無視できない男であり、なにか真実に触れる感覚もある発言もする男であり、とくに彼の書いている本は、言葉遣いは未熟なものの、事実の網羅性は優れていた。医療にしても、社会にしても、人間の心にしても、彼は自分の医療の現場で見えたことを逃さず考える、哲学者でもあったからだ。

誰かがエックスだったかで、現在の都知事選を含む戦いを「スターウォーズ」に例えたのを読んだ。うつみん(うつみさとる)の予言によれば、日本は今年滅びる。だが、物語はそれで終わらない。スター・ウォーズ的に言えば「現在」は銀河帝国の宇宙支配が完成したが、「ジェダイ」による反乱が始まる最初の年、「New Hope」エピソード4(実は第一作)で、これからの30年戦争でジェダイを擁する反乱軍が勝つのだ、というのだ。

ふたつのSFを時局に当てはめるのは幼稚に見えるが、私達が留意すべきことがある。都知事選がどうなろうと、「物語」は続くのだ。日本、という物語も、「私」の物語も続く。都知事選は、率直に言って、組織票をもつ小池、蓮舫あたりが勝つであろう。バカバカしく、嘆かわしく、悲しく、深刻で残酷なことだが、いまだに「マトリックス」状態が続く日本では、それが現実である。だが、うつみさとるの戦いは、たしかに「NEW HOPE」あらたなる希望、というにふさわしいものであった。

今回の都知事選での振る舞いに私が感心したのは、まず第一に、その演説の論理性と勢いだった。今回の都知事選で本当にもっとも深刻なイシューはなんといってもレプリコンである。自己増殖型でこの秋に本格的に稼働するレプリコンは、なぜか実質的に日本でだけ実施され、不可逆的に日本人の命と健康をおびやかすだろうと巷間言われているが、むろんマスコミは沈黙している。この論点を鋭く指摘するのはうつみさとる候補のみである。それだけではなく、NTT,水道、東京メトロの外資への売却、強引で環境破壊で利権でもある太陽光発電の巨大な偽善、神宮外苑の伐採など、小池と政府の成し遂げようとする日本売却計画を繰り返し指摘する。それを訴える内海の演説の迫力は連日増し、感動的でさえあった。

ここで気がつくことがあった。それは内海の周囲への気遣いである。自分は炎天下にたち、聴衆を日陰に立つように促し、休憩時間をもうけ、人々を気遣う様子、ボランティアスタッフやゲストに感謝を捧げる言葉、救急車が通ったり、具合が悪くなるものを見かけると演説を中断して対処する姿。これが彼を見直す第二の理由だが、本当に説得力があるのは実はこちらである。彼は著書で繰り返し述べている。人間は皆嘘つきだから、言葉は信用できない。信用できるのは行動だけである。まさに、彼は自ら実践していることが見えてくる。

ワクチン被害者の会のメンバーや代表の方が真剣に応援する姿や、池田としえさんやヘブニーズのマレさんがシャカリキに応援する姿を見ていると、この人の今までの活動は毒や露悪はあったが、このような人を本気で魅了する普段の行動があったことが浮かび上がってくる。

だが、うつみさとるが今回の選挙で一番の素晴らしい候補であって、彼に一票を投じればよい、という問題かといえば答えは否である。物語は序章に過ぎない。
マスコミを含む金融資本がみせてきた大きな物語、マトリックスを打ち破るのに、便利な「赤い薬」は実はない。内海の唱える歴史説や医療説に賛同する必要さえない。大事なことは、「誰か」に頼る考え方をやめて、自分の考えを自分で持つこと、そのために物事の本質を常に考える生き方を選ぶことである、内海は著書の中で訴えていることで、都知事選で彼が主張しているのも実はそこだ。もし彼に一票を投じて、結果がどうなっても、それに一喜一憂しているだけでは、競馬の馬券を買ってトボトボあるいは意気揚々と帰る詰まらない傍観者に過ぎない。
彼は訴える。こんなに希望のない社会になったのは、誰のせいでもない。小泉純一郎のせいでもなく、安倍晋三のせいでもない。岸田や小池のせいでもない。社会や政治に無関心な者があまりに多すぎたせいだ。彼は主体的に考える人々が2%から5%になるだけでも変わる、そして10%になればまるで世界が変わる、と訴える。それは他国での先例があるからだ。実は過半数の人が変わる必要はない。10%、たった10%の人が真剣に物事を考えるようになり、発言するようになるだけで、世界は変る。

マスコミの裏にいる資本側もそれはよく知っているから、内海聡を無視する。悪いが、今回は山口敬之さんも、我那覇真子さんも、今、どのような物語の場面なのか、わかっていない、鈍感で、時節のわかっていない、傍観者に過ぎない。
内海聡の思想は、天皇を100%否定して、容認できない、田母神さん陣営とまとめられないのは当然というのは全くそのとおりでよかろう。本当にどうしようもない男である。だが当選しようとしまいと、巨大な権力に一矢報いるのは、本当は誰なのか。

本当は、あなたであり、私である。内海への票は、それを表現するにすぎない。

今日は、内海聡は、国会を取り囲む演説を予定しているらしい。私は海外にいるので、残念ながら現場にはいけないが、もし日本にいる人がいたら、国会に駆けつけてほしい。

くだらない、どうせ組織票が勝つ、意味がない、票が割れる、うつみは馬鹿だ、そう思う人はそれでよい。家にいて、明日は映画にでもいけばよろしい。傍観者として過ごすのもよかろう。それも生き方だ。

だが、自分で自分の人生を切り開く、主体性をもって自分を生きる、と思う人は、この都知事選のイシューは本当は何なのか、今日、よく考えてみてはどうだろうか。NEW HOPEのルーク・スカイウォーカーはうつみさとるではない。私達一人ひとりなのである。
私達ひとりひとりの小さな物語が資本の描く大きな物語に勝てる日は、明日なのか、30年後なのか。案外展開は、早いように思うのである。

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