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大学受験失敗後、編入学に救われた私

こんにちは☺
現在、23歳、社会人1年目のくゆです。

1~3月といえば、大学受験ですね。
毎年、この時期になると受験を思い出します。

おそらく、人より変わった大学受験生時代を過ごした私のストーリーが
誰かの励みになったら嬉しいなと思い、このnoteを書きます。

大学受験を経験した方、そうではない方も読んでいただけたら嬉しいです!


悲惨な大学受験

私の大学受験は波乱万丈、その一言に尽きます。

高校3年生の私はちょっと特殊な推薦で大学進学を目指していました。
結論から言うと、校内の推薦枠は獲得したものの、担任の書類提出不備により、高3の12月に推薦が破棄となりました。

ちなみに、私は推薦で大学に行く(行ける)つもりだったので、受験勉強は一切していなかったです。
この時「人生終わったな。」と初めて思いました。

これまでも、挫折は何回もしていました。
ただ、中学~高校の6年間の努力がまっさらになるような出来事は初めてだったので、私には大ダメージだったことを覚えています。

また、私に誤りがあれば、自分のせいだから仕方ないと言い聞かせられたのですが、”担任の書類提出不備”が理由となると話は違います。
当時は、「失敗を人のせいにしてはいけない」と思う気持ちと、「お前(担任)のせいだ」と憎む気持ちが交錯して、すごく辛かったです。

余談ですが、担任は推薦アンチの先生で、私が不合格だった時も笑っているような方でした。自分のせいではないと言い続けておりましたが、どう考えても、お前のせいやろと今は笑えます(笑)

皆さんも、自身の大学受験の思い出がありますよね。
何が成功で、何が失敗なのか、それを見失うほど一生懸命に頑張った時間だったと思います。

高校3年生の私にとっては、大学受験に失敗したこと(推薦で合格できなかったこと)は大きな大きな失敗でした。

編入学との出会い

私は、推薦破棄後、高3の12月から死ぬ気で受験勉強を始めました。
しかし、志望大学のレベルに届くはずもなく、不合格通知ばかりを確認する日々でした。
そんな中、ある大学の文学部英語系の学科に合格しました。

当時は合格して嬉しい反面、「やっぱり志望大学に手が届くわけないんだ…」と落ち込みましたし、「来年は浪人して一から頑張るしかない」と
負のオーラ全開でした。

そんな時、母が「浪人しても合格するかは分からないから、とりあえず受かった大学に進学して、2年次編入学に挑戦してみたら?」と提案してくれました。
編入学をまったく知らなかったので、調べたところ、志望していた経営学部に2年次編入の受け入れをしている大学を見つけました。

「年次を落とさずに志望学部に行ける可能性がある」ということは、私にとってかなり魅力的でした。
そのため、大学にはいったん進学し、編入学の勉強をしようと決めました。
ただ、高3の苦い経験があるので、一般受験の勉強も並行して行いました。

ラストチャンス!2度目の大学受験

編入学の試験科目は、英語と小論文が主でした。
私は、進学した大学のT教授とM教授の力をかりながら、日々教授室で
勉強をしました。

このT教授とM教授は、私の恩師です。
T教授は、英語と小論文を教えてくださいました。
そして、私の高3の過去の話を聞いたとき、すごく素敵な言葉を伝えてくれた方でもあります。

T教授「その先生がしたことは許されることではないです。でも、その先生を憎んで見返してやるといったマイナスな気持ちで勉強することは、あなたにとって良くないです。だから、支えてくれる家族、友達のために頑張ろうと、少しずつ前向きな気持ちに切り替えながら一緒に頑張りましょう。」

本当に本当に温かい大好きな教授です。
T教授のおかげで、誰かのために頑張ることが出来るようになりました。
ちなみに、T教授は大学受験の英語を全く教えたことがない方ですが、私よりも英語の赤本を読んでいましたし、しまいには文献を見つけて喜んでいました。
また、T教授は小論文も未経験でしたが、旬の話題となりそうな本を何冊もプレゼントしてくれたり、何百と小論文の添削をしてくれたりと、私よりも熱心に、楽しんで、共に勉強してくれました。

M教授は、とってもお茶目で、面白いおじいちゃんです。
主に英語のスピーキングの練習を手伝ってくれました。

編入学の受験科目であった英語は、大体の大学がTOEFL iBTかIELTSのスコア提出を必須としていたため、スピーキングの練習が必要でした。大学1年生の頃は、昼放課に毎回M教授のもとへ行き、毎日英語で話し、リスニングやスピーキングに慣れる日々を過ごしました。

M教授もすごく温かい人です。
「Thank you for being 〇〇.」と私が私であることを喜んでくれました。

そんな頼もしい教授2人の力+独学での勉強(数学・古文・漢文)を経て、編入学試験と一般受験に臨みました。

結果、編入学試験、一般受験共にに合格しました。
ただ、一般受験で合格した大学は、編入学試験で合格した大学と一緒だったので、編入学を選択しました。

この環境にいれたことがラッキー!努力の結果だと過信しない

無事に、編入学に合格できた私は、大学2年生から希望の大学の希望の学部での大学生活が始まりました。
実は、コロナの影響で、大学生活はほぼリモートだったことは、また今度。

私は、大事なところで遠回りしてしまう人生なのかもしれません。
ちなみに、中学受験も第一志望の中学に合格できず、部活の検定では他の子が1回で合格するものを3回かけて合格するなど…
最近、自覚しましたが、かなりの不器用みたいです(笑)

でも、私は、大学受験に失敗した経験のおかげで、色々なことを学びました。

  • 目標を諦めずに追い続けることの大切さ

  • 周りで支えてくれている家族、友達、教授らのありがたみ

  • 人生は挑戦し続ければなんとかなる

  • 自分が選んだ道を正解にできるのは自分だけ

努力の末、成功を勝ち取ると、この結果はすべて自分が招いたものだと過信してしまうことがあると思います。
当時の私は、少しばかりその節がありました。

でも、社会に出て、私は考え方が変わりました。
「すごくすごくありがたい環境(人、情報含め)にいたからこそ、得られた結果であり、私の努力だけでは成功しなかった」と。

聞けば当たり前のように感じることですが、これを自分の心の奥底に落とし込むことは難しいです。
だからこそ、いっぱい成功も失敗も経験して、そのたびに「自分の力だけではここまでこれなかった」と周りを振り返ることが大事なのです。

私は、大学受験(推薦)で不合格だったこと、編入学に挑戦したこと、一般で大学受験をしたこと、すべて今では貴重な経験だったと思っています。
(ある意味、なかなかそんな受験生おりませんよね。)

自分が失敗だと思っていた経験のおかげで、同じように落ち込む誰かに「編入学」の話ができたり、「一般受験」の勉強法を伝えられたり、どんな経験もどこかの誰かを救う可能性があると分かったのです。

そう思うと、失敗って尊くないですか?
成功だけが華やかで、素晴らしくて良いものに思われがちですが
私は、失敗こそ、その人を強く、たくましく、輝かせるものだと思います。

失敗って、すごく嫌です。
恥ずかしいし、怖いし、落ち込むし。
でも、その失敗が自分を強くさせる、人間としてのコクを出してくれる、誰かが私の失敗で救われると思ったら、それはもう成功じゃないですか?
そして、ちょっとだけ失敗することが怖くなくなりませんか?

私にとって大失敗だった大学受験が、なんだかんだあの時は…という思い出になっています。
今は辛くてどん底にいる気分の方も、その失敗って実は成功かもと、ポジティブ変換してみてください。

きっと、いつか誰かを救う失敗のような成功になっています!

※大学受験の詳細エピソードや、勉強法、編入までの流れなどは、希望があれば書きます☺

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