大量殺処分について

秋田県横田市で、今年もまた鳥インフルエンザが発生し、大量に殺処分なるものが実行されたという。
この殺処分なるものはなんだろうか。
鶏間で感染が拡大し、被害を広めないためなのはなんとなくわかる。
しかし、そこまでして鶏卵、鶏肉を供給しなければいけない事情とは…。
生命への敬愛、尊厳という感情はどうなるのだろうか。
あまりにも不格好な供給形態ではないか。
鶏という、食事の提供に貢献してくれる、食材の提供という行為へ、人間という私たちの存在のやっていることが果たして釣り合っているのか。
鶏舎と呼ばれる施設でどのように出荷までの過程を経ているのか、また、その後はなどと思うと、平時、市井の生活を送れている身としては、やや、怖くなるが、無関心ではいられない時代なのかな…などと、勝手に思ったりする。
この供給SYSTEMを考案したのは諸外国…とりわけ欧米だろうか…。
確かに安価で、その恩恵を感じれるまでにはなった…が、その先は…。
SDG’sなる文言を最近見聞きする。持続可能な社会という意味らしいが、そのためには循環が必要で、最近、社会全体での営みの変革が急に迫られている感を、窮屈な身の上ながら持ったりもする。
気持ちの循環面は…などというと感傷的に聞こえるだろうか…。これを子供が見たら…と思うと、この行動に抑制をかけたほうがいいのでは…とも思うが、個人的に、人間は社会性の動物といわれていたなと少ない経験上だが、確かに考慮して全体で何とかしなければならない問題なのだろう。
人材は大事にしたいな…。諸事情から。


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