打倒習近平に向けた戦いの号砲 ~任志強と党内の反習勢力からポンペオまで~
中国共産党の中央党校は、党の高級幹部を養成するための特別な機関である。蔡霞はその中央党校で教授を務めていた。彼女について「務めていた」と過去形で記すのはそれなりに訳がある。
6月2日のことだが、ある興味深い録音がユーチューブで公開された。投稿者は張杰、彼は打倒共産党を目指す反体制の評論家で、いまは米国で暮らしている。その張杰が投稿したのは、中国共産党内の某グループの人々が行った秘密会合についての録音である。
録音のなかで喋っている人物こそ、ほかならぬ蔡霞だった。「中国共産党は政治ゾンビです」、「この体制は放棄する必要があります」、「9000万の党員は一人のリーダーの奴隷と化しています」、中央党校で教授を務めてきた蔡霞が一党独裁体制を終わらせる必要性を説いたのだ。
以下は、この蔡霞の録音である(中国語字幕版)。
蔡霞の語り口は淡々としたものだが、しかし20分ほどの録音を最後まで聞き終わると、後に残る印象は非常に深刻だ。蔡霞の口からは、長年彼女が奉仕してきた中国共産党に対する深い絶望が濃厚に感じられる。この録音で蔡霞は、「換人」という用語を繰り返し口にしている。この「人」とは具体的には習近平のことを指しており、喫緊の課題としてとにかく習近平を別の人間に換えなくてはならない、つまり習近平を倒すということが切迫したテーマとして語られているのだ。
苛烈なまでの反腐敗と個人崇拝キャンペーンによって権力を掌握した習近平は、二期目に入ると容赦のない暴走を開始した。まずは国家主席の任期を撤廃し、終身の皇帝への野心を剥き出した。そのうえ毛沢東への回帰色を鮮明にし、鄧小平の改革開放路線を明確に捨て去った。集団統治体制と党内融和を完全に葬り去り、個人独裁の強化を図る習近平。
党内ではそんな習近平に対する不満と怒りが鬱積している。蔡霞が秘密会合の内容を語った録音は、なかなか表に出てこない党内の声を外部に直接伝える貴重なものである。党中央は習近平を奉じる「習家軍」が強力に支配しているが、習近平を倒そうとする「反習勢力」もなんとか局面を打開しようと色々策を練っている。
反習勢力は、主に三つに大別される。一つは江沢民の影響下で出世をしてきた江派、もう一つは経済の市場化・自由化を進めようとする洋務派(実務派)、そして最後の一つが民主主義の実現を目指す開明派である。いずれにとっても習近平は敵であり、苦境の中で打倒習近平に向けて息を潜めている。
このうち開明派は、天安門事件の後に米国に流亡した反体制派のグループと繋がっている。楊建利はかつて劉暁波のノーベル平和賞受賞に際し、獄中の劉暁波の代理としてオスロでの式典に赴いた人物で、米国を拠点に公民力量という政治団体を組織しているが、2018年の3月、その楊建利のもとにある文書を収めたUSBメモリーが届いた。それは中国共産党内の開明派が極秘に組織した秘密結社のメンバーによるもので、独裁体制を内部から掘り崩そうとする開明派の意思が籠められていた。以下は、楊建利が公開したその文書である。
私がここでこの文書を紹介するのは、打倒習近平を目指す党内開明派の秘密結社が楊建利ら在米の反体制派と繋がっていることの証拠を読者に示しておきたいからだ。
私はこの楊建利とは個人的に会って話をしたことがある。昨年9月、楊建利は東京の明治大学で講演を行ったのだが、その際私は講演に先立って楊建利と面会し、彼と二人で色々話をする機会にめぐまれた。以下のレポートの表紙で、右に写っているのが楊建利、そして左は私である。
楊建利はこの講演の中で「習近平は党内で公敵となった」と語った。習近平は党内のあちこちから彼を倒そうとする勢力の挑戦を受けていて、危機四伏の状態だというのだ。
何故習近平はかくも党内で敵に囲まれているのか? そもそも、文革で深く傷ついた後の中国において、一党独裁体制を長期にわたり維持するには鄧小平の路線を継続していくほかないというのが党内でのコンセンサスだった。鄧小平が引退して以降も、中国は党主導により市場経済を成長させ、数多くの民営企業の発展と共に利益と雇用を増やすことで、共産党政権は民意を得てきたのである。ところが、習近平はこの鄧小平の路線継続を明確に否定した。習近平は市場改革を放棄し、「公私合営」の統制経済路線へ舵を切り、毛沢東への回帰を鮮明にして、毛沢東の威を借りて鄧小平の遺産の破壊に着手したのである。
「もはや習近平は党内でも公敵となったのです」、楊建利はそう断言したのだが、まったくもって頷けるというものだろう。あろうことか中国共産党のトップである習近平が、文革の後で鄧小平が再構築した中国共産党を破壊しているのだ。とても我慢ならない、共産党員たちがそう思うのは当然である。
楊建利以外にも、海外に流亡した反体制派のなかには党内の重要な事情に通じている人たちがいる。かつて国家機密漏洩の罪で懲役13年の刑を言い渡された徐澤荣は、刑期満了後に中国を離れ、現在は英国のオックスフォード大学で教鞭をとっているのだが、党の高級幹部の子弟にあたる紅二代でもある徐澤荣はこの6月、在米反体制派「看中国」の取材に応じ、いま党内ではかつてのソ連でフルシチョフを失脚させたような宮廷クーデターで習近平を退位させようという企てが模索されていると語った。
この企てについては、既に数カ月前から布石がある。読者には後ほどその詳細をお伝えしよう。
一方、習近平の方も党内で自分を倒そうとする機運が拡大している事態を十分すぎるほど理解している。今年に入り、習近平率いる党中央は何かにつけて「政治安全」を最重要のテーマに据えていて、公安と司法を束ねる政法系統にメスを入れたり、新たな機構の設置なども行っているが、これはクーデター防止のため更なる権力強化にあくせくしているのだ。
習近平はまったく安心できないのである。何といっても、習近平は権力の亡者だ。江沢民も胡錦涛も二期で総書記を終えて後進に権力を譲ったが、習近平はその先例を破り、終身の皇帝を目指している。そんな折、新型コロナウイルスの感染拡大という大惨事に見舞われた。これを受けて習近平は露骨なまでの戦狼外交を展開し、のみならず香港に対しては全人代による国家安全法の施行に踏み切り、一国二制度の破壊に乗り出す始末。
一見すると覇権主義の拡大にしか見えないこれらの動きも、実は中国の国内事情に端を発している。というのも、今回の感染拡大が習近平の失政によることは、党内でも多くの人が知っている。そもそも感染発生の原因を徹底隠蔽したことから始まり、更に習近平が布いた恐怖統治のあおりで武漢市当局は現地の状況をなかなか知らせることができず、12月末になるとこの件で警告を発した李文亮らを公安に命じて拘束させ、人から人へ感染することも封殺し、そうして何の対策もとらずに年を越し、あろうことか春節目前まで無策で経過した。
まともに考えれば、習近平の責任は明らかだ。こんな重大な失態を犯した習近平が、江沢民も胡錦涛も超えて、そして鄧小平さえ上回る終身の皇帝になれるわけもない。ところが、習近平が目指すのはそこだ。毛沢東と肩を並べたい習近平は、まさに毛沢東が大躍進政策の大失敗による苦境の後で文革を発動したように、コロナ時代の習近平は戦狼化を進めることで国内での求心力を強化しようとしている。
戦狼化は、現代における文革である。これは様々な反体制派が指摘することだ。
さて、前置きが長くなったが、ここからいよいよ本題に入ろう。今年に入り、中国共産党を最も激しく揺さぶったのは任志強をめぐる問題だ。先程触れたクーデターの企ても、その核心は任志強にある。
任志強は不動産事業で成功した大物企業家で、具体的には華遠地産という不動産会社で会長を務めてきた。また父が商務副部長(副大臣)を務めていた紅二代であり、彼自身も共産党員として北京市の政協委員でもあった。
しかし、任志強の特徴は何よりもその発言にある。彼は社会的なことで度々発言し、歯に衣着せぬ物言いから「任大砲」の異名を取った人物で、以前から一党独裁体制を痛烈に批判していた。任志強はグレートファイアウォールを壊すべきと語ったこともあるほどだ。ここまで言えば普通なら処分が下ってもおかしくないところだが、しかし任志強は逮捕もされずに時を過ごした。
その理由として、王岐山との関係が挙げられる。実は任志強は中学校が王岐山と同じで、在学中は先輩にあたる王岐山が補導員として任志強の傍にいて、二人は仲が良く、その親交は卒業してからもずっと続いたという。王岐山は習近平の一期目に中央規律委員会書記として反腐敗で大鉈を奮い、そのことで習近平の一強体制構築に大きく貢献した。だから任志強が見逃されてきたのも、彼が王岐山の友人であるため、さしもの習近平も彼のことでは王岐山に配慮したのではないかと見る向きが多かった。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて事態はガラリと変わる。一言でいえば、任志強は逮捕され、そして彼の逮捕を受けて党内では打倒習近平のクーデター計画が動き出す。
これについては、まず「消えた王岐山の謎」から見ていこう。
王岐山といえば、97年にアジア通貨危機が起こった際、危機が中国に伝播するのを防いだ功で名を挙げた人物で、更に2003年にSARS(急性呼吸器系症候群)が中国を襲った際は、SARS封じ込めの指揮を執って更に名声を高めた。以来、王岐山は危機を封じ込める「防火班長」の異名を取り、その雷名は米国にも伝わった。
2008年、米国を金融危機が襲うと、財務長官のポールソンは度々王岐山に電話をして物事を相談し、危機に対処した(このことはポールソンの回顧録に詳しく書いてある)。元々が金融畑を歩んだ王岐山は米国の金融界とも関係が深い。ポールソンの後を受けてオバマの一期目に財務長官を務めたガイトナーの回顧録によれば、王岐山の危機封じ込めの手腕を評価したオバマは王岐山に「消防ヘルメット」を贈呈して防火班長に報いたほどだ。
さて、そこで今回の新型コロナウイルスの感染拡大とそれに伴う経済危機である。アジア通貨危機もSARSも封じ込めた王岐山の手腕を思えば、習近平は本来なら王岐山にコロナ対策の指揮官を任せるのが筋だ。王岐山は2017年秋の党大会で常務委員から引退したものの、翌年の全人代で国家副主席に就任した。しかも任期が撤廃された終身の国家副主席であり、おまけに8番目の常務委員として常務会議(最高指導部会議)にも出席してきたのである。
過去の通貨危機もSARSも、王岐山が封じ込めたのだ。そうであれば、新型コロナウイルスという未曾有の危機に際して、中国の頼みの綱は王岐山のはず。ところが、その王岐山が今回はまったく出てこない。感染拡大が明確になり、武漢の封鎖をはじめ中国の各省が厳戒態勢に入っても、コロナ対策で王岐山が出てくることはなかった。それどころか、そもそも王岐山が公の場に顔を出すこと自体がない。党中央の意向を受けたメディアは王岐山の動静をまったく報じない。
党中央では、習近平のもとで王滬寧が大権を握って宣伝工作を行い、対ウイルス人民戦争のプロパガンダは王滬寧の思うがままであった。
王滬寧率いる党中央宣伝部は、中国国内の深刻な感染状況について大規模な隠蔽を行うと共に、感染対策として実行した措置についても壮大な虚偽宣伝を展開してきた。これらについてここで詳述する余裕はないが、興味のある方は私がこの春発表した有料レポートを参照していただきたい。
ともかく、中国では感染をめぐって徹底した隠蔽と虚偽で塗り固められてきたのだ。
そういうさなか、3月6日に任志強の論文がネットに出回り、新型コロナウイルスの感染対策のことで習近平を強烈に批判した。タイトルは「衣服が剥がれても皇帝の座にしがみつくピエロ」。以下がその全文である。
具体的な内容を解説する前に、まず次のことを指摘しておこう。任志強のこの論文は相当に長い。かなりのボリュームがあり、そして語られている内容が実に強烈だ。この強烈さを日本の読者に伝えるのはなかなか難しい。
というのも、任志強自身もこの論文の中で「言論の自由がある民主国家の人々は、言論の自由や報道の自由が存在しない苦痛は解らないかもしれないが」と中国の状況の苦痛について書いているように、中国共産党の強力な独裁専制政治のもとで極めて厳格な言論統制が実行されている中国の状況は、民主主義国の多くの人の想像をはるかに越える。
体制批判する者は逮捕・投獄・拷問などを覚悟しなくてはならないのが中国なので、だから習近平に対して不満や怒りを持っている人たちも、国内で習近平を強烈に批判する文章に触れた経験など殆どない。締め付けは極めて強力で、恐怖による統治がなされているのが中国だ。日本の読者には、そういう状況のところへ突然任志強による習近平批判の論文が出回ったことの衝撃をぜひとも想像したうえで私の解説を読んでいただきたい。
それでは、任志強が習近平を強烈批判した論文「衣服が剥がれても皇帝の座にしがみつくピエロ」の内容を具体的に見ていこう。この任志強の論文、まず序盤では2月23日に党中央の主催で行われた感染対策のためのテレビ会議のことを取り上げている。これは習近平の命令で中央・地方の17万人の党員に参加を命じた前例のない規模の会議で、王滬寧は習近平を祭り上げて国威発揚を壮大に行ったのだ。
このテレビ会議について任志強は、「中国の特色ある社会主義の偉大な勝利のために」「四方に紅旗が乱舞し」「紅い詔を高く掲げ」「万歳、万歳、万々歳と連呼する時代に突入したようだ」と党中央による国威発揚の扇動作戦を批判したうえで、習近平を指して「あそこに立っているのは自分の新しい衣を誇示する皇帝ではなく、衣服が剥がれても皇帝の座にしがみつくピエロだ。自分が素っ裸だという現実を隠そうとして、恥部を覆う布切れを一枚、また一枚と高く掲げるが、自分が皇帝への野心にしがみついている野心はまったく隠さない」と習近平を痛烈に批判する。
任志強の用語法を細かく見ると、「高举红宝书(紅い詔を高く掲げ)」と「高举一块又一块的遮羞布(恥部を覆う布切れを一枚、また一枚と高く掲げ」という具合に、「高举」という用語を対にして使っている。つまり任志強は、感染対策のため党中央が高々と掲げる習近平の詔なんて実際のところは恥部を覆う布切れであり、その覆いがなければ余人が見たくもない恥ずべき実態が赤裸々になるのだと、党のプロパガンダを強烈に皮肉っている。
このように、党中央のプロパガンダなど恥部を覆う布切れだと批判した任志強は、このテレビ会議について「(党中央に対する)批判的な意見はなく」、「事実と真相の究明もなく」、「感染爆発が発生した原因の調査もせず」、「責任と負担についての検討もない」と徹底批判する。
その後任志強は李文亮など具体的な事例について取り上げたうえで、党中央は「体制と方策の無能を認めない!」と習近平に無能の烙印を突き付ける。「(皇帝の説話のなかで)感染を引き起こした原因は提示されず」、「感染拡大が制御不能になった原因も提示されなかった」と党中央による隠蔽を徹底追及し、更に激烈な批判を展開すると、今度は独裁体制そのものと感染のことを織り交ぜて批判する。
「皇帝が支配する伝統的国家において臣は君主の命で働き、君主と臣は同船同命であり、君主なくしては国もないが、これに対して民主的な体制は別だ」と任志強は強調する。「民主国家であれば船長は選挙で選ぶのであり、だから船長を取り替えたり弾劾したりすることもできる」。ところが今の中国では「党は党の利益を、官は官の利益を、君主は一尊の核心的な地位と利益の維持を図る」と指摘したうえで、任志強は明確に体制批判に移行する。
任志強は新中国(つまり中華人民共和国)について、「憲法では“人民民主独裁”とあるが、”民主”と“独裁”は完全に対立する」異なるものであり、これについて「合理的解釈はあり得ない」と指摘し、「もし民主国家であれば情報は完全に透明で公開され、その経済は市場化された方式で自己調節機能がある」、「しかし独裁体制の国家、非市場化国家において、全体主義のマクロ政策的なコントロールは市場経済の障害である」と原則論を唱えたうえで、その後は彼自身が企業経営者だった経験を踏まえて党中央のムチャな要求を切り捨てる。
「党中央は(企業に対して)感染防止策に厳格に従うよう要求しながら、従業員の職場復帰を着々と進めることも要求する。しかし(経営者が)感染予防のための真実の情報を得ることは非常に困難である(なぜなら党中央が徹底して隠蔽しているから)、にも拘わらず党中央は上の命令を遂行せよと迫るが、感染拡大の状況で経営者が神や仙人になれるかよ!」と吐き捨てる。
「そもそも、防疫は政府の責任であり、企業がやることは市場の自己調節である」、ところが中国では「企業が防疫の責任主体とされ、本来なら政府が負うべき責任を企業が負わされ、そうして企業が政治に使われる手足として縛り付けられた」。
本来であれば、「政府は政府の責任を負い、社会は社会的な義務を負い、企業は企業の経営を担うものだ」。「国家は指導者の偉大な勝利を追求するのではなく、人民の生活の幸福を追求するものである。しかるに、人民の鮮血と生命という代償を(指導者の)勝利と取り替えるなどもってのほかだ」。こうして任志強は、人民に巨大な代償を背負わせる一方で虚構の成果を作ってそのすべてを習近平の手柄に仕立て上げ、皇帝の偉大な勝利を扇動する党中央を最大限に批判する。
「武漢で感染防止策を取っているとき、多くの場面では党と政府が全面に出てくるのではなく、民間組織と私企業が全面に出され、幾多の滅私奉公を強いられた」。「もしこれら民間の支持と支援がなかったら、政府に今日という日はなかったのだ!」。
この後任志強は、いよいよ最も本質的な部分に入っていく。彼は憲法を引いて「そもそも一党独裁は憲法の精神に反しており、人民を蹴り出して、独裁が人民と民主に取って替わった」と中国共産党の独裁体制そのものを糾弾し、「その後見られたのは(党の)規律委員会が(国家の)監察委員会を指導し、党のインターネットシステムが国家体系Bを指導し、これらが国家の法律的相関関係を超越し、思うがままに制定するのを可能にした」と党による国家支配、党による強力なネット監視体制を強く批判する。
そして任志強は、例の17万人を動員したテレビ会議の話題へと戻る。「私が見ることができるすべては、自分が素っ裸であることを隠すための恥部を覆う布のようなデタラメだ」、「(皇帝は)自分が英明で偉大であることを証明しようとするとき、むしろ自分は苦境のなかであり得ないほど取り繕っていたのだ」、「(彼が)吹けば吹くほど恥部を覆う布は高く飛び、それだけ内心の恐怖と皇帝の地位を維持する野心が赤裸々に露出するだろう」。
「恥知らずで無知な人間たちが自ら進んで大指導者の愚昧のなかで生きようとし、もはやこの社会は烏合の衆のなかで発展も維持も困難である」、「もしかしたら遠くない将来、執政党は愚昧のなかで覚醒し、再び打倒四人組運動を展開し、再び鄧小平式の改革を行い、この民族と国家を救うかもしれない!」。
以上が、「衣服が剥がれても皇帝の座にしがみつくピエロ」と題した任志強の文章のおおまかな要約である。ラストで文革末期の四人組逮捕の再来を挙げているように、彼はここで党内の仲間たちに向けて打倒習近平のクーデターへの決起を促したと読むこともできるような内容だ。
ともかく、これが任志強の論文の主な内容である。習近平体制になってからというもの、中国の言論統制は一段と厳しさを増し、指導者に対する批判はおろか些細な風刺すら容認しないとネット検閲を手掛ける網絡天軍が「クマのプーさん」さえ削除対象にしてきた中国だ。そこへ習近平のことを「衣服が剥がれても皇帝の座にしがみつくピエロ」と強烈に批判する任志強の論文が登場したので、その衝撃は大きかった。
習近平に対する不満や怒りは以前から党内で渦巻いていたので、この論文を受けて任志強に同調する機運が急速に高まる。以下のツイートはその典型で、党内の消息筋によれば「任志強の文章は党内の上層部と元老たちの間で超強烈な共鳴を引き起こしている」という。
ちなみに、この阿里妞妞というユーザー名でツイッターを行っている人物、その正体を明らかにしてはいないが、党内情勢についてかなり詳しい人物で、この阿里妞妞はこの後もしばしば出てくるので覚えておいていただきたい。
3月12日、ついに任志強が逮捕されたという知らせが入る。以下は楊建利の公民力量で副主席を務める韓連潮のツイートだ。彼が大陸の友人から得た情報によると、任志強は逮捕され、北京市規律委員会のもとで拘留されているという。
もはや王岐山の庇護も通じず、習近平の命令で逮捕された任志強。もちろんこのままでは済まない。ここから打倒習近平に向けた党内の動きがにわかに慌ただしくなるのだが、ところで任志強が逮捕された3月12日といえば、別の面でも「事件」があった。
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