聾学校は「仮想現実」だった。一般高校に入った私は、仮想現実での経験をふまえ、話が分からなくてもそのままにしよう、聞いてもいいことはないと思った。

クラスメイトに、読話が苦手なKさんがいた。
授業はすべて口を読み取り、話すという音声ベースで行われた。そこには手話どころか身振りさえなかった。私たちは、不明瞭な発音で発言し、先生は慣れた耳と口の形と文脈からそれを聞き取った。先生は、聴こえない子どもがわかるようにゆっくりと文節ごとに区切って話をした。その話し方でも、Kさんは読み取るのが難しいようだった。

小学部3,4年生のときである。S先生は、国語の授業で、私たち子どもに発言させた。そして、S先生は、今出た発言の内容について、みんな分かったかな?と確認をした。
Kさん以外の私たちは、はいと返事をしたが、Kさんは「わからない」といった。じゃあ、言った人にもう一度聞きなさいとS先生は促す。
Kさんは、言われたとおりに「わからなかったので、もう一度いってください」と言う。先程発言したクラスメイトは、再度同じことを言う。さっきと全く同じ内容を、同じ話し方で。そしてS先生は、Kさん今の話分かったかな?と確認を繰り返す。Kさんは、分からないという。
当たり前である。口だけで言って分からないのだから、それをもう一度口で言ってもわかるわけがないのだ。
そこでまた「わからなかったので、もう一度いってください」が始まる。また同じことが繰り返される。それは3回ほど続いた。まったく同じ方法で。
Kさんは、S先生からの確認に最初から分かったと答えることも時々あった。S先生がその内容を具体的に確認すると、やはりKさんは分かっていなかった。かくして、「わからなかったのでもう一度いってください」ループが始まった。

私は読話が得意であった。聾学校には、発音テストのほか読話テストもあった。これは1~2文からなるものを先生が話し、口を読み取って、先生が何を言ったのかを紙に書く。聾学校の先生なりの文節を区切った話し方なら私は読み取れた。私はいつも満点であった。発音テストは嫌でたまらなかったが、読話テストは大好きだった。
読話の優等生であった私からみて、Kさんが分からないことは理解できないことだった。私は、Kさんが分からないことに苛々していた。なぜ分らないのだろうと思っていた。

私は苛々するあまり、席をたって黒板の前に立ち、Kさんに向けて黒板にチョークで書きなぐることもあった。書くと、確実に伝わった。私は筆談というコミュニケーション手段を知らなかった。だが、この実に不毛なやりとりを終わらせるには、板書するしかないと本能的に分かっていた。
だが、「最終手段」として板書するのは、私だけだった。それは、先生が書きなさいと促すものでもなく、Kさんが書いてほしいとお願いするものでもなく、私が「矢も盾もたまらず」突発的に、書くものであった。だから毎回板書で終わるわけではなかった。

このような確認をするのはS先生だけであった。他の先生は、確認をしなかった。S先生は自身の主義として、全員が分かる授業をしたいと思っていたのだろう。しかし授業は遅々として進まず、1コマかけて教科書の数行ということもたびたびであった。私は「陰湿な」目をKさんにも、S先生にも向けていた。私は「S先生のせいで勉強が遅れる」「Kさんのせいで勉強が遅れる」とくすぶった思いをもっていた。

Kさんの質問ループは多くても3回で終わったような気がする。Kさんは分からないままだったが3回で分かったふりをし、自ら終了させたのではないか。私は、Kさんが自らこのループを止めたかもしれないことに気付かなかった。ただループを抜け出たことに安心していた。そして授業を進めていたS先生も、全員が分かってよかったと安心していたのではないか。
ただし、そこではS先生自身の話が伝わっていたかについては「検証」がなされていなかった。S先生の「検証」は生徒同士で伝わっているかどうかだけであった。Kさんは、クラスメイトの話が分からなかったのだからS先生の話も分からなかったはずだ。ただS先生からの「わかりましたか?」という確認だけ分かったのだ。他の先生は、そのような検証はしなかった。検証が行われない他の先生による授業は、とんとん拍子に進み、私は「快適」だった。だが、Kさんだけがたぶん分からないままだったのだろう。Kさんは分からないまま授業に参加していたことだろう。

聾学校卒業後、私は、一般高校に入学した。
自信があった読話のスキルでは、全く歯が立たなかった。
分からないことだらけだった。
分からないこともわかっていなかった。
「分かる?」という質問だけは分かった。

私はKさんのことを思い出していた。「今、私はKさんだ」と思った。一般学校での私の立ち位置は、そのまま聾学校内でのKさんと同じだった。Kさんの気持ちが、Kさんの置かれていた状況が、ようやく私にも見えてきたような気がした。
聾学校で、Kさんはなぜ分からないんだろう?と不思議がり、迷惑がっていた私は、今や、上から見下ろされる立場になっていた。
世界とは、入れ子構造のようなものであったかと私は思った。

そうかそうか、そうだったのか、と私はひとりうなずいた。
分からないことがあっても聞くのはやめようと思った。繰り返しになるが、私は筆談というコミュニケーション方法を知らなかった。聞いても分からないままループが繰り返されるだろうから、わざわざ自分からそのループを作ることはしないでおこうと決めた。仮にそのループができても、すぐに自分から断ち切るようにしようと思った。そうでもしないと、かつて私がKさんやS先生に向けた「陰湿」な目はいま、私に向けられるだろうという確信があった。

聾学校には、現実社会とよく似た「仮想現実」があった。そして、一般高校は「現実社会」であった。私はそんなふうに、聾学校という「仮想現実」での体験を参考にして、一般高校という「現実社会」を歩く方針を決めた。そうすると気が楽になった。世界の真理の一端に、独力でたどり着いたような気がして、私はふっと可笑しい気持ちになった。
うん、そうしよう、そうだ、と私は一人で心の中で笑った。

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